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7・8月 コンテンツ記録

気づけばいろいろ摂取していたのでふり返る。
基本的にすべてネタバレを含むので、気になる方はご注意いただけると幸い。


はかりしれず魅力的な人たちの生き様
ー 違国日記(11巻)/ヤマシタトモコ

大好きな漫画が終わってしまった……。

最新刊でてる!と思って購入したらまさかの最終巻。
そのことに気づいたのは「Last page」と記された最終話の扉絵を見てからで、突然の事実を受け入れられず、いったん閉じて気持ちの整理をおこなった。3日間あたためたのち、ようやく読んだ。

この漫画とは、素敵なものをたくさん知っているけれどもあまり人に何かを勧めたりはしない友人からの、めずらしく強い勧めによって出会った。
不器用で、人とのかかわりに苦手意識を持つ小説家の槙生が、交通遺児となった高校生の姪・朝を引き取り、生活を共にする物語。

台詞やモノローグがまるで静かでうつくしい詩のよう。
そして、登場人物の一人ひとりが底知れない魅力を抱いている。みんな正直なのがいい。容易に人を傷つけるし、保身のための言い訳もする。良いところばかりではないことは大前提として、それでも人とのかかわりをきっかけに、少しずつ変わりゆく姿に胸を打たれる。

名前のない関係性に決着をつけないところも、わからないことがすべて明らかにならないところも良い。白黒つかない、織り重なったり曖昧になったりすることのほうが人生には多いから。

最終巻のクライマックスでたまらなくなったところ。

わたしはいつでも不機嫌だし
部屋は散らかっていて
食事のメニューはつまらないけど
それでもあなたが幸せでいてくれればいい
って言うと幸せでいなきゃいけないみたいだね
ときどき不幸せでもいいよ

ここは槙生と朝だけのシーンでも良かっただろうに、あえて槙生の友人が居合わせていて、盛り上がるふたりを横目に若干引いているふうなのも、客観性を残している感じがして、この漫画らしいなあと思えた。
本当に好きだった。多分これからもわたしの中で生きつづける。

ミシマ社って、なんか良い
ー 愛と欲望の雑談/岸政彦、雨宮まみ
ー 思いがけず利他/中島岳志

紀伊國屋書店梅田本店で、「地元やからおもろいと思うで、知らんけど 関西の出版社合同フェア」といういかしたフェアをやっていたので行ってきた(※現在は終了)。

会場にミシマ社の営業の方がいらして、お話ししたいな〜と思いながらうろうろしていると、こんにちは〜と話しかけてきてくれた。
最初に社名を名乗るとハキハキした社会人ムーブが出てしまうことが容易に想像できたので、通常運転でぼそぼそ喋り、ある程度してから「じつはわたしも出版社で営業をしてまして……」と身分を明かした。

終始ローテンション(大褒め言葉)かつ丁寧に会話が進み、非常に心地よかった。わたしもこんなふうに営業やりたいなと思って帰宅後にせこせこ調べてみたら、なんとその方は年下であることが判明。あの落ち着き、ベテランの方かと思ってしまった。

・愛と欲望の雑談/岸政彦、雨宮まみ

ぱら〜と立ち読みしてみたらおもしろく、良さげな目次だったので購入。

8年ほど前の本ということもあり、それはどうなん〜?と思う点もいくつかあったけど、総じて非常におもしろかった。お昼休憩の1時間でするするっと読み終えた。
読後、ちょうどこの対談の一年後に雨宮まみさんが亡くなっていたことを知り、しばらくぼうっとする。

人気連載を持っていたと知っていくつか読んでみたが、そちらもキレキレでおもしろかった。
中でも「浅田真央ちゃんに嫉妬してしまう」という相談とその回答が最高だった。
雨宮さんの世代のサブカル女子はみんな椎名林檎に嫉妬していたという。嫉妬の感情ってこんなすこやかに発表していいのか……と目の覚める思い。
白状してしまうと、わたしはここ数年くどうれいんさんに嫉妬している。そんな筋合いないとわかっていても。

・思いがけず利他/中島岳志

同じテーマ、同じ内容であったとしても、たとえば新書だったら目に止まらなかっただろうなと思う。
ミシマ社の本であるという信頼感、おしゃれな表紙、興味を惹くタイトルと三拍子そろって手に取った。

「利他」という言葉を辞書でひくと、「他人に利益を与えること。自分を犠牲にして、他人のために尽くすこと。」とある。

利他は、一見善い行いのように思えるが、その一方で「『善い人』というセルフイメージを獲得しようとする利己的行為なのではないかという疑念」が沸き起こったり、「誰かから贈与を受けたとき、私たちは『うれしい』という思いと共に、『お返しをしなければならない』という『負債感』を抱」いたりする、といった側面もある。
という前書きから、本書は始まる。

引用が多くて難しく感じる部分もあったけれども、論じられている内容はわたしたちの実生活にも身近なもので、興味深く読むことができた。

私たちは、与えることによって利他を生み出すのではなく、受け取ることで利他を生み出します。
そして、利他となる種は、すでに過去に発信されています。私たちは、そのことに気づいていません。
しかし、何かをきっかけに「あのときの一言」「あのときの行為」の利他性に気づくことがあります。
私たちは、ここで発信されていたものを受信します。
そのときこそ、利他が起動する瞬間です。

た、たしかに〜!

「青春物語」で片付けたくはない
ー 宇宙の音楽(第11楽章)/山本誠志

電車の中で泣いてしまったのは約3年ぶりのことだった。
止める間もなくスマホの画面がにじみ、あわててリュックの中のハンカチを探す。

前回は2020年の12月。なぜ鮮明に覚えているのかというと、東京で個展をひらいた翌日だったから。
丸の内線の車内で、展示の準備期間によく聴いていた曲がイヤホンから流れてきたとき、自分が清々しいほど何者でもないことが突然身にしみてよくわかって、涙が止まらなくなったのだった。

「宇宙の音楽」は、そのとき一緒に個展をひらいた友人の作品だ。月刊マガジンで連載している。
喘息が原因で吹奏楽を諦めた主人公・零が、トランペット奏者の水音と出会ったことをきっかけに、指揮者として再び吹奏楽を始める物語。

自分も学生時代は吹奏楽部に所属していたから、基本的には懐古する視点で読んでしまうことが多かった。個人的には、高校時代の自分とちょっと似ている陽莉ちゃんが好き。

でも、最新話は違った。
年齢を重ねても変わらない営み、大人になった今だからこそ身をもってわかる。水音先輩のモノローグが胸に刺さる。

松籟に吹奏楽部を作った時
何か一つを選びきる事が
大人になる事やと思ってた
でも君は
どっちも選ぼうって手を差し伸べてくれた 
人生も音楽も正解はなくて
選び方が大事なんや

「道半ばの東京」を開催したときは、タイトルの通りふたりとも道半ばで、彼はなかなか連載が決まらず苦しい時期であったし、わたしは遠距離恋愛が無理すぎて恋愛以外の人生をほぼ放棄していた。
でもあれから約3年が経った今、かたや吹奏楽の漫画を連載し、かたや同棲生活を営みながら出版社で働いている。道半ば感はこの先も一生なくならないかもしれないけれども、お互いやや前進したな、と思う。

この場所を 
奏でる音を
人の営みを
音楽を吸って、生きていく

零のたましいの叫びに心が震えた。
来月の最終回、しっかり見届けます。

子ども時代の夏、なのに静謐
ー すいかの匂い/江國香織

小学生の頃、わたしは友人関係がうまくいかないことが多かった。不登校にはならなかったけれど、学校に行くのがつらい時期も長かった。

子ども扱いされるのが嫌いで、片思いの相手のことを世界いち好きだと思っていて、本を読むのが好きで、将来は作家になりたいと思っていた。学級委員と金管バンドの部長をやっていた。家の近くの雑木林や校庭の体育倉庫の裏に秘密基地をつくった。校庭にはグラウンドをならすための鉄でできた大きなローラーがあって、寒い季節は日光であたためられたそこに座って暖をとった。ラムネの空き容器になぜか塩と砂糖を詰めて持ってきている子がいて、休み時間になるとこっそり舐めた。

「すいかの匂い」を読むと、とりとめもなくよみがえってくるそんな記憶をこっそり話してみたくなる。

はじめて読んだのは、たしか中学生の頃。
当時は、結合双子や得体の知れない男子高生といった、およそ縁遠い登場人物たちのことが少しこわくて、なんとなく奇妙な短編集のように感じていた。

その後、何度も再読するうちに中学生の頃のイメージは変わり、このたび数年ぶりに読み返すと、一篇読み終えるごとに感嘆のため息すら出た。なんと完璧な物語なのか。

小学生に夏とくれば、一般的には底抜けにあかるくエネルギッシュなイメージを抱くだろう。
でも、実際には決してそうではなかったことをわたしは覚えている。江國さんも覚えている。自分の感じていることや考えていることを言語化できなかったあのときの気持ちを、きちんとすくいあげて昇華してくれているのだった。

だから、子ども時代の夏の話ばかりを集めた短編集なのに、静謐な印象を受けるのだ。
江國さんの真骨頂。かけがえのない一冊。

その他 読書記録

まとめている場合ではない作品ばかりだったのだけれども、力尽きてしまったので割愛。
本当に一冊ずつが濃かった。いまだに爪痕が疼くぜ。

・海が走るエンドロール(5巻)/たらちねジョン

叶えたい夢があって、でも迷いもあって、不恰好にもがく人の姿を見るとじりじりする。羨ましくて。うつくしくて。

・ブルーピリオド(14巻)/山口つばさ

心を整えてからでないと読めないのよ。
今巻とて濃密……。

・ハンチバック/市川沙央

衝撃作。買った翌日、友人に貸した。

・Carver’s dozen/レイモンド・カーヴァー、村上春樹

海外文学に精通した書店員さんに勧めていただき。各話の前書き的な位置付けにある村上春樹の解説を先に読んでしまったのをやや後悔。引っ張られた気がする。

・空芯手帳/八木詠美

なぜかエッセイと勘違いしたまま読み始めて、ヤバ〜と思ってたら小説やってホッとした。
職場でのひどい扱いに耐えかねて、妊娠していると偽る女性の話。メッッチャおもしろかった。

・虎のたましい人魚の涙/くどうれいん

は〜〜〜〜異様におもしろいんやけど〜〜。なんなんですか?ほんまにすごい。
わたしも文章書きたい、書かねばと思わされる。

・停電の夜に/ジュンパ・ラヒリ

(なぜかこの本だけ埋め込めない……)
書店のフェアで手に取った。最後まで言い切らない、好きな類の短編集。

好きなことを楽しむためには
ー 兎、波を走る/NODA・MAP

これは書くか迷ったのだけれども、自戒を込めて書き残しておく。

友人に誘ってもらい、運良くチケットがとれたので初の観劇。
劇団四季など、ミュージカル以外のお芝居をみるのははじめてのことで、ものすごく楽しみにしていた。好きな役者さんたちを生で見られることにも興奮していた。

しかしながら、良かれと思ってほぼ事前情報を入れずに行ったのと、自分が無知すぎるのとで理解が及ばなかった部分が多すぎた……。
かつてブロードウェイで「アラジン」を観たときも、英語がわからなくて似た感情を味わったけれども、焦燥感はそのときの非ではなかった。みんながわかっていることを自分だけがわかっていないような気がした。むずかしい、と思った。

大仕掛けな舞台装置やアナログとデジタルを融合させた演出、生の声による台詞の響きなど、ぞくぞくするところは当然多々あったが、肝心のストーリーを追いきれなかった点においては後悔が残る。
今回に関しては、北朝鮮の拉致問題が主題として扱われていたのだけれども、今思えばヒントはたくさん散りばめられていたのに、最後の最後まで不可解な演出に合点がいかなかったし、近代文学や戯曲の知識があればクスッと笑える箇所も多かったのだろうなと思う(隣のおじさまは何度も笑っていた)。

パンフレットを読み、ネットで観劇の感想を漁る中で、ようやく答え合わせができたような感じ。
好きなもの、興味があるものを万全なコンディションで楽しむためには、好きなことや楽なことばかりやっていてはだめだなと思ったのだった。

読みやすくはない読書体験
ー 百年の孤独/G・ガルシア=マルケス

現在進行形で読んでいる本。
先に書いた「Carver’s dozen」を勧めてくださったのと同じ書店員さんよりプレゼントしていただいた。

わたしはよく褒め言葉として「読みやすい」という表現を用いるが、決して「読みやすい」ことだけが良いわけではないのだなと思わせられる。

この本はとにかく読みにくい。まず分厚いし(全473ページ)、登場人物がものすごく多いうえに、一族のお話なので同じ名前の別人物が乱立している。私生児もやたら多い。これだれやっけと思ってページを遡ることが多すぎて、はじめてメモをとりながら本を読んだ。
少しでも目が滑ったり集中力が切れたりすると、たちまち話がわからなくなるので、気合を入れて静かなカフェでがつがつ読み進めた。

時代背景も暮らし向きも、現代の我々からあまりにもかけ離れていて、想像しにくい(本筋ではないが、男があまりにも身勝手にすぐ女性を抱くのでしばしばイラッとする)。

基本的には、架空の村・マコンドと、そこに暮らすブエンディア家の栄枯盛衰の物語なのだけども、一族に生まれた絶世の美女が天に舞い上がって二度と帰ってこなくなるなど、唐突にファンタジー要素があらわれたりもするし、深夜にこっそり娘に会いに来た青年を撃ち殺すだの、その娘を独断で修道院に送り込むだの、どうかしているエピソードもしれっと描かれる。

なのに、おもしろい。
あと60ページほどで読了なのだが、現時点で「百年の孤独」とはこの人のことだったのかと感じる登場人物がいて、ずいぶん長く生きてきたよね、と同じ時代を伴走してきたかのような心地にさせられる。

あとはやっぱり達成感がある。
読みこなした、とは到底言えないけれども、読了時には「完走した!」と言いたくなるであろう清々しさを感じるだろうな。

読書体験を広げていただき感謝である。
ほんの少しは、読みやすくない本を読むための筋肉がついたような気がしている。

あ、あと「君たちはどう生きるか」も観ました。
子どものころに見た無秩序な夢みたいやった。

9月からもモリモリやっていく所存!

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