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精神科初診でADHD確定診断を受けた私の体験記(東京都・30代女性)

以前からADHDの疑いがあり、初めて精神科を受診しました。そのときの診断の流れ、先生に言われたこと、診断がおりたときの心境について書きます。



ADHDの診断はアンケートと医師の問診だけだった

ADHDの診断方法について調べると、大人の知能検査(WAIS-Ⅳ)や心理検査を行うといった情報も出てきますが、私の場合は簡単なアンケートと医師による問診のみでした。

多動・衝動・不注意の傾向に関するアンケート

診察室に案内されると、受診した理由を簡単に確認された後、アンケート用紙を渡されました。17問の質問項目があり、自分がそれに当てはまるかどうかを5段階(だったかな?)で評価するもの。詳しい内容は覚えていませんが、多動・衝動・不注意の傾向があるかを知るための質問だったと記憶しています。

私の場合、「列に並んで待つことが苦痛だ」といった多動や衝動に関する質問にはあまり当てはまりませんでした。不注意傾向に関する質問は「これってみんなそうでしょ? どの程度?」と思いながらすべて「当てはまる」を選択しました。

記入したアンケートを先生に手渡します。先生がそれに目を通す間、私は「当てはまる数が多くないから、グレーゾーンかもしれない。それどころか、ただの無能な怠け者かもしれない…」と、診断がおりないことを恐れるような複雑な心境でした。


問診で伝えたこと、聞かれたこと

問診では、生い立ち、学歴、転職歴を含む仕事の経歴、現在の仕事内容などについて訊かれました。

さらに、その中での困りごとについて詳しく訊かれました。
私は過去の困りごとや失敗を事前にまとめていたので、そのメモを参考にして、自分が特に辛かったこと、社会生活上で影響の大きかったことを優先的に伝えました。

▼過去の失敗エピソードとして主に伝えた内容

  • 大学時代に必修の語学を落として留年したこと

  • 一人暮らしをしていた頃、支払いの督促状が何度も届いていたこと

  • 運転免許証の更新を忘れて失効したこと

  • 友人の結婚式を寝坊で欠席したこと

  • 新卒入社当時、あまりの仕事のできなさにチーム内で個別の対策が組まれたこと

長い人生を振り返ってかき集めれば、誰しもこの程度の失敗談があるのでは?自ら障害者の枠に当てはまろうとしていないか?と自分を疑いながら、話を盛らないように慎重に伝えました。

▼過去の困りごとについてはこちらの記事に詳しく書いています


他に、先生からの質問でこのようなやりとりもありました。

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先生「部屋の片付けや整理整頓は苦手ですか?」

自分「苦手とは、どの程度を指しますか? 片付けは得意ではありませんが、常に整理整頓されている状態ではないです」

先生「本当に片付けられない人だと、例えば足の踏み場もないとかそういった状態になります。いかがですか?」

自分「足の踏み場は、あります。その程度を指すなら、苦手では無いと思います」
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診断がおりることに若干の期待を持ちながらも、事実を知ることで楽になりたい思いから、決してADHDの特徴に自分を寄せることのないよう注意して回答しました。

だからこそ、質問に対して「当てはまりません」と答えるたび、自分はグレーかもしれない、無能な怠け者かもしれない、という不安も高まります。


「不注意優勢型のADHD」と初診で確定診断。医師の見解と治療方針

アンケートと問診を終えると、先生から「ADHDの不注意優勢型ですね。確定でいいでしょう」とその場で告げられました。

先生の見解として、以下の説明を受けました。

  • 普通、運転免許ってあまり失効しないものです

  • 普通、督促状って来ても1回です。連続するということは特性があります

  • (私の通っていた)その大学のその学部って、あまり留年しないものです

  • 留年するとしても、全体的に単位が足りないのであれば一般的によくありますが、重要な語学だけで単位を落とすのは特性があります

  • その大学を卒業するレベルであれば、事務処理能力も人並み以上にあるはず。それなのに、個別に対策するための定例会議を設けられるほどとなると特性があると言えます


それから、今後の治療方針についての説明。
認知行動療法も考えられるが、偏差値の高い大学を卒業しており、ポストイットの活用やタスクの優先順位付けなどの対策も既に実践しているはず。それでも出来ないことで苦労しているのだろうから、ストラテラの後発品(アトモキセチン)を少量から処方する、ということになりました。


ADHDの診断がおりたときの自分の心境


正直、ほっとしました。

そうじゃないかと長い間疑い続けてきたことに対して、「はい、そうですよ」と正式に認められたのです。先生から嬉しいハンコを押してもらえた気分でした。


一方で、ショックもありました。

「発達障害」「精神障害」という言葉の強さには、少し圧倒されます。診断を受けたこの日から、私は、障害者。なにかラベルを貼られた気分でした。


他の些末な感想としては、診断するとき学歴ってそんなに参考にするものなのだな、とか、まさか初診の30分で確定診断されるものとは、とか、薬物治療での変化が楽しみだな、とか。




自分の脳には生まれたときから障害があった。この事実を受け止めるには少し時間がかかりそうだと思いながらも、どちらかと言えばポジティブな気持ちで病院を後にしたのでした。




そして、


病院に、傘を忘れたのでした。

お薬飲もっ(^^)



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またお会いしましょう。すこやかに〜

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