見出し画像

世界は自分で変えろ。幸せになると決めろ。


過去も引っくるめて、きちんと自分に向き合っていきたい。
人間、ポジティブ7割、ネガティブ3割が良い、という話もあるし、どんな過去も感情も大切だよね。

今回読んだ本は『嫌われる勇気』


読んだことありますか?
人気の本なので、読んだことがある人もたくさんいらっしゃると思います。

本の中で気になった2点をもとに、私の経験を踏まえて学んだこと、考えたことを語ろうと思う。主に私のパートナーについて。

①「トラウマは、存在しない」


アドラーはトラウマを否定している。
過去の経験によって何かが決定されるわけではない。
トラウマを感じて、行動している裏には何かしらの「目的」があるのだ、と。



私は自身でもわかりやすいほど、トラウマを引きずっていることがある。
相手の不倫とモラハラ、借金が原因で離婚をしたり、ストーカーされたりしたことがあり、どうしても異性と付き合うのが怖いのだ。


深い関係でなければそこまでダメージを負うこともないから、男友達に対しては普通なのだけど。

近しい関係になりそう、あるいは付き合いはじめなどの警戒態勢といったらひどい。
相手に失礼なことは重々承知だから悟られないようにしているが、自分でどこか場所を指定するときには交番の場所を確認するし、相手の情報はなるべく調べる。



やはりこの行動の裏には、もうあそこまで傷つきたくない、という防衛目的があるのだと思う。
言葉ではなんとも言えるが、行動や事実まではごまかせない。裏付けが欲しくなってしまう。


・・・これはまた他者を受け入れて、信じることでしか更新できない気がする。ほどほどに頑張るとしよう。


②「女性から低く見られることを恐れている。つまり、強烈な劣等感を隠し持っている」



本の中では、対人関係の入り口にはまず「課題の分離」が必要、とある。

これはわたしの課題と、他者の課題を分けること。
そして、そのあとに良好な関係につなげていくことが良い流れなのだそう。

後半の良好な関係の部分で出てきたのが、この劣等感の話である。



私は女系家族、女子校→女子大で育っていきたからか、男性の劣等感に違和感を覚えることが多い。
これは、単に女性(あるいは私自身)が、低く見られるのが嫌だという側面もあるかもしれないけど。



自分より劣っている人をそばに置いて安心したがっているような男性のどこが魅力的なのだろう?と最近は思うことすらある。

若い頃はこんなことを思わなかったと思う。元夫の年収を超えないようにしていたり、仕事後に家で毎日のように家事をすべてこなしたり、なんとか上下関係をつけようとしていた。自分を抑えるのは辛かったからやめたのだ。
今は、男友達の中でも、年下のちょっと抜けた人が好き、という人より、しっかりした女性が好き、な人の方が仲良くできるようになってしまった。



いつも自分が上でいたい、だなんて、そんな考えは捨ててしまえば楽なのに、とも思う。

男性にはヒーロー願望があるし、女性より弱いから、優しくしてあげてよ、と男友達に言われると、ふぅん、そんなものかな、とも思うのでこれは平行線を辿る問題なのかもしれないけどね。

人の能力には向き不向きがあるのだし、相手の方が得意なこともあれば、私の方が得意なこともあって当たり前なのに、と思ってしまうのだが・・・うん、これ以上はよそう。笑



・・・私は恋愛が面倒くさいし、できれば離婚するほど傷つきたくない。そして、自分と対等に付き合える人といた
い、のだと思う。のびのびと生きて、私が役立てることには力を貸す、くらいがいい。
今は充電期間だから、自分磨きをしながら、トラウマを払拭しつつ、対等にいられる人と付き合うことにするよ。
幸いにも好いてくれる男友達に心から感謝。あなたは私にはもったいないほど強く、美しい、と思いながら、ちょっとだけ甘えさせてもらうね。



「人は、自分には価値があると思えたときだけ、勇気を持てる」

「縦の関係」ではなく「横の関係」を意識しよう。
私はまわりの人、せめて関わった人たちには幸せであってほしいし、縦の関係、つまり上下関係など意識せずフラットな気持ちで、何か役立てたらいいな、と思うよ。

「いま、ここ」を意識する。
さまざまなたいへんなことはあるけれど、くるくるとダンスを踊るように今日も楽しく生きようね♪




お気持ちありがとうございます♡ 読書代、珈琲代に使わせてもらいます。