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教員でも一般企業でも社会を見渡しても感じる女性であるということ


3月8日は『国際女性デー』ということで、日頃から「女性」についてはいろんな角度から考えすぎているので思っていることをつらつらと書いてみようと思います。
(あくまでも私の個人的見解ですので、もし見られて嫌な思いをされる方がいたらすみません。)

1904年、ニューヨークで婦人参政権を求めたデモが起源となり、国連によって1975年に3月8日を「国際女性デー(International Women’s Day)」として制定されました。「国際女性デー」は、すばらしい役割を担ってきた女性たちによってもたらされた勇気と決断を称える日です。

「国際女性デー」とは?

1. 幼少期に感じた女性であるということ


私が「女性」ということを意識するようになったのは幼少期からでした。

母親からはいつも
「外に出たら女性は男性をたてないといけない」
と言われ続けて育ちました。

そして“そうすることがいろんなことがうまく回るコツになる”とも…。

小さい頃からそう言われ続けていた私は、不思議とそういうものなんだと疑わず、心の中にずっとその考え方はすみついていたように思います。

その後、心も体も成長し、見た目にも男性と女性を意識することも増えていきました。

例えば小学生のころは体育が大好きで、男の子と張り合って体を動かしていた自分が、中学校・高校になると全く歯が立たなくなり、男女の違いを感じて悔しい思いをすることが度々あったことも覚えています。

また時代的にもまだ「性別」というものがはっきりと分断されているような時代でもありました。

2. 企業時代に感じた女性であるということ


その後、「女性」であることに対してとても意識するようになったのは、一般企業に勤めていた時でした。

全国に100店舗ほどの営業所をもっている比較的大きな派遣会社に勤めていました。

5年間勤めた会社ですが、運よく私はそこで、バイトから契約社員、正社員となり、そしてリーダーとなり、最後は営業所長にまでなりました。
本当にいろんなことを任され、チャレンジさせてもらいました。

しかしある時、自分の会社の『営業所長のリスト一覧』を見て大変驚きます。

女性がなんと、私ともう1人、どこかの営業所の方だけでした。
(単純計算で2%しかいない…)

今でこそ「女性管理職の少なさ」が度々とりあげられることがありますが、当時そのことに若いなりに気付いた自分は「女性の社会進出や活躍」について悶々と考えずにはいられなかったです。

取締役の女性・外国人比率の国際比較 出典:内閣府 成長戦略会議(第10回)2021.5
※少しは割合が増えていますが世界的に見ると…

確かに思い返してみると「女性である」というだけで悔しい思いをしたこともたくさん思い出されます。

  • 男性の後輩を取引先に連れて行っても先に名刺交換をされるのは後輩

  • 営業に行くと「こんなお嬢ちゃんで大丈夫?」と言われることも

  • 「お茶を用意するのは女性の仕事」「女性は朝早く来て掃除しとけ」「女性の意見は求めていない」などと言われることも

  • 飲み会では社長や役員の隣に女性が座るように席が空けられていることも

今となっては信じられないようなことも、ほんの十数年前までは当たり前に行われており、懐かしささえ感じます。

ただ忘れてはいけないと思うのが、最後に就いた「営業所長」という肩書は「女性」を抜きにして「私」として選んでくれた上司の方々の挑戦があったと今では思うのです。

当時、ほぼ女性の営業所長がいない中で、しかも若くて経験もない実力不足だった私を推薦してくれた上司の方々。
反対もあったと聞いています。
ですが最終的には認めていただき、いろんな経験をさせてもらえたことに今は大変感謝しています。

3. 教員時代に感じた女性であるということ


私が最初に経験した社会は小学校での常勤講師でした。

ちなみに20年前、はじめて教員として現場に立った時の学校現場というのはまだ先生方の机の上にパソコン1台置いてない時代で、採用試験の倍率も高く、先生といえば『超人気職』でした。
(私は採用試験に受からなかったので講師として働いていました。)

その当時のことを思い出すと、なんだかのんびりとした気持ちになるほど、学校現場には余裕があったように思います。

その後、私は5年間一般企業に勤めました。

そしてその時のいろんな経験を武器に私は再び教員に戻りました。
(私はサンドイッチ型の教員で非常にめずらしいタイプだと思います)

それが今から13年ほど前になるでしょうか。

先生方の机の上にはまだ全部ではないですがパソコンが置かれ始め、まだまだ人気職ではありましたが採用試験の倍率も緩やかになり、少しずついろんなことが学校現場に求められ始めていた頃だったように思います。

5年ぶりの学校現場は少しだけ変化を見せていたものの、しかし当時の私は一般企業との違いを明らかに感じました。

  • 男女の差を感じることがない(それぞれがばりばり活躍している)

  • 職員会でも男女関係なく意見が言える

  • 放課後は多くの先生が好きな教科をとことん追求し、研究熱心な方がたくさんいる

5年間の企業経験は私にとって刺激的でやりがいもあったのですが、「女であること」以外にも、(もちろん企業ですから)売上などの数字のことばかりが飛び交っていた中に浸かっていたので、全くそういう雰囲気のない学校現場はすごくほっとするというか、“いい職業だな”と感じていました。

利益を求められない場所だからこそ、男とか女とか関係なく互いに良いと思うものは認め合い、子どもたちを大切にし、一緒に育てているような感覚があったのです。

その後、家庭の事情もクリアし、採用試験を受けて合格した私は、
「絶対にこの仕事(教員)にしがみついてやる!!」
と心に誓いました。

そこから数年間は更にがむしゃらに働きます。

企業で言えばお客様は“子どもたち”ですから、とにかくひたすら“子どもたちのために”と働きました。

そして気付いた時には、朝も昼も夜も夜中も休日も仕事をし続ける自分がいました。

がむしゃらすぎて気付かなかったのですが、少しずつ少しずつじわじわと…学校現場は社会の変化と共に業務量が増え続け、気付いた時にはあんなに人気職だったはずの先生という職業が「教員不足」という言葉まで生み出され、社会問題となっていたのです。

「教員不足」の為、採用数はあがります。
そうなると採用試験の倍率は下がり、採用数は上がっているので若い先生方が大量に現場には入ってくることが当たり前となりました。
そして小学校は女性の先生が多いので、若い先生が入ってくると一言で言っても「女性」が多いわけです。

そうすると何が問題になってくるかというと、ただでさえ「教員不足」なのに、出産・妊娠を控えた女性や望んでいる女性が増え、だけど先生が足りなくて現場がますます人が足りなくて困っているという図式が日本全国で起こっているのです。

また業務量が増え続けても学校現場は「人を増やす」ということに結び付かない為、どこにどう声をあげたらいいのかわからないまま少ない人数で踏ん張り続けた結果、今となっては「長時間労働」が常態化していました。

ここ数年は私のもとに
「まだ子供が小さいので低学年を希望したいけど、他にも希望している先生がたくさんいるので我慢するべきなのか?」
「妊娠を望んでいるけど、人が足りないとわかっていても管理職には伝えてもいいものか?」
「2人目を望んでいるけど、〇〇先生は1人目を望んでいると聞いてしまったので、私が要望を言うと管理職の先生は困るのではないか…」
「お腹がそろそろ大きくなってきたけど、体育で代わりに入ってくれる人を頼んでもいいものか?」

などなど

自分はもう気付けば中堅教員になっていて、思ったことは比較的言える立場にあったので、私のもとにはここには全て書ききれないほどの相談の声があがってくるようになりました。

ただ私も要望を伝えることはできますが、人を増やしたり、配置したり、整備を整えたりすることはできません。

何とも言えないジレンマを抱えていたここ数年間でした。

「教員」というお仕事は女性だから任せられないなどということは一切なく、ほとんどの皆さんが学級担任をもち、同じような責任を抱えたまま仕事をすることが多いです。

それをほんの数年前までの私は「女性の地位がしっかりと認められている」からよいと思っていましたが、人員が足りなくなると、少し誰かを頼りたいと思ってもそれが叶わないということに気づかされました。

今の時代、女性や男性というくくりで見るのはいけないのかもしれませんが、「妊娠」や「出産」を経験するのはやっぱり女性です。しかもそれで終わりではなくその後も「育児」が続きます。

だから本来であれば、「おめでとう」と祝福されて少しお休みをもらうことが当たり前でないといけないはずなのに実際は…

私は企業からは離れてもう長いので、少しは女性が優遇されるようになっていてほしいとは思いますが、つい直近までいた学校現場のことはよくわかるので「女性であること」を理由にたくさんたくさん悩んでいる先生方がいたことを知っています。

「赤ちゃんができてごめんなさい。」

子どもが好きで先生になった人がほとんどの職場で、「人手不足」を理由にこんな言葉を言わせて泣かせてしまうのは絶対に間違っていると思います。

4. 社会起業家として走り始めて感じた女性であるということ


長々と今までいろいろと思っていたことを書き上げてきましたが、現在、何とか形にしようと思っている事業で、私が難しいとはわかっているけど、ひたすら公教育にこだわり、特に小学校現場を助ける仕組みを作りたいと思っているのにはこういう背景があります。

まだそういった世界に足を踏み入れたばかりで、いろんな人を頼り、教えてもらいながら進んでいる最中です。

しかし「女性起業家」という言葉があるように、きっとこの世界でも「女性であること」の新しい気付きがあるのかなとは想像がつきます。

女性というのはどの職種であっても、人生の岐路に直面するタイミングはキャリアが1番のびざかりの時に多く、長い歴史の中にもいろんなことで悩み苦しんできた女性たちがたくさんいたのではないかと思います。

そしてそんないろんな「不都合」の時に声をあげ、いろいろと改革を起こしてくれた人たちの姿があるからこそ、少しずつ良い方向へと変わってきたこともたくさんあると思います。

きっと3月8日「国際女性デー」も、そこにいきつくまでにたくさんのドラマがあり、そして勇気ある女性たちの姿があったのでしょう。

いろんな声をあげ、歴史を変えてくれた人たちに感謝をしつつ、その中で“自分には何ができるかな”と考えながら過ごしていきたいと思います。

まずはこうやって記すことも第一歩と思って…。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

~最後に~

下記は、以前instagramにて私があげた投稿です。

コメント欄には特にたくさんの女性の先生方の悲痛な声が載っているので、リンクを貼っておきます。

「教員不足」のなか、現場で踏ん張っている先生方の生の声をよかったら聞いてください。



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