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目標に弱点克服と掲げる子を救いたい

ローリングストーンズのギタリスト、キース・リチャーズのインタビューエピソードで面白いのがある。
キースが曲は天から降って来るというような話をした時、記者はその才能がない人はどうしたらいいか尋ねた。するとキースは「俺はキミみたいなこと(取材して記事にすること)はできない。そういうこと」

人には得意不得意がある。キースが自分の弱点を克服するのに、例えば、苦手科目とか、取材能力とか、なんなら言語によるコミュニケーション能力とかに人生をささげてたら、この世にロックはなかったかもしれない。

人はそれぞれが得意なことをして、世界全体を良くしていけばいいんだ。

ちなみに、キースは数々の名言を残している。まとめたサイトがあるので紹介しますね。

私(56歳)は、とにかく苦手科目をなくそう!という時代に育った。
テストというものは、100点満点で、間違うと減点される仕組みになっている。本当は120点の力があっても表示されない。もし、100点以上が測れたとしたら、数学と音楽と美術は200点くらい行っていたかもしれない(笑)

私の父は、今は丸くなったが、とにかく厳しい人で「学校のテストは習ったことしか出ない。だから出来なかったのは、授業をちゃんと聞いてなかったってことだ」と100点に満たない部分を強く指摘してきた。どうして間違えてしまったのか、一生懸命考え、二度と間違わないよう何度も訓練した。その結果、テストはできた。でも、それで頭が良くなったわけじゃない。ただただテストができただけだ。100点を120点にしようということはしなかった。つまり、得意科目は勉強しなかった。苦手な科目ばかり、こんちくしょう、なんでこの問題が解けないんだ。なんでこの名前が覚えられないんだと、泣きながら勉強していた。

あの時間を、好きな勉強に費やしていたら、どんなにか幸せだっただろう。数学、音楽、美術。その世界にどっぷりと浸かっていたかった。もっともっとスキを追求すれば良かった。

でももう時代は変わり、苦手なことは頑張らなくていい時代になったはず。が、今年の抱負を聞いた時に、いまだに「英語が苦手なのでがんばる」とか「古文が苦手だから力を入れる」とか生徒達が言っていて、心底驚いた。

なんでそんなことになっているんだ? いまだにバランスが大事とか言ってる。オール4の子を量産する教育は終わったはずなのに。

どうしても行きたい学校があって、その入試科目に苦手な科目がある。ここは変えられない。だから合格点を目指して苦手科目を克服する。これは分かる。でもそういう明確な目標もないのに、やたらと苦手な科目に注目して、もっと頑張るなんて、せっかくの青春がもったいないよ。

自分の成績の範囲でいける一番いい学校が第一志望校?

これも良く聞く。志望校はある?と聞くと、偏差値がこれくらいなんで、地元だとA校とB校です。……これって、偏差値偏重時代の志望校の決め方じゃない? もしかして、親が自分の時にそう決めたのを子どもにも適用しているのかもしれない。なりたいものではなく、なれるものになる。そんな将来の決め方はヤバい。

人間が苦手なことはロボットやAIがやってくれる。だから、もう苦手なことを一生懸命しなくていいはず。自分のしたいことをして、それでもついてくる苦手な部分は、ロボットやAIに助けてもらえばいい。

新年の抱負に、弱点克服を掲げてきた子を救いたい。私は教育者として、そういう親子と沢山会話を積み重ねていきたいと、自分の新年の目標に掲げた。

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