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ユーモアは悪夢から人を救えない

叩かれたからといって、へこんでしまうことはないわ。あれだけ叩いて卵を泡立ててもケーキはふくらむもの。

メアリ・ジョンストン(1870~1936)

こんなジョーク言える余裕が欲しい。

余裕って大事。遊ぶ余裕がないのは、遊ばないからだという逆転の発想がある。
遊ばないから余裕がどういうものかわからず、結果、余裕がなくなる。
で、余裕がないから、遊ばなくなる。
うむ。では、遊ぼうではないか。

でも、本当にこの悪循環の渦中にいる人には無理だ。
そういう人にはまず周りの人の助けが必要だと思う。

ちょっとしたことなら、自分の陥ってしまったトラブルに対し、ユーモアで気分を変えることもできる。私がよく使う言葉は「面白くなってきた」だ。本人しか使えない言葉だけどね。
何かトラブルが起きた時、ズーンと落ち込んでしまうと、気力が失せて解決できることもできなくなってしまう。だから、わざとちょっとだけ大きな声で「面白くなってきた」と言ってみる。そうすると、目の前のトラブルが、倒すべきゲームの対戦相手のように見えてくる。

先日も、困ったメールで眠れず、久しぶりの喘息発作も起こり、かなり憂鬱な気分で朝を迎えた。
私は毎日2つの朝活グループにオンラインで参加している。そんな気分の日も、必ず出席する。親しい友人の前向きで優しい朝の挨拶で、心にゆとりができ、自分の苦境を「これって、面白くなってきたってことだよね」とやっと言えるようになる。

状況は朝目覚めた時とまったく変わっていないのに、気持ちがとても軽くなって、よし、解決しようと立ち向かうパワー、いや、誠意を示して、なんとかこの困ったメールを出した人と「なんとかうまくやりたい」とさえ思うエネルギーまで沸いてくる。

「面白くなってきた」と言える、つまり、自分の状況を楽観的に見たり、または良い方に改善しようと試みたりできるのは、わずかだけど心の余裕があったからだ。
もちろん、どんな時にでも心に余裕が持てるような、思考回路や行動習慣を身につけた方が人生楽だよね。でも、本当に負の思考回路の悪循環のまっただ中にいる人を救えるきっかけは「ユーモア」ではないと思う。それは、友情や愛だ。

どん底→友情や愛→少し余裕→ユーモア回路発生→余裕→前向き解決

って感じかな。

ただ、「 遊ぶ余裕を持つために、遊ぼう」という投げかけを、心が健全な時に聞いておくこと、心にとめておくことはかなり有効だ。いざという時に思い出して実行できるから。
さらに、いざという時に思い出しやすくするために、心にゆとりのある時を利用してこの「遊びの余裕」を創るレッスンを普段からしておくことが大切なように思う。

しかし、悪夢の泥沼から、ユーモアの太陽が見える場所に引っ張り上げるのは、ユーモアではなく、まずは友情や愛だ。

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