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論文、小論文では形容詞を使わない

作文と小論文指導の違い

小中学生の作文指導を30年してきた。そして、今年から小論文指導を始めた。私が個別作文指導をして、めちゃくちゃ表現力が付いた子が、小論文に切り替え、苦労しているのが、客観的な表現。それくらい、作文と小論文は違う。せっかく伸ばした作文の力を小論文で削ぐことのないように気を付けないと。

形容詞や副詞は主観が入る

あの人は背が高い。

これは主観的表現。論文では、どれくらい高いのか、きちんと表さないといけない。また誰から見た話なのかもきちんと書かないといけない。例えば同じ150cmでも、小学校低学年でなら、とても背が高いことになるし、成人男性だったら、低い方になると思う。背はまだいい。小論文にあまり登場しない(笑)
でもこれが食料自給率とか、成人の自殺率とか、テーマによってはそのようなものが登場するわけだけど、その場合は数字や、主要国との比較等、きちんと書きこまないといけない。

作文の例

日本は食品ロスがとても多い。食料をたくさん輸入に頼っているのに、食べ物を捨てているなんて、とても恥ずかしい話だと思います。

小論文の例

日本の食品ロスは、年間約522万トン。一方、日本の食料輸入量は約3,200万トン。単純に計算しても、輸入量の1/6を廃棄していることになる。食料不足の国がある中、国際的にも非難の対象となっている。


もちろん、作文に小論文的要素な客観性を持ち込んでも全然構わないが、逆はない。小論文に主観的な表現は持ち込まない。

そもそも、形容詞や副詞というのは、主観的なものが多い。次の形容詞で思い浮かべる人物像は、人によって大きく違うだろう。

私の両親は背がとっても高い
私の弟はかなりのデブだ
隣のお姉さんはものすごく美人だ
祖父は超お金持ちだ
昨日はくたくたに疲れた

かなり、ものすごく、超、くたくたという言葉、高い、デブ、美人、お金持ち、疲れたという言葉も、人によって捉え方が違う。まあこんなような例文は小論文にはなかなか登場しないけれどもね(笑)

どのような客観的表現に言い換えるかと言うと

私の両親は両方とも背が180cmを超えており、60代という年代を考えればその平均(男性167.4cm、女性154.0cm)より、父は10cm以上、母は25cm以上も平均より高い。
私の弟は身長は170cmと40代男性としては標準だが、体重は100kgを超えており、健康診断でも肥満と指摘されている。
隣のお姉さんは、近所でも美人だとよく噂を聞くが、学生時代に大学のミスコンで優勝した経験があるらしい。
以下略

このように数字を入れることでかなり客観的にはなる。「とっても」や「かなり」「ものすごく」という主観的な表現に客観性を持たせることができる。体格のことは、あまり、小論文には登場しないけれど(笑)

作文指導では、形容詞や副詞の種類を豊富にするために、例えば「すごい」を使わずに「すごい状態」を表現する練習とか、「楽しかったです」「嬉しかったです」というようなお決まりの言い方を、他の表現に直す訓練をたくさん積んできた。また、オノマトペや擬態語、擬音語、比喩表現なども多用して、自分の感情を表現する練習を積み重ねてきた。
なので、その鍛えられた感情表現が、小論文指導になると邪魔になるというわけだ。でも、やはり、小論文には感情は必要はない。自分の意見を相手に感情以外の方法で伝えることが大事。こちらの記事もどうぞ。

考えてみれば、主観的な表現も、客観的な表現も、人生にとっては大切だ。感情を伝えるべき時には、主観的な表現が武器になるし、内容を忠実に伝えるべき時に、主観的な表現を使ってはいけない。
私としては、生徒に、両方使い分けられる大人になって欲しいと思う。

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