進撃の巨人などアニメから学ぶこと

昨今、「鬼滅の刃」「進撃の巨人」などのアニメから学べることも

多くある。

たかがアニメ、されどアニメなのだ。


「鬼滅の刃」では、誰かのために生きる事の尊さ、人は人として生きる事の

はかなさを教わった

もちろん、誰かの犠牲になれ。という事ではなく「誰かのために生きている

人」も世の中にはいて、そういう生き方があってもいい。という事なのだと

私は思う


「進撃の巨人」は争う事も無意味さを伝えている

争うということはどこまでいっても、平行線なのだ

争うそれぞれの理由があり、どこかで断ち切るとしたら

それは憎しみを許すに変えることだけ

漫画は最終回を迎えた。結末がどうなのか私はアニメ派だから

(読みたいと思う葛藤もありつつ書いているけど(笑)

まだ知らないが、アニメのFINALを見ていると

どこまでいっても「憎しみの連鎖」で

心が折れそうになる

世の中もそうなのだ

マスク賛成派、マスク反対派、ワクチン賛成派、反対派

どちらにも言い分があり、どちらも自分の主張を譲らない

だから争いが起きる

今の状態を「戦時中よりひどい」と言った人がいるらしいが

まさに今は、戦時中と同じ心理状態なのだ

だから「誰かを、何かを許す」までそれは続けられる

ワクチンを打ちたかったら打てばいい

マスクをしたくなければしなければいい


でも、みんな同じじゃないと嫌なのだ


自分だけやっていることに、不平等さを感じる

それぞれの個性を尊重するまでにまだ、日本は至っていない

自分が不安ならすればいい、やりたくなければしなければいい

相手をコントロールすることは誰にもできないのだ

それを無言の圧力で支配しようとするから

人間はそれに抗うのだ


オリンピックが終われば

こんな茶番劇は終わるのかもしれないけれど

オリンピックをやりたい人、やらなくてもいい人

それも同じなのだ

それぞれの見方が違う

それぞれの意見を尊重するような生き方は

まだまだ、今の日本には程遠いのかもしれないな。と

絶対的な正しい答えなんてない

だからこそ、漫画に期待してしまうのかもしれない

漫画はきれいに白黒つけてくれるから・・・


追記:桃太郎の鬼退治は鬼の子供からしたらどう見えるのか?

今度は桃太郎が鬼の子供にとっての「憎いやつ」になってしまうという

そんな話があったよな


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