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知っているようで知らない作曲家「Jean-Marie Leclair」

この数百年の間に、知られた名前の作曲家、全然知られていない作曲家、微妙に名の知れた作曲家など、多くの人間が楽曲を作り、残していったことを考えるとロマンでしかありません。

今日の人は2台ヴァイオリンのレパートリーで、私はよく聞いていた名前の人。その2台の曲を一つ弾くことになり、この記事を書こうと思ったに至ったわけですが、楽譜に少しばかり書いてある一文がこれ。

「彼は殺された」

え??ってなります。そんな訳で少しばかり彼のことを調べますと、彼についてこんなにも何も知らなかったことに少しばかり驚きます。

Jean-Marie Leclair(1697ー1764)

ヴァイオリンの奏法には実は幾つかの流派があるとされているのですが、そのうちの一派がフランコ・ベルギー派。(なんでフランなの?と思うのですが、そこはそのうち探るか…)なんとルクレールはその一派の創始者のような人なんですと。他のところには創始者はベリオなんじゃないかと書いてあるんだけど。。。そもそも、この流派については話し始めると多分バッサリと語り尽くすことが出来ない気がしているのですが、大雑把に言うとフランコ・ベルギー派、ロシア派、どうもドイツ派、もあるよう。。。ネットで調べてたら結構色々な記事が出るので割愛します!

ルクレール、しかもダンスも上手だったようでダンスの教師としても活躍していました。リヨン生まれのルクレールは、19歳の時ダンスとヴァイオリンの勉強のためトリノに行きます。そこで結婚した舞踏家の妻と1728年に死別。何年か後パリに戻った彼はルイーズという版画家と結婚をします。ルクレールの作品を作品2から全てを出版出来るように手筈を整えたのが彼女でした。結局その彼女とはうまくいかず1758年に離婚。1764年にルクレールは購入した小さな家で刺殺体として見つけられ、犯人は不明のままですがその犯行の背景には別れた妻、ルイーズがあったのでは、とか、犯人として一番怪しいのは甥っ子なのでは、などと言われているようです。

生前は素晴らしいヴァイオリニストとして名を馳せていたらしい彼。素晴らしい楽曲を多く残しています。いつかソナタを弾いてみたいものだと思います!



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