夏を奏でる
いくつになっても動き続けている人っている。
ゆるゆると学生をやっている身でこんなことを言うのは恐縮なのだけど、多分年齢とか仕事とか、諸々やるべきことの忙しさなんて、本気の「やりたい!」を前にすると軽々飛び越えていけるんだろうなと思う。
中学時代の恩師がそういう人だ。
中高の6年間、わたしは吹奏楽部に所属していた。
中学の時の吹奏楽部は全国大会の常連である。
当然ながら、練習はかなり厳しい。1日休みはおろか、半日休みも数えるほどしかなかったように思う。
朝7時から朝練、放課後は下校時刻ぎりぎりまで夕練、休日は8時30分から18時30分までみっちり練習の日々だった。
吹奏楽部が一年間の集大成を発揮するのは、夏のコンクールである。
当然、練習がもっとも佳境に入るのも夏だ。
だから、わたしは今でもこの季節が来ると、うだるような暑さの音楽室を思い出す。
しかし、勿論はじめからそんな強豪校だったわけではない。
正確な年数は失念してしまったが、確か20年弱もの間、N先生はわたしの中学(H中学としますね)で顧問を務めていた。
部員も少なく弱小校だったH中学を全国大会にまで導き、その後も結果を出し続けたのがN先生である。
わたしも在学中の丸三年間、指導を受けていた。
冒頭で毎日長時間の練習をしていたことを書いたが、当然ながらそこには先生もいるわけである。
あの時は練習のきつさしか感じなかったけれど、よくよく考えるとすごいことだ。
自分の年齢や立場が、中学生よりも社会人に近付いた今だからこそわかる。
ほとんどボランティアみたいなものだろうに、生徒と一緒に毎日早朝から出勤し、休みもプライベートも全部潰して全力で指導に当たってくれていたのだ。
わたしたちは家に帰れば、ごはんを食べてのんびりテレビでも見ていればいいものの、先生はそうもいかなかっただろう。
帰宅後も翌日の練習メニューを考え、週末のレッスンのアポ取りをし、生徒に渡すため莫大な数の音源をダビングしてスコアを隈なくチェックする。そして翌日はまた、生徒と同じ早朝出勤なのだ。
とんでもない、と今なら思う。
とてもじゃないけど、わたしにはできない。すべてを犠牲にしてまで、自分の持つ自由の大部分を自分以外の誰かに捧げるなんて。
社会人を目前に控えた今、ほとんど恐ろしいような思いでわたしはそう感じてしまう。
H中学吹奏楽部の代名詞のようなN先生だったが、2年ほど前に異動されることが決まった。
現役生も卒業生もみなどよめき、動揺した。
しかも赴任先は、合同で演奏会などをしていたすぐ近くの中学なのだという。
しかしその中学の吹奏楽部には変わらず顧問がいたため、N先生は副顧問になられたと聞いた。
実際どのくらい指導に当たっていたのかは知らないのだが、N先生が赴任した年からその中学の実績はめきめきと上がった。
中学の部活動において、いかに指導者が重要なのか、いっそ清々しいほど鮮やかに浮かび上がった夏だった。
現在、H中学の現役生にN先生の指導を受けた学年はいなくなり、N先生はというと、赴任先の中学で依然副顧問のままらしい。
こんなふうにして繋がりが薄れていくのかなあ、とぼんやり思っていた最中のことだった。
N先生が指揮者を務める楽団が新しく立ち上がる、というビッグニュースが飛び込んできたのである。
演奏会や練習でよく利用した、懐かしい地元のホールが楽団の練習拠点となるらしい。
楽団のポスターには、こんな言葉があった。
「吹奏楽コンクール全国大会出場を目標」
「一緒に本気で音楽やりませんか」
なにかよくわからない熱いものが、自分の中で一気にたぎるのがわかった。
自分がメンバーとして参加した夏、結局一度も叶わなかった全国大会出場。
悔いの残る結果を残し、くすぶる思いを抱えたまま最後の夏を終えた高校時代。
漠然と、もうあんな音楽ができることはないんだろうと思っていた。
楽しく演奏する機会はあっても、本気でもう一度やる日なんて来ないのだろうと。
また、できる日が来るのかもしれない。
そう思った瞬間、急に体温が上がった気がした。
来年、地元に帰れば。
就職する前にタイミングが合えばもしかすれば、もう一度コンクールに出られるかもしれないのだという。
しかも中学時代の恩師の元でなんて、にわかに信じがたい事実である。
そこで、ふと我に返って考えた。
今も教師の仕事を続け、(恐らく)部活動の指導にも当たり、(さらに恐らく)そのための研究や勉強も欠かさずしてなお、N先生はまだ新しいことを始めるのだという。
それも、ゼロから1をつくり出すのだという。
人を動かす側に立つのだという。
当然ながら、かなりの責任も生じる。
到底、生半可な思いでやれることではない。
本当に音楽が好きなのだと、
本当に音楽がやりたいのだと思った。
きっと、ただそれだけの思いで動いている。
そして、その思いで動かされる人がいる。
指導を受けていた当時とはまた違う意味で、尊敬の念が込み上げた。
形は違えど、動かし方は違えど、
ああわたしもこんな人になれればと。
そんなことを思ったのは初めてだったから、自分でもびっくりしてしまう。
改めて、本当にすごい方だ。
自分に嘘をつくことさえしなければ、多分ずっと走り続けることができるのだ。
わたしもずっとそうありたい。
満足を、止まることを知らない人であり続けたい。
そして、もう一度本気で音楽をやりたい。
眠っていた感情を揺り起こされ、止まらない想いが熱くて仕方のない日々である。
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