フラメンコ・ソロライブ終了。半年間の準備を経てやりきれたこと。
半年前に出演を決めたフラメンコのソロライブが、先日無事終了した。
準備段階では、しんどいこともたくさんあったが、ライブ当日、湘南の海沿いにあるレストランで、美しい海を見ながら踊ったことは、最高の幸せだった。
1.いつかやろう、のいつかは来ない
フラメンコは好きだけど練習は嫌い、でも上手くなりたいというスーパーわがままでズボラなわたしを、どう動かそうか?と考えたとき、
猪突猛進、短期目標があれば頑張れる自分をうまく使おうと、
出演に手を挙げて、お尻に火をつけ、練習していけば上達するだろうという目論みだった。
ほかにも、群舞では自由がきかない衣装とかも、自分の気に入った衣装で踊ってみたいとか、やっぱり踊りをやっているならソロに挑戦したいという気持ちも当然あった。
ふだん群舞で踊っている人間にとって、ソロというのはオソロシイ。振りを忘れたら誰も頼る人がいない。足で刻むリズムも、ズレたらまる聞こえ。舞台には自分しかいないのだから、そりゃあ勇気がいる。
だけど、下手だから出られない、とか言っているといつまでも出られない。なんでもそうなんだけど、できるようになってからやる、と思っていると、その「できる」はいつ来るんだい?いや来ない。
いつかやろう。の「いつか」は、自分で作らないと来ないのだ。
あんなに下手くそなのによく出演するねぇなんて思われているかもしれないが、もうそんなことを気にしていても仕方ない。もう40代後半、元気で踊れる期間だって、そんなに長くない。
だったら、何を想われても、出演して赤っ恥をかきながら、だんだん度胸を付けて、毎回目標を決めて自分なりにクリアし、やったことの振り返りをして改善していけば、ちょっとは見られるものができるだろうという、失敗から学ぶ方式を採用したというわけだ。
今回は選曲も自分の希望を伝えて、出演することにした。というのも、ひとつ自分が乳がんで治療中に辛かった時代を支えてくれた曲を、自分で踊って昇華したいという気持ちがあったから。
2.小さな目標を決めて、振り返りつづけた6か月。
参加を決めてから6ヶ月間、とにかくやれることを決めて、こなしていこうと思った。
フラメンコは、釘がついた靴で踊るので、スタジオを借りないとちゃんとした練習ができない。なのでまずは、群舞レッスンのある日に、必ず1時間自主練をすることを自分に課した。
朝早いので、学校に通う息子と一緒に家を出る。めちゃくちゃ眠いし身体も起きてない状態だけど、とにかく少しずつでも練習する。と決めた。
前日にスタジオ予約をするのだが、毎週「今回はサボろうかな?」とよぎる。けれど予約してしまえばキャンセルできず、料金が発生するので、エイっと予約した。予約しちゃったので、仕方なく練習に向かう。その繰り返しで半年。よく頑張ったなぁ。
ただぼんやりと練習してもしょうがないので、少しずつ目標を決めた。
まず最初の2か月くらいで、構成を考えようと思った。
群舞用に作られた曲は、長くて複雑なので、それを自分ができるようにアレンジして、長すぎるところは切ってみたり、できない足を変えてみたり。
けれど、それがアリなのかどうかも分からない。全くの手探りでいろいろ作ってみて、月に一度、ソロ用のクラスで先生に見せる。そこでまた意見やアドバイスをもらい、修正する。
振り返り、改善には、昔から愛用している振り返りノートを使って、自分なりに目標をつくり、改善する。
先生に指摘された部分や、自分で動画を取ってヘンテコな部分などをかきこんで、次の自主練ではそこを意識して集中的に練習する。を繰り返した。
ライブ直前、2週間前にも先生にレッスンを受けたのだが、そのときにあと2週間で直せることを聞いて、最後はそれを意識して練習。書き込みまくってえらいことになっているノート。
3.ライブ当日。6か月間やってきたことが、出し切れた気がする。
ライブ直前は、疲れてしまうので練習しないほうが良いとの先生からのアドバイスで、用事を入れずに準備に徹することにしてあった。けれどいざ前日を迎えると、あまりにソワソワして何も手につかない。
化粧品や衣装など、揃えるものがたくさんあるのにひたすら落ち着かない。
長い前日を迎えていざ当日。集合してしまえば、そこからはドタバタだ。衣装を着てすぐにリハーサル。息つく間もなく次の曲の衣装に着替えをし、気づいたら始まっていた。
レストランでのライブで、大きな舞台のように照明が強くないので、お客さんの顔も良く見えるし、距離も近い。相当緊張してしまうかなと思ったが、海沿いのレストランで気持ちの良い天気。
この6か月やってきたことを、できるだけ出せるように、そのためには平常心で楽しむ!と言い聞かせていたので、舞台に乗ってしまえば割と楽しめている自分がいた。
まあ、それでも、鏡を見ながら練習しているときに比べれば粗相もあれこれあったし、いざ踊ってみると治したいボロが出てしまったりと、反省すればキリがない。
けれど、この場に立つために、この6か月で自分ができることはやった。それがどう上達につながったかもわからないが、その区切りの場としてやり切った、という爽快感がある。
4.乳がん治療から5年。ともに過ごした友人に見守られた舞台
今回のライブは、乳がんの手術で入院した病棟で意気投合した友人が見に来てくれていた。たまたま座席は最前列。目の前で見守ってくれている。あまりに近すぎて照れ臭い気もしたが、自分が元気に踊っている姿をしっかり見てもらおうと気持ちを切り替え、ソロ曲へ。
病気の治療中、バッサリ胸を全摘して右腕が上がらない状態からリハビリを頑張って、普通の人と変わらない状態になった。
抗がん剤を打って、脱毛で禿げながら、ウィッグをかぶってフラメンコを踊った。発表会も出た。
なんだかんだで結構大がかりだった治療が、病棟で知り合った彼女と出会ったことで楽しく乗り切ることができて、本当に戦友のような人。
彼女とのことについては、こちらの記事に。
そんな彼女が目の前にいて、踊っている最中に涙をぬぐっているのが見えた。
わたしはわたしで、踊りながら、振り付けを間違えないようにアップアップしていたが、そんな彼女を見て、わたしがこんな素敵な場所で踊れているのは、あの治療を乗り超えたからなんだな。とふと思った。
戦友の彼女がここにいてくれて、わたしは踊っている。この場の幸せを味わわずにどうする?わたしは緊張なんかしている場合ではないと思いなおした。
5.踊ることは生きること。生きる喜びをかみしめながら踊る。
そもそも、元気に生活ができているから、この場で元気に踊ることができていて、こんな華やかな場所に出させてもらえている。
乳がんになって、一度「死」を身近に感じたからこそ、そのありがたみが分かる気がする。めちゃくちゃ気分が落ち込んで、ご飯の味さえしなくて、何をしても楽しくない時期もあった。
生きてるって、楽しいことを楽しいって思えるって、素晴らしいことで幸せなことだなぁって、しんどい思いをしたからこそ痛感する。
だからわたしは、フラメンコが多少下手くそでもなんでも、生きてるっていろいろあるけど楽しいよ!というメッセージを乗せて踊りたい。
受け手がそれをキャッチするかどうかはさておき、わたしはそれを発信していきたいなぁと思うし、それが伝わるように、踊りに磨きをかけたいなぁと思う。
まだまだ入り口。だけどこの半年間ほんとうに頑張った。
神さま、わたしにこんな機会を与えてくれてありがとう。そう思いながら美しい海を見て踊れた瞬間は最高の思い出になると思う。
今日もお読みくださりありがとうございました!
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?