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衝動でnoteを始めたら、書きたいことが溢れて止まらない!

こんばんは、ゆかいです。

あなたは、よく考えごとをするほうですか?
ここにたどり着いた方はきっと、つい考えてしまう性格なのではと想像します。

考えごとって、結論が出ることはあれど「完成」はしないじゃないですか。頭の中にあるだけで、現実にはなにもできあがらない。

ところが、こうやって記事にすると「完成」するんですよね。頭の中をぐるぐると巡っていた考えが、言葉として形になり、接続詞で繋がって、ひとつの記事になるんです。

これがね、楽しい。
結晶化して残っていくのが楽しい。


記事が増えるのを見ると、
「いっぱい生きてるな、かわいいね」
と思う。
七面倒臭い考え屋さんな自分を愛でたい気持ち。


でも、書くことに使える時間は限られているじゃないですか。週5日8時間以上働いて、生活を営む時間、寝る時間、家族や友人と過ごす時間、そういうのを除くと、平均して1日1時間取れるかどうかという程度。


ぜーーーーんぜん足りない!!!


だって、
6月23日のnote初投稿から昨日7月16日までで
書いた記事15件に対して、
書きたいことはあと100くらいある!


しかも、考えごとは日々増える。
ぜーんぜん執筆が追いつかない。
もどかしい。雪深い道を歩いている感じ。足が重くてなかなか前に進めない。


さらに、生活の中の限られた時間でインプットとアウトプットのバランスを取ろうとすると、アウトプットにやや多めに時間を割り振らないと間に合わない。そうすると、インプットが抑え気味になるんです。それももどかしい。もっとばくばく食べたい。


書く記事も、本当はもっと書きたいテーマがあるんです。いまはnoteを始めたばかりだから、書きやすいことから記事にしているんですよ。頭の中に、わりとアウトプットに近い、「書きやすい」状態のものと、まだ具体化や肉付けに労力のかかる「書きにくい」状態のものがあって、前者の方を先に完成させていっている。


そうしている理由は、自分が飽き性だからです。短いスパンで記事を公開して、その記事に少しでも反応がもらえたら、ドーパミンが出てより長く書き続けられるかなって。


でも、本当に自分が書きたいことって、「書きにくい」ことの方なんです。
例えば、「私ミラーボール辞めた、万華鏡作る」とか、「人生の研究テーマを見つけたっぽい話」みたいな、読んでもらうためにはそれなりの説明が必要なこと。そういう「書きにくい」状態のものを、書き起こして表現するプロセス自体に、自分にとっての意義があると思っている。
過去の記事でも書いたのですが、私が言語化する目的のうちの1つである、「昇華する作業」がしたいです。まとまりのない話を、どうにかまとめたいのです。だけどそれには時間がかかるのです。


あと、このもどかしさの一因に、自分の継続力への不信感からくる焦りというのもある。
衝動でnoteを始めたものの、熱しやすく冷めやすい自分がいつまで続けられるのか分からない。だから、この衝動の火が消えないうちに、いま書きたいことを書いておきたい。早くしないと、火が消えちゃう!(ここまでお読みいただいたあなた、ちょっとそこのハートのボタンを押して、私の衝動の火に薪をくべていただけませんでしょうか……)



しかしね、私は思うのです。
書き始めたからこそ、書きたいことが湧き出てきたのだと。

「書く」ことをきっかけに、源泉が噴出した。
そこからはもう、溢れっぱなしです。

そんな現象が起きるんだな。
この気づきは自分にとって、大きめの一歩かもしれません。


いまは少しもどかしいけれど、日々が楽しくて、いい感じです。
いつかこの脳の多動力に書くスピードが追いつけるように、速筆を目指してたくさん書きたいと思います。


▼言語化することで、ちゃんと思考できたり、感情を昇華できたりするよねという話


最後までお読みいただきありがとうございます!

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またお会いしましょう。すこやかに〜


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