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ゴールドラインの女

わたしの通っていた小学校は公立だが、制服があって、しかもそれは体操服だ。
スウェットよりも肉薄、カットソーよりは肉厚なトレーナーのようなもの、強いて言うならプルオーバー?がトップス(・・・って言ってしまうと聞こえはいいけど苦笑)。白の本体に、男子はカラシ色、女子はエンジの首元の切り替えがあって、校章を左胸にアイロンプリントして、布の名札を縫い付ける。半袖と長袖がある。
ボトム(苦笑)はわたしの通っていた当時は、男子は白のトランクスのような短パン、女子は男子のそれよりも肉厚な生地でできたエンジのジャージ素材の短パン。
これが制服。靴下や靴は完全指定ではなかったけど、白じゃなきゃダメだったような記憶がある。

余談だけど、修学旅行は、当時の行先は東京だったので、さすがに体操服で花の都・大東京に繰り出すのはいかがなものかと学校側も考えたのか、白いブラウスやシャツ、紺のスカートやパンツをそれ用に親に用意してもらうのだった。

基本は全員、短パン。
短パンで通い、短パンで授業を受け(体育もそのままの格好)、短パンで給食を食べ、短パンで掃除し、短パンで家に帰る。
1年生も6年生も。みんな、短パン。
・・・。
思い出した!赤白帽も制服の一部だった!
入学して1学期の間だけ、1年生は黄色の帽子。
それ以降は、赤と白のリバーシブルの薄っぺらいキャップ着用。
わたしが卒業してしばらくしたら、帽子から校章入りのヘルメットに変わっていたっけ。

田舎は、雪の降らない地域。ただ、「遠州のからっ風」と言われるほど、冬は強風が冷たい。田んぼが広がり、高い建物なんかありゃしないから、強風を容赦なく浴びなくてはならない。自転車が前に進まないんじゃないかと思う向かい風。
そんな冬の唯一のお楽しみが、ジャージだった。

ジャージについてはそれほど厳しい制限がなくて、冬の登下校時は、ちょっとだけ、田舎道が華やかになる。
高学年になると、オシャレ心も顔を出すから、今年はどんなジャージを買ってもらおうかと、ドキドキする。5年生くらいにもなれば、いかにもこどもらしいジュニアの品揃えだけではなく、大人用も選択肢に入ってくる。俄然、楽しくなる。
ここで、田舎の小学生たちは、必死に自分の個性を表現することに執着するのだ。
たかがジャージなんだけど。
しかも、風邪ひきなんかで体調が悪い場合を除いて(要申告)、学校に到着したら、ジャージは脱がなくてはいけなかった記憶がある・・・。先生が許してくれる「ばか寒い」特別な日だけ、ズボンは履いていてもよろしい、みたいなイレギュラーはあったかな。
原則、校内では制服である「短パン」だった。短パン。

「金八先生」の時代だったので、なんとなく、「ワル」がカッコイイ、オシャレ、みたいな風潮だった。小学生のクセに、「センパイ=絶対」みたいな雰囲気。
おませな高学年は、「ちょっとツッパリ中学生風味」を目指し、それがカッコイイ、みたいな感じ。
服装だけでなく、ココロも「ちょっとツッパリ風味」だから、うっかり目立ってしまうと「アイツ、生意気」とセンパイから目をつけられてしまう。なので、5年生は様子見でギリギリのオシャレをし、最高学年の6年生でオシャレを謳歌する。・・・今こうして言葉にしてみると、相当、ウケル(苦笑)

わたしの高学年の頃。
ジャージにも「ブランド」の波が訪れた。
PUMA、adidas、アシックス、ミズノといったあたり。
駅前にあるスポーツ用品店に行かないと買えない。運動系の部活をしている子たちは割とすんなり、それらを手に入れ、着こなしている。
そうでない子たちは、兄や姉、同じ学校に通うような従姉妹たちがいれば、おさがりなり、一緒に買ってもらったりで手に入れる。
兄や姉のいない、文系の子たちは、洋品店に並ぶものを親から与えられて着る。田舎に訪れた、ジャージ・ブランドブームの波をキャッチしたのか、洋品店には、なんとも弱そうなロゴの「ピューマ」や、「アディドス」が並ぶようになった。それらを着ているわたしたちのことを、イケてる部類の子たちは「ニセモノだよな、それ」とあざ笑う。
笑われたわたしたちは、「ホンモノ」を着たいと思うようになる。
親にねだる。でも、「ホンモノ」はべらぼうに高い。
スポーツ系ではない我が子の、たかだか数か月の冬の通学用の防寒服に、スポーツブランドのジャージを買い与えるのは、全くもってコスパが悪い。だいたいの親はそう判断するのが当然だ。と、今ならわかる(苦笑)

でも、ホンモノが着たいのだ。
数少ない、自分の個性アピールの機会をみすみす逃したくないのだ。
・・・つくづくどーでもいいと、今は思う(苦笑)

6年生、最高学年の冬。
何を条件に親に交渉したのか全く覚えていないのだけど(ホントはそこが大事なんじゃないか?苦笑)、わたしもいよいよ、ホンモノを手に入れる瞬間をゲットした。
あんまり派手だと、まわりまわってセンパイに目をつけられてしまう。
でも、せっかくなら新しいモデルがいい。
わたしの目を奪ったのが、これ。(オークションサイトで今も販売しているのにビックリ!まさか画像を見られるとは思っていなかったので、ありがとう!)

ミズノのスーパースター。
しかも当時発売して間もないゴールドライン!!

スーパースターは割と着用者が多かった。

↑このタイプ。本体やラインの色違いも多かったからだ。

ゴールドラインは、パンツも、他のジャージと違って裾がリブになっていてデザイン性がある。
なんてカッコイイんだろう♡

初めて学校に着ていく日は、緊張した。
なんて言われるんだろうと、想像するとますます緊張した。

「うわ!ゴールドライン!」

その言葉だけでうっとり舞い上がったわたし。
恐らくは、いろいろ他にも言われたと思う。直接なり、わたしの居ないところでなり。
でも、完全に舞い上がったわたしは、超ドヤ顔で過ごしたのだ。
わたしに相応しいでしょ?ゴールドライン。みたいな顔で。
何を言われているのか全く耳に入れずに。

大事に着ていた。
でも、何かの折にひざを擦ってしまった。割とすぐのタイミングで。
化繊だから、摩擦に弱いよね。ひざに穴が開いた。
「腐っても鯛」「繕ってもゴールドライン」
母に頼んでひざの穴を繕ってもらって、着ていた。
繕った場所を目にする度、転んだ自分を恨んだ。
値段の割に擦っただけですぐに穴が開いたゴールドラインを恨んだ。
スポーツ系でないのに張り切って着て、ドヤ顔で過ごしていた自分のイタさにガッカリした。

それから時は経ち、成人式の飲み会か、その後の同窓会かの席に、めったに顔を出さないレアキャラとして参加したとき。

「うわーーーーー。ゴールドラインの女、なかくきだーーー」

どうやらわたしが理解していた以上に、当時、インパクトを与えていたらしい。
そして、オトナになって現れたわたしも、相当なインパクトだったらしい。

そうです。

スーパースター・ゴールドラインの女です。


あの時も。その時も。そして、今も。
「繕ってもゴールドライン」
インパクトの詳細のそれぞれは敢えて省きましょうか(笑)

ちょっとおいしいおやつが食べたい。楽しい一杯が飲みたい。心が動く景色を見たい。誰かのお話を聞きたい。いつかあなたのお話も聞かせてください。