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乳がん治療の支えになった「フラメンコ」の存在。心の支えがあると、すごい馬力が出るって話。

わたしには、「ライフワーク」として
ずっと共にしたい趣味がある。

それは「フラメンコ」。
スペインの舞踊だ。

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1.死装束はフラメンコの衣装と決めている


もし私が死んだら白装束でなく、わたしが一番お気に入りのフラメンコ衣装を着せて燃やしてもらいたい。

絶対にそうしたいので今からエンディングノートを書こうかと検討しているくらいだ。

趣味というには軽すぎるけど、プロを目指すわけではなく、普通のいち練習生。けれど、このフラメンコが、わたしの生活の軸になっている。

衣装を買うぞ!と仕事を頑張ったり、週に1度のレッスンが生活リズムとなり、体調を整えてくれたり、

なにかあったときも、フラメンコがあるからと頑張れたり、わたしの精神を支えてくれる柱だから「ライフワーク」と呼んでいる。

2.発表会がさまざまな節目になる


そんな私が通うフラメンコ教室で、先日発表会があった。2年半の間、振り付けを学んだ区切りとして曲を踊り、また次の発表会に向けて振り付けが始まる。


今回の発表会は従来よりいろいろあった。息子の受験の最中もレッスンに通ったし、その後コロナ禍でのオンラインレッスンとの併用、本来であれば夏の発表会だったが、コロナの動向を踏まえて半年遅れの発表会。


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2年の練習で仕上げた振り付けの区切りとして発表会に出るのだが、発表会に向けてのギター合わせ、衣装決め、リハーサルなど、だんだん高まっていく緊張感もなんとなくワクワクするし、

踊りきった後の爽快感、そして1つの区切りとしてまた新たな2年に向けてスタートを切る瞬間もゾクゾクする。

そして、発表会を迎えると、また2年経ったのだな、と思う。発表会の区切りが、自分の区切りにもなっている。


3.フラメンコの奥深さにハマった瞬間


フラメンコの発祥は、流浪の民、ジプシー。彼らの踊りが芸術化したもので、どことなく切ないメロディーの音楽と、釘のついた靴でリズムを踏みながらの踊り。そしてギターの掛け合いが奥深い、即興性の高いアートだ。


わたしは日本人だし、そんなジプシーの血は流れていないはずだが、記憶にない赤ん坊のころ、両親がわたしを連れて借金から逃れるために夜逃げしたりして居を転々としていたそうなので、もしかしたら日本版ジプシーな雰囲気はあったのかもしれない。


そうはいっても別にフラメンコの音楽とは何も関係ないが、小さいころから体は固いのにダンスは大好きだった。


社会人になってから、女優の山口智子さんがフラメンコをやっているということで話題になっていた頃、興味を持って習い始めた。


その後結婚し、妊娠して教室をやめてしまったのだが、専業主婦時代にメンタルも浮き沈みが激しくなり、子育て以外に何かやったほうが良いと、ずっと再開したかったフラメンコをやるべく、家の近所に教室を探して今の先生にたどり着いた。


今通っている教室の先生は、「踊りを踊る」ではなく、「フラメンコとは何か」という部分からアプローチをしてくれる。


即興芸術として、ギターや歌い手との掛け合いを大事にして、フラメンコ独特の空気感「アイレ」を出せるように指導してくれる。


さらに、先生が持つ高い身体能力を、わたしのような身体の硬い凡人にできるだけ細かく伝授すべく、丁寧に指導してくれる。最初は大変だったが、その奥深さを知って、どんどんのめりこんでいった。


4.乳がんを乗り越える力をくれたフラメンコ


こうしてフラメンコの奥深さにすっかりハマってしまったのだが、


4年前、乳がんを患った。青天の霹靂だった。自分でしこりを見つけて病院に駆け込み、その場でほぼ悪性と宣告。


精密検査を受けて悪性腫瘍(がん)と確定。右胸全摘切除手術を受け、その後、抗がん剤治療をすることになった。


しかし、その当時、発表会を半年後に控えていた。発表会には絶対に出たいと思い、意地と根性ですべての治療予定を「フラメンコ中心」に据えた。


わたしの乳がんはリンパ節にも転移していて、全摘手術といってもリンパ節も切除し、豪快に胸からわきの下まで切除された。手術の後遺症として腕が上がらないというものがあり、それを避けるためにはリハビリが必要だ。


わたしはフラメンコをしなくてはならなかったので、めちゃくちゃ痛がりだけど腕を上げるために、術後2日目から死ぬ気でリハビリした。縫い目が裂けそうだけど、腕をあげられるように頑張って、1週間後には普通の人と同じくらいまで腕があげられるようになった。


手術のための入院が10日。そして退院3日後に、フラメンコの発表会のためのギター合わせレッスンに参加して、みんなと一緒に踊った。ちょっとふらついたけど、絶対にギター合わせに出たかったし、心配をかけたくなかったので、何食わぬ顔をして参加した。先生もさすがにビビっていた。


後から知ったのだが、術後の患部が柔らかいうちにリハビリしないと、皮膚が固くなってしまって上げようにも上げられなくなるらしい。だからわたしの右腕があがるのは、フラメンコのおかげだ。


5.抗がん剤を打ちながら出た発表会


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その後、抗がん剤治療をする予定だったが、抗がん剤治療中に迎える発表会も絶対に参加をあきらめたくなかった。


ちょうど自分のレベルよりも上のクラスに挑戦していたときで、毎回レッスンについていけず、砂を噛むような気持ちになることも多々あった。それでもなんとか振り付けを覚えてここまできた。ここで辞めてしまったらその努力がおじゃんになってしまう。


幸いなことに、わたしがお世話になった病院は、患者のクオリティオブライフ(生活の質)を優先してくれる方針だったので、ぜひフラメンコの発表会に出たいと相談して、3週に1度のクールで打つ抗がん剤のスケジューリングも発表会の日にちに合わせてもらい、白血球が戻り、一番調子が良いであろう瞬間に発表会を迎えられるように段取りしてもらった。


抗がん剤を打つと白血球が激減し、免疫が落ちまくるので風邪をひきやすいし、悪化もしやすい。だが発表会までは絶対に風邪を引けない。たぶんメンタルで支えていたと思うが、おかげで抗がん剤中は風邪を一度もひかなかった。


6.発表会のためのウィッグを探し、いざ本番


抗がん剤は髪が抜ける。だから、ウィッグで発表会に出ることになる。ウィッグで踊りを踊れるのか、フラメンコの髪型を作れるウィッグが存在するのか、めちゃくちゃリサーチして探した。

わたしの病院はがん専門病院だったので、抗がん剤による外見の変化を相談できる「アピアランスセンター」というのがあった。

そこに駆け込み、事の次第を話して相談すると、「やりたいことはやりましょう!!!」と応援してくれた。

ウィッグが取れないようにする方法や、ロングのウィッグをまとめ髪にできるかどうか、どこにそんなウィッグが売ってるか、などあれこれ親身に相談に乗ってくれた。

まだ抗がん剤を打つ前は副作用も読めずに不安な中、抗がん剤を打ちながらフラメンコの発表会に出るなんて、そんなことができるのか心配でならなかった。けれどアピアランスセンターの人は、できるからやってみよう!とひたすら応援してくれた。

おかげで、抗がん剤を打っている真っ最中に、ウィッグを付けて、フラメンコの発表会に出ることができた。

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アピアランスセンターの人に報告すると、このセンターで「殿堂入り」の快挙ですよ!!と言ってくれた。

怖がりの私が、ここまで頑張れたのは、「フラメンコの発表会に出る」という明確な目標があったからだ。


7.抗がん剤でメンタルダウンのときも、レッスンだけは通った


とはいえ、発表会に出た後、気が抜けてメンタルがガクンと落ちてしまった。


毎日生きてるだけでもかなりきつかったし、ごはんの味もしなかった。だからどんどん痩せていった。10キロぐらい体重がガタ落ちした。それでも発表会後の新クラスには参加した。


発表会後も半年ほど抗がん剤治療、放射線治療が続いたので、頭がぼんやり、心がどんより、自分がお留守な状態だったが、それでも絶対にフラメンコだけはやめないでおこうと思った。


逆に治療することで迷惑をかけられないと、講師業の仕事などをすべてストップしてしまっていたので、ここでフラメンコを辞めたら生きる意味がなくなってしまう、という気持ちで、這うような思いで週1回のレッスンに通った。


そんな日々が1年くらい続いただろうか。おそらく抗がん剤による副作用や、抗がん剤の影響で閉経を迎え、ホルモンの激減もあったのだろう、つらかった日々がだんだん快方に向かい、元気にレッスンに通える日が増えてきた。


だんだんごはんが美味しくなり、パートも始めて身体が動くようになってきた。


そんなわたしの経過も、ぜんぶフラメンコが知っていて、フラメンコがいたから生きていられたな、と振り返ってみて思う。


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7.ライフワークがあれば、力が湧いてくる


病めるときも、健やかなるときも、常に心の支えになってくれるフラメンコ。やはり私にとっては「ライフワーク」と呼ぶにふさわしい存在だと思う。


だからって、毎日練習するとか、自分のすべての時間をフラメンコにささげているわけではないのだが、何か物事を決めるときの優先順位は常にフラメンコ。


レッスンの日は万難を排して空けてある。年間でお休みする日はお盆の帰省で泣く泣く休む1日と、学校行事が入って泣く泣く休む1日くらい。


そんなフラメンコは、やっぱりわたしのライフワークなのだ。


そういう自分の精神を支えてくれる存在というのがあると、いざというときに踏ん張れる気がする。


レッスンは辛いこともあるし、できないときには悔しい。でもやっぱり、発表会の衣装を考えたり、かっこいい振り付けを踊っている瞬間はめちゃくちゃ幸せだ。


エネルギーを注げる対象であり、わたしにパワーをくれる存在。こんな存在に出会えて幸せだなぁと思う。


今日もお読みくださりありがとうございました!


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