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#教師のバトン「私が先生になったわけ」

私は小学生のころ、総理大臣になりたいと思ったことがある。そのときは、自分がだれよりも頭が良いと思い込んでいて、「私が世の中をかえてやるのだ」と息巻いていた。小泉首相のライオンヘアが子どもながらに、「ダンディで素敵!」と思ったのも関係あったかもしれない。総理大臣になって、社会をよくしたいと漠然と思っていた。

中学校になって、世の中を変えることができるのは総理大臣ではないと悟った。次々と進められていく「聖域なき構造改革」に失望したのかは覚えていないが、とにかく政治じゃ日本はよくならないと感じていた。じゃぁ、何が必要なのか。

そんなことを考えているときに、学校で企画されていた「カンボジアスタディツアー」に参加した。

クメールルージュによる虐殺の現場であるプノンペンのキリングフィールドやトゥールスレン博物館を見学した。ポルポトは、知識は人々の間に格差をもたらすと考え、知識人の根絶を目指した。学校に行くことのできない子どもたちは、平然と武器をもち戦いに向かっていったことを知った。

アンコールワットの周りには、たくさんの現地の子どもたちがいた。この子どもたちは、観光客を見るとわっと寄ってくる。物乞いをするために待ち構えているのだ。現地の案内の人に「絶対にお金を渡してはいけない」と言われた。お金を渡すことで、勉強したり仕事をしたりしなくても生活できると考えてしまうからだ。

私は日本に帰って、改めて考えた。世の中をよりよくするためには教育が必要だと。

子どものころに学んだことは、大人になっても覚えている。知識としてだけではなく、価値として流れている。他者を大切にすること、何かのために努力をすること、そういったことは、知識として直接教えてもらうものではない。繰り返しの経験の中で培われ、価値づけられてきたものなのだ。

私は教師になった。

5年生を担任したとき、総合的な学習の時間に、海のプラスチックごみの問題に取り組んだことがある。地域にある海辺の公園にごみが流れついていることを課題と感じた子どもたち。ごみをなくすためにはどうしたらよいか本気で考えた。

ごみ拾いの活動をしているNPO法人の方に「海のごみの約8割は川からやってくる」と教えてもらった。そこで、海のごみを減らすために、街のごみ拾いをはじめた。学校や地域のイベントで発信をしたり、駅で啓発活動を行ったりした。足をとめて話を聞いてくれる人もいれば、平気で気にせずごみを捨てる人もいる。ごみはなかなかなくならなかった。

ある日、いつものようにごみ拾い活動をしていたら、「私も一緒にいいですか」と近所の人が参加してくれた。子どもたちは、自分たちの活動が他者に影響していることに驚いたと同時に喜んでいた。少しずつ自分たちの思いが広がり、世の中を変えていくことができる、そのことを実感した瞬間だった。

私は今日退職をする。

教員生活10年間を振り返って、改めて思う。教育には、日本を、いや、世界をよりよく変えていく力があると。

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