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オープンソース活動は開発者にとっての【農業革命詐欺】かもしれない

オープンソース活動って、開発者にとっては【人類における農業革命詐欺】と同じなのではないか。

ここでいう農業革命詐欺とは、ベストセラー・サピエンス全史で指摘される

【種族(コミュニティ)としては発展するが、個人としては幸福度の下がる社会】

のこと。

それを開発者コミュニティの話に重ね合わせてしまったのは、先週

【エンジニアはアウトプットするべきかどうか】論の記事を書いていたから。

実は当初、私も「アウトプットする=その人にとって有益」の結論でこの記事を書こうとしていた。

だけれど、主張のための理屈を考えれば考えるほど、逆に

「アウトプット活動とは、確かにコミュニティの利益にはなるが、必ずしも個人の利益にはならない」

と思えてきてしまった。
だから、元々は公開した記事の倍以上の文章を書いていたれど、そのほとんど全部ゴミ箱行きにして公開に至っている。

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ゴミ箱に押し込めた未公開文章を眺めていて思い出したのが、サピエンス全史で取り上げられた【農耕革命詐欺】だ。

農耕革命とは一般的に、人類が豊かさを手に入れるきっかけになったと考えられている。

その農耕革命に対し、著者が【人類史上最大の詐欺】とまで切り捨てる理由。

曰く、

人類は不安定な狩猟生活から、安定した食料を求めて農耕に移行した。そのおかげで人類は発展した。

だがその結果
- 過密都市の不衛生な環境
- 過酷な農耕労働
- 富の偏りによる格差社会etc.

により、個人としての幸福はむしろ下がった。

と。


集団(コミュニティ)の発展は、個人の幸福度とは相関しない。

コミュニティの利益にはなるが個人の利益(幸福)にならないことを、あたかも「あなた個人の幸福になる」と言ってやらせるのは詐欺でしかない。

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テック記事を書く人が増えればテックコミュニティの利益になる。

だからコミュニティは「記事を書くことはあなたの技術者としての技術力やキャリアに有益になりますよ」と、開発者の【あなた】にとってメリットがあると主張する。

だがそういった主張のほとんどは、執筆活動に活動によって発生する

- 執筆活動にプライベートの時間を犠牲にせざるを得ない
- 炎上によってメンタルを損なうリスクがある

などのデメリットは指摘しない。
(あるいは、指摘したとしても「あなたのキャリア利益のために耐えるべき試練だ」と主張する)

他方、【記事を書くことが本当に個人の利益にもなるのか?】の問いに対して、これでもかというくらい試金石となっているものがある。

それは企業のテックブログ

ウェブ系のIT企業はこぞって自社のエンジニアにテックブログを書かせようとする。

なぜかというと、ぶっちゃけ会社というコミュニティのため
ブログを書くことでエンジニアたちに自社の存在の存在をアピールし、自社の採用力に強化につなげている。

だが会社ブログはたいてい続かない。ほんとーに続かない。
「会社ブログ 続かない」でググると「どうやって弊社のブログを続けているか」なんて記事が大量にヒットするくらいだ。

もちろん長期に渡ってテックブログがちゃんと続いている会社もある。
だがそういった会社は、エンジニアにブログを書いてもらうための施策を多数実施していると聞く。

- 業務の時間で書かせる
- 社外発信を通じて社内に対しての情報共有も兼ねさせる
- 炎上の恐れがないかなどの広報チェックを提供する
- 人事評価のインセンティブに繋げる

などなど。

言い換えれば、会社というコミュニティのためにエンジニアがアウトプットにしてもらうには、これだけのリソースの提供と個人への見返りがなければ見合わないのだ。

だから、企業が個人へのインセンティブ設計努力を怠った瞬間、企業のテックブログは何処もかしこも続かなくなって潰れる。

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一方で、会社テックブログのようなバックアップがなくとも、各自開発者による貢献活動で成り立っているコミュニティもある。
オープンソース活動だ。開発者が無償でコードを書きシェアし、賞賛とコミュニティの発展に対する貢献を名誉な対価として受け取るべき、という。

【エンジニアなら(無償で)テック記事を書いて貢献せよ】といった主張の源流もオープンソースの流れから来ている。

確かに世界はオープンソース活動から莫大な恩恵を受けている。
けれど、その裏には開発者の無償の貢献にあぐらをかいて燃え尽きさせてきた、搾取してきたとの批判は耐えない。

GAFAMのような巨大企業を含む、世界中の多数のシステムを支えるとんでもなく大事なオープンソースソフトウェアなのに、そのソフトの開発者は生活を成り立たせることもままならないこともしばしば。

【実際にソフトを開発する側】であるオープンソースソフトウェア開発者の経済的困窮と、
【オープンソースを利用する巨大テック企業】の莫大な利益。

それはあたかも、農業革命で生み出された、
【実際に栽培に従事する側】の農民の劣悪な生活環境と
【農民を取りまとめて管理する側】である支配者階級の裕福な差

を思い起こしてしまう。


開発者の無償のオープソース活動主義に支えられたテックコミュニティの繁栄。

だがそれは、個々の開発者たちにとっては農業革命のように、幸福度を下げる方向にしか進んでいないのではないか。

そうは言っても、テックコミュニティに関わらずこの仕事を続けるのは難しい。

私はかつて少数派ゆえにテックコミュニティで嫌な思いをし、一度は距離を置いたことがある。
そんな自分ですら、紆余曲折あって結局はここに関わらざるを得なくなっている。

それはたぶん、人類が農耕革命によって個人の幸福度が下がったとしても、農耕革命より前の時代に生活様式を戻せなかったことと、同じ理由でもあるんだろう。

なにせ、種族(コミュニティ)としては、空前の大繁栄を遂げているのだから。

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