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「抱っこちゃん」の未来

「ママ 抱っこ」

娘ちゃんは中学生になってもたまにこう言ってくる。

私と変わらない大きさになってる娘ちゃんを
ぎゅー-って抱きしめていると

なんか思い出してきた。

抱っこぐせがついたらどうしようとか
抱っこぐせを治さなきゃとか
悩んでいたころを。

ママから離れてお友達と遊んだり
歩いて走って必死にママに追いかけられたりしている子を見て
うらやましさと変な劣等感を感じていた。

娘ちゃんは赤ちゃんの時からほんとに抱っこちゃんで

ベビーカーもあんよも
私から離れるとわあわあ泣いた。

お出かけの時は大変で
歩かせてもすんごい声で泣くもんだから
仕方なく抱っこをしていたんだけど

これが抱き癖ってやつ??
これは困ったぞ。
わたしの腕と腰がやられる。
(娘ちゃんはヘビー級にジャンボだった)

とにかく私から離れて歩いてもらいたい
私の子育てはこの抱っことの闘いだった。

「泣くたび抱いたら抱っこ癖がつくよ」

誰に言われたわけでもないのに

なんだか子育て中はそういう
世間の意見みたいなのに敏感になって

うーん、ここで抱いたらだめなのか
しかし抱かなければ
このものすごいシチュエーションを回避できない。

変顔をしてみたり
ビニールをくしゃくしゃにしてみたり
あはあは笑ってみたり

いろいろやってみたって
抱っこ以外に娘ちゃんを泣き止ます術がなかった。

抱っこ癖はわたしのせいなのか

いつのわたしがいけなかったのか

産んでからいままでの日々をふりかえって
どの日が原因だったのか

抱っこ抱っこと泣く我が子を見て
すごい自己嫌悪に陥っていた。

子育ては不思議だ。

思うようにいくわけがないのに
思うようにいかないのは

いわゆる
いい子でいれないのは
自分の何かがいけなかったのかという
変な罪悪感を感じてしまう。

でも、今わかる。

抱っこちゃんは個性だ。

泣き虫も
かんしゃくもちも
のんびりも

その子にしかないその子の個性。
ママのせいでもなんでもない。
きっかけもないと思う。

ある雨の日のおでかけで
抱っこができなかった私が
大泣きしている娘ちゃんを怒鳴りながら
ひっぱって知り合いのお店に行ったとき

お店のおばあちゃんが言った。

「抱っこしてっていったら
いくらでも抱っこしてあげればいいよ。
いうたんび、いうたんび、いくらでも
抱っこできるうちはね。」

きっと大丈夫だから
大人になってずっとは絶対ないからって。

中学生になった娘ちゃんを抱っこしていると
癒されて
ほっくりして
わたしも安心する。

ずーっと抱っこしていると

「もう、いいや」

娘ちゃんがさっさと離れて
自分の部屋に行ってしまった。

そう
あんな泣き虫抱っこちゃんも
すぐにいなくなってしまう。

抱っこできるうちは
抱っこを求めるうちは

たくさんたくさん
抱っこすればいい

きっと受け止められた子供は
安心して
自信をもって

望まなくても勝手に
私のいない道を歩いていくんだ。



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