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気ままに生きてる話

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日常でふと考えたこととか、ちょっとした生き方めいた話とか。
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2020年7月の記事一覧

限界の向こうは無限大

 去年の今頃……よりはちょっと前になるかな。不可思議短編集の発刊に向けた準備をしはじめる、少し前のことだけど。  それまでのだいたい10年くらいの期間、創作をほぼ完全にひとりでやり続けていたんだよね。特に誰かに直接的なアドバイスを求めることもなければ身近な人に読んでもらおうともせず、そこそこの勉強や読書で得たであろう知識や技術だけを頼りに賞に応募して、音沙汰もなく落選して、という繰り返し。web媒体だからといって読者もつかず、プロフェッショナルを目指すならコミュニケーション

ありがとうのありがたみ

 これもまた少し昔の話になるけれど、以前は何かにつけ感謝感謝と連呼されるのがちょっとばかり苦手だった。そんな毎回毎回お礼や感謝の言葉が必要なのかナァ、なんて思ってて。  結論から述べると、毎回毎回、間違いなく要る。どんなに小さなことでも、ちょっとしたアイサツ代わりみたいになっても、絶対要る。いまこれを読んでくださってる方々は『そんなの当然だよ!』と思われるかもしれないけど。  考えてみれば、ただただ生意気だったんだろう。連発するとありがたみ薄れそうじゃん? とか。  実際

言葉のちから

 世界が新型ウイルスの脅威にさらされはじめてから、もう半年くらいが過ぎてしまった。いまだに終息の気配は見えずに第二波が懸念されるばかりで、たまにテレビを見れば連日同じような報道が繰り返されている。思えば今年は花粉や黄砂の飛散予想などはほとんど聞かれなかった、ような気がする。  多くネガティブな影響が出ている中、なんとか深刻な事態を免れている……とは言っても、どこへ行くにもマスクが必要で、他の人との距離をできるだけ常に保ちながら、それでも県外ナンバーをほんの少しだけ警戒する日

つながれどこまでも

 ときおり、じぶんの役割、のようなものを考えることがある。  職業や肩書で何者であるかを定義付けするのとはまた違った感覚で、むしろもっとぼんやりと、なんとなく、ほのかに、けれどもそれなりに長いこと『わたしはたぶん、これができる、すべきであろう』と感じる、そんな役割。  それが『何かと何かを結びつける』こと――のような、気がしている。それまで他人だった誰かと誰かや、無関心だったモノとヒトなど、お互いがお互いの存在に気付くきっかけを用意する、といえばいくらか伝わるだろうか。  

生きるとか死ぬとか

 少し昔の話をすると、誰しもそれなりに抱えるであろう『死にたい衝動』というやつが、私にもあった。  で、今ではそこまでネガティブな感情を持ち続けることはなくなったのだけど、ここ最近のように雨ばかりでリアルに暗雲立ち込める日々が続いたり、なかなか疲れが抜けない日々が続いたりするとふと『生きるのめんどくせー』とか思うときはままある。  他にも先行きの不安とかギャップがどうとか、普段ならとりあえず放っとくような月並みな問題が頭をもたげてくるのだけど。  過去というやつについて考え