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昔日のメモリー

『昔から変わらないなぁ』なんて言われたのは数日前、Xでのナオさんとのやりとりでのこと。学校の先生の話、からの流れで学生時代の思い出をほんのり呼び覚ましていたときだった。あれは私が中学生だった頃の話だからもう四半世紀以上が過ぎ去っていることになるが、はて職を転々としつつ色々やったりやらなかったり続けたり諦めたりしてきたのちにある今でもそんなに変わってないものかしら、などと考えてみていた。自分だとわりと分かりにくい……というか、あんまり自覚がない。

 学校生活が始まった最初の4月、クラスの担任となったその先生との出会いはなかなかセンセーショナルだった。先生だけに、っていやちゃうねん、それだけ衝撃的だったってことでさ。まず最初の自己紹介で『ゲームが好きです、今やってるのは風来のシレン(SFCスーパーファミコンの第一作め)』ときたもんだ。で、続く生徒側の自己紹介で私の番が来た時に『同じく風来のシレンやってます』と。
 共通の話題があるだけでもそれなりに話は弾むものだが、その先生の担当教科は国語であり、当時の私がいちばんの得意科目としていたのも国語であったから趣味でも勉強でも話すことは多くあり、と、当時まだまだ小賢しい子供だったながらずいぶん懇意にさせてもらった。オリエンテーションのときのクイズで夏目漱石の著作を問われて『こゝろ』と答えた中1はそう多くないんじゃないかな? たまたまタイトルを知っていただけだけどね。

 時使っていたいわゆる『連絡帳』みたいな冊子には、翌日の時間割を書いておく欄のヨコにその日の出来事を書き記しておくスペースがあって、日記のような形式で記述して次の日の朝に提出、みたいな宿題があった。相手が国語教師となればこちらから質問もしやすいわけで、ペンの勢いにまかせて書き連ねた簡易日記には自分でも意識しないままにどのくらいの表現技法が使われているのだろう……なんてことを聞いてみた覚えがある。
 また簡単に日記といっても当時の一学級には40人近い人数がいて、特に仲のいい数人とは毎日色々話したりもしているもんだからネタには事欠かない。さらに小説版『スレイヤーズ』の影響を受けまくっていた時期、というせいもあってその時すでに文章は軽めのノリのコメディタッチ、日によっては日記欄を一週間分くらい使い倒す大長編ができていたこともあったりして、読む側の事を考えると大変だったろうな、という思いもありつつ、それなりにウケもよかった、はずだ。

 ん? なんとなく振り返ってみたものの、確かにびっくりするほど変わってない。自分でビミョウに呆れるくらいには。こうしてエッセイっぽいもの書いてシレン6を遊んでいる今とやってることまるで一緒じゃないか。
 ってことはまあ、そのスタイルが合っているというか、自然な形なんだろうね。成人してから一時期うつに近い状態になって、どうにかこうにか復活となったときにリハビリでとにかく何か書こうとして5行で行き詰まったその時のオレと同一人物とは思えない。中学の時よりもちょっとだけ上の段階に、今は進めている感じかな。ま、気分的に。

 局その先生には中学1年のときと3年のときに担任を受け持ってもらえて、この頃に鍛えられた国語力が現在のベースになっている。また人物としてもただ気さくな、というだけでなく、男女分け隔てなく接し、その中でも大人と子供、いや教師と生徒という線引きはきちんと示し、叱るべきところは叱り……と、責任ある大人としてのお手本を見せてくれているような人だった。いやいや筆不精の出不精だからね――なんて、本人は謙遜していたけれど。
 考えてみれば、現在の自分の年齢と当時の先生の年齢は同じくらいになるはずだ。順当にいけば定年退職、ということになっているだろうか。『きのう火迅風魔刀+99をうっかり弾き飛ばされた!』と授業中に悔しがっていたあの先生は、今ごろ何をしているかな。

 子ほど歳が離れていることもあって生徒だった時代にはまるで考えもしなかったが、こうして歳を取ってからよくよく思い返して、改めて人物像を見つめ直したとき、『あぁ、理想の女性ってのはこういう人なのかもな』と思ってみたりもしてみたり、なんてね。

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