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学校があまり好きではない息子を頑張っていかせている話。

息子はもともと学校が好きではない。
マイペースな性格だが、空気が読めるので、人に合わせなくてはいけない場所がとても疲れるのだそうだ。

まあ、生まれたころから息子を見ているわたしからすれば、「まあ、そうでしょうね」という感じ。

知らない場所、予測不可能な場所が苦手。

さらに納得いかないことはテコでも動かない性格なので、学校のようにすべてが決定されていて「こういうことになっている」というものは食指が動かない。

学校では話し合いさえ、答えが用意されているような空気感で、参観日に授業を見学しても、わたしが学生だった昭和の時代となんら変わらず、昔感じたものと同じような「うぇ」という雰囲気だった。

だから、学校がたいして好きでない気持ちには共感できた。しかし、行ってもらわないとそれはそれでこちらの予定が狂いまくり、ひとりの時間が無くなる。

もともとわたしにベッタリな子なので、学校に行ってくれてる間だけがほっとできる時間なので、死守したい。

ので、はいはい行きましょうね、とか学校であったことにできるだけ耳を傾けて、あら楽しそうね~と言ってだましだまし行かせている。小学生から、中2の今もずっと。


1.小学生時代から学校はあんまり好きじゃなかった


小学校は家から徒歩3分ほどだったし、幼馴染と待ち合わせて行ってたので最初はあまり愚図ることもなかった。

なので、小学校低学年くらいは割と楽しく行っていたが、高学年になるにつれてときどき行きたくない日が出てきた。

小学生~中学生の男子の世界は、動物の世界に似ている。
足が速かったり、面白かったり、目立つ子がなんとなく発言力があって、そうでない子はバカにされやすい。

息子は内弁慶で家では果てしなく元気だが、外ではおとなしくて、のんびりで、争いごとを嫌うので、例にもれずバカにされやすい。

住んでいる地域は荒れているわけではないので、そこまでひどいイジメがあるわけではないが、毎日顔を合わせるのに嫌なことを言われるのはきついものだ。わたしも経験があるので、できるだけ息子の味方をするようにした。

低学年の頃は先生に相談したり、高学年になると先生に相談すること自体を嫌がるのでわたしがゆっくり話を聞いたりで、ちょっと疲れちゃった日はお休みして息子とダラダラビデオを見たり、キムチ鍋をつついたりした。

そうこうしているうちに、うちのマイペース息子は公立にそのまま進学させるより、もう少しのんびりした雰囲気の私立に入れたほうが学校に行きやすいんじゃないか、と思うようになり、悩みに悩んだ末に中学受験をすることにした。

勉強嫌いの息子は、はじめは塾に拒否反応を示していたが、塾での滞在時間が長くなるごとに馴染んでいき、学校より塾の方が楽しくなってしまった。レベル別で少人数の塾で「勉強をあまりやる気のないお仲間」が多かったというのもある。類は友を呼ぶ、とは本当で、めちゃくちゃ気が合う仲間だったようだ。

するとなおさら学校がつまらなくなり、塾は塾でハードになり、なんとなく学校を休む日が増えた。6年生の担任の先生は、公務員を絵にかいたような、わたしが大の苦手なタイプだったので、6年生だし、受験もするし、もういいや。と思ったのもある。

地域の老人に感謝しましょうとか、卒業式を立派にやりましょうとか、そういう形式的な会の準備などに大張り切りするタイプで、勝手に盛り上がって達成感を感じているような人。

息子はよく「ああいう会は俺たちのためじゃなく、先生たちがやりたいだけじゃん」とこぼしていた。本当すぎて言い返せない。

やる意味を感じられない、お膳立てされた感謝の会なんてやる意味あるのかね、とわたしも思う。

その先生は私立受験に理解を示しているそぶりをしながらも、あちこちで嫌味を言われてウンザリした。

受験直前の1月は、わたしも息子も、塾に通って対策するほうが良いということになり、学校を休ませると担任に伝えたら「たいした学校行かないのに気合入れて1月休んだりしたら、ちょっとイタイかも」的なことを言われて、もうこの人とできるだけ関わりたくないと思った。

ちなみにうちの地域、半分くらい私立受験がある地域。あからさまに反対はできないけれど、心の中では嫌っているんだな、とよくわかってサッパリした。

そんなこんなで公立のお堅い部分にも辟易したので気持ちよく割り切って受験に臨むことができた。

塾の先生がとても優秀で、やる気のない息子とその仲間を上手いこと乗せてくれ、仲間全員希望の中学に入ることができた。

おもちゃやモノには執着が強いのだが、なぜか友達に執着がないのでみんなと別れて私立に行くことは問題なかった。1学年2クラスしかなかったので、ちょっと狭すぎる人間関係もどうなのかな、と思っていたのでちょうどよかった。

2.中学で場は変わったけど、学校好きになるわけではない


めでたくゆるそうな私立中に入学出来たものの、合格直後からコロナ禍に突入した。息子は「休みが増えた」と喜んでいた。息子は超インドア人間なので、家から出なくてもまったく平気。しかも受験塾時代に仲良くなった友達たちとオンラインゲームをするようになっていたので、毎日オンラインゲームで楽しく過ごしてノーストレス。助かったと言えば助かった。

コロナ禍があけて6月に入学式。現地まで行ったのに親は体育館に入れないという寂しい入学式。ほぼずっと分散登校で、マスクをつけて新入生の顔なんて分からないまま夏が過ぎた。

コロナのせいも多少あるし、別に私立だからといって学校は学校。学校が苦手な息子がいきなり学校好きになるわけではない。

中学は電車通学。人混みが苦手な息子が通いやすいように、あまり遠くなくて、のんびりした田舎にある学校。たいして遠くないが、1回乗り換えがある。行くのはすぐに慣れたが、家から徒歩3分の小学校と違って、駅まで行くのが気が重いらしい。

スタートがそんなだったのもあるが、息子はわたしに駅まで一緒に行ってほしいと言った。駅まで行くと「外のスイッチ」が入るらしく、急にわたしに「他人のふりをしろ」という。ついて来いと言われてついていったのに、いきなり帰れと言われるのもなんだかなぁと思ったが、これが息子なりに学校に行きやすいやり方なのであれば、「もう来なくていい」と言われるまでついていこうと決めた。

周りに「甘やかしている」とか言われるかもしれないとか、昔のわたしだったら思ったかもしれないが、この子が学校に行かなくなって困るのはわたしだ。駅まで一緒に歩くだけで行っていただけるなら、それくらいやる。

朝がめちゃくちゃ弱いわたしだが、寝ぼけたままパジャマの上にずぼっとワンピースを着て、朝の散歩だと思って駅まで徒歩7分の道のりを息子と歩く毎日は悪くなかった。眠いまま歩くと身体が目覚める。

息子も朝の駅までの道のりでいろいろと話してくれる。行きたくなさそうな日は、「いいなぁ青春」と羨ましがって盛り上げる。

学校生活、周りに合わせるのは疲れるかもしれないけど、嫌なことも楽しいことも、恋もなんでも今しか経験できないことが意外と詰まっているし、悪いことばかりじゃないから、とりあえず行こうぜ、と背中を押して見送っている。

改札を抜ける息子の背中を「今日も楽しく行って来られますように」と祈るような気持ちで見送る。

3.マイペースな息子の成長には、適度な刺激が必要だと思う


中2になり、ある程度学校生活がまともに始まると、そこそこ友達もできたり、女子と話すようにもなったりで、学校の話をすることが増えた。行けば行ったでそれなりに楽しいこともあるようだ。

けれど学校嫌いという基本姿勢は変わらないので、息子はコロナで休校になるたびに「わーい」と喜び、ゲームに興じる。

夏休みの終わりには、「学校が爆破されればいいのに」とか言う。そしてその息子の希望通り、残念ながらコロナで夏休みが延期になったときも「おっしゃー!」と小躍りした。学費を払っているうえに、いいかげん一人の時間も欲しいわたしはゲンナリだが、そういう息子だ。

まぁ別に集団行動が好きじゃないのは、わたしも同じだし、学校という決まり事が多くて集団行動求められる場所があんまり居心地が良くないのはわかっているのだが、彼は放っておくと外に全く出なくて一生引きこもれてしまう体質の人なので、外に出てある程度刺激を与えないと成長しないのだ。

もちろん中学でも、嫌なことを言われたりすることがあるらしく、そんなときはひたすら話を聞く。ちょっとひどめのときは、わたしがこっそり先生に電話して、わたしが話したことは内緒にしてもらい、ちょっと様子を見てもらうように頼んだりした。先生が若い男の先生の割にそのあたりに目が届いたので助かった。

小学校でも相当からかわれたので、「いじめるやつは自分に自信がないやつだから」とかちょっと仕上がったことを言うようになった。当然嫌な体験だっただろうが、それも学校で刺激を受けたからこその成長かなと思う。

中学、高校くらいまでは、学校と家しか生活の場所がなくて世界が狭い。だから刺激を受ける場所自体が学校しかないのだが、やはり他者の中に入るというのは成長を促すのだなと実感する。

実際、コロナで入学が遅れてずっと室内で過ごしていた時と、9月ごろになりやっと学校に行けるようになって過ごしている毎日と、明らかに受けている刺激が違った。

誰かがムダ毛を剃っていたから俺もやりたいといっていきなりカミソリで腕の毛を剃ってみたり、女子と恥ずかしくて話せなかったのにこんな話をしただとか、やっぱり刺激を受けることで成長するのだなぁと実感する。

だからこの子は、学校という場所で適度な刺激を受けるのが必要だなと思っている。

勉強などにうるさい学校だと、きっと嫌になると思い、念入りに選んだ「ゆるそうな学校」なので、授業中すやすやとお休みになっているときもあるらしい。ツンツンと優しく起こしてくれるらしいので、学校嫌いの息子でも、まあまあ居心地が良いのかもしれない。

だけどこの子は放っておくと学校に行かない。行ったら行ったでそこそこ楽しいときもあるんだけど、やっぱめんどくさいから行かないと言う性質なので私がなだめすかして行かせる。

学校に行く行かないの是非については、実際に不登校で悩まれている方もいるし、うちのように、中途半端な状態でも行くだけまだいいじゃないと思われたりする方もいるだろうが、なんとか行っていただこうと思って毎日手を尽くしているのでなかなか疲れる。

自分の意思がハッキリしている子なので、大きくなったらきっとお互いラクだと思うのだが、今がなかなかしんどい。

普通に楽しんでいってくれてる子が、ぶっちゃけうらやましいなぁと思う。

4.どうしても休みたい日の息子の「作戦」に負ける日々


毎日このように、もともと学校好きでない息子を駅までお供して行かせているのだが、それでもどうにも気が乗らない時があるようだ。

朝「なんかだるい」だの「鼻水が出すぎてきつい」だの、だいたい週の初めあたりが多いのだが、駅まではわたしがだましだまし連れて行くので休みにくいようで、電車には乗る。だいたいの場合、それで押し切れるのだが、そうしても休みたいとき、息子がある作戦をひねり出した。

それは、途中駅で「やっぱ具合悪い」と電話をかけてくる作戦。

電車通学の息子は、1回乗り換えがある。その乗り換え駅まで10分程度。とりあえず見送られた以上、電車は乗らないとまずいかなぁと思うのだろう、おとなしく行くのだが、帰宅してほっと一息ついたあたりで電話が鳴る。だいたい乗り換えの駅からだ。

直接顔を見て言うより、電話で言う方が「休みたい」と言いやすいから確信犯的な部分がある。

おそらく月曜病だろうと思うときに「なんかだるい」と言われたら「熱ないし大丈夫、困ったら保健室行って」と送り出すのだが、電話だとわたしの強制力が弱まるのを知っているのだろう。もう一度途中駅で食い下がってみて、ダメなら諦めて行くときもある。

今朝も行きたくなさそうな顔をしていた。昨日食べた焼き肉がちょっと油っこくて「気持ち悪い」とのこと。けれど顔色も良いし、月曜病も絶対にあると踏んだので駅まで送って、気持ち悪かったら保健室に行けと言って送り出した。

なんとなく今日は「休んでやる」という固い意志を感じたのと、わたしも午前中だけ用事があって午後はフリーだったので、「電話かかってきそうな予感」があった。家に着くとやっぱり電話。「電車に乗ったらやっぱりキモチワルイから帰りたい」はい予想的中。そして、そういわれると、実は本当に気持ち悪いのかなと心配になるのが親心。

だいたいの場合大丈夫なのだが、ときどき軽く見ていたら意外と熱を出したりとか、便秘をこじらせて脂汗をかいてたりとか、何度かある。なのでもしかして実は調子が本当に悪いじゃないかと思わせるあたりが、さすが息子だ。

今日は休む予感がしたので、授業時間中はスマホもゲームも禁止という条件付きで休むのを許可した。帰宅した息子の顔がほくそ笑んでいて、やられたと思った。今日はわたしの負け。午前中でかけるので、具合悪いのだからちゃんと寝ておけといって家を出た。

胃もたれしているというので昼ごはんは何が食べられるだろうと考えて、息子の好きなちらし寿司を買って帰宅した。するとわたしが帰ってきた気配を察して息子は寝たふりをしていたが、キッチンには焼きそばUFOの食べた後があった。胃もたれしてるのにソース焼きそばかよ。やられた。完全に今日はわたしの負け。

ときどき定期テストなのに行きたくないとかでわたしの地雷を踏んで途中駅からの訴えを却下することもあるが、だいたい途中駅から電話が来るときは「いかない」と決めている場合なので、あえて負けてやることが多い。無理やり行かせて嫌になってずっと行かないのも困るし。そういう余裕を持てるための高校受験回避でもあるし。

しかしこういう日は疲れる。久々に予定のない午後、ひとりでゆっくりしようと思っていたのに、息子がいれば結局小間使いだ。リンゴを向けだの、腹が減っただの、わたしの優雅な午後はなくなった。

まったく困ったものだ。

いつも駅まで一緒に行くが、一度だけ、コロナワクチンの接種後に副作用で起き上がれなかった日があった。さすがにしんどくて息子1人で行ってもらったが、やはり途中駅で電話がかかってきた。

息子はワクチンを打ってるわけでもないのに「やっぱり俺もなんか調子悪い」と言う電話。

絶対調子悪くないだろ、確信犯だろ、とわかっているのに、わたしがしんどくて抵抗できないくらい弱っているのをいいことに、ひょうひょうと帰ってきて家でごろごろしていた。仕方ないのでごはんは宅配で頼んで、受け取りだけ息子にさせた。休んだけど別にわたしの世話はしてくれない。泣ける。


しかし毎度毎度こういうことされるとほんとに母はたまらない。やっと1人でゆっくりできる時間を持てると思ったのに、予定が瞬時につぶれる。また息子に腹が減っただのなんだのオーダーを出される。めんどくさい。振り回されるのは今のうちだけだとわかっていても、HPがグイグイ減っていくのが分かる。


子供のためにと言うよりは自分のために1人になる時間が欲しい。そのために学校に行ってもらうのは違う気もするが、息子は息子で学校でもないと家から出ないし、運動不足もひどい。彼の刺激のためにも行ったほうがいいと思うし、行けよ。と思う。

家族はずっと一緒にいると煮詰まってしまう。お互いがお互いの時間を持つことは大事。と痛感する。

コロナでオンライン期間とか、旦那の在宅とか、家族がいつもいる状態が増えて、ただでさえ少ない一人時間が減ってきつい今日この頃。

5.そんな息子が大きく羽ばたく日を願ってやまない


こんなマイペースで独特な息子。手がかかって仕方がなく、めちゃくちゃ大変ではあるが、息子はとても面白いヤツで、個人的に大好きだ。

自分なりの考えをしっかり持っているので、きっと将来は頼もしいと信頼している。

とはいえ現在中2の息子にやっていることは、幼稚園バスに乗せる幼稚園時代からあまり変わっていない気がする。

気乗りしない息子を連れて、なんか楽し気な話をして、とりあえずバスに乗せてしまえばこっちのもん。と思っていた幼稚園時代と同じで、なんか楽し気な話をして、駅の改札までいけばこっちのもん。て感じだ。

知らない場所、予測不可能な場所が嫌いだし、やらされてる感があることが嫌いだし、他人に合わせて気疲れしてしまう息子はきっと今の学生時代がいちばんキツイだろうなと思う。

大学生になれば、学ぶこと自体が専門的だし、そこまで同調圧力を感じる場面も少ないだろう。

さらに大人になってしまえば、そこから先は自分で選ぶことだらけだ。今のように時間割が決まっていてその通りにしなくてはいけないわけではない。

息子のような、興味がわかないことに1ミリも興味を示さず、好きなことには夢中でのめりこむタイプは、日本の「まんべんなくソツなく」な教育はまったくもって面白くないだろう。

なので海外とかで興味の分野を深掘りできる教育を受けたらどうかと思うのだが、なにしろ知らない場所が嫌いなので「日本を出たくない」らしい。

そんなのも大人になるにつれて変わっていくのだろうが、彼が彼らしくいられる場所を見つけて、息子なりに楽しい人生を歩んでくれるよう祈るばかり。

そして他人の面倒を見ることに向いていないわたしが、ここまで心血を注いでいるので、あまり長期間はもたない。実はすでに14年で子育てにも飽きている。手が離れそうで離れない、あとひとふんばり、と自分に言い聞かせて頑張っている。

マイペースで手がかかる息子が、手をかけたことがどう出るか分からないし、将来どうなるか分からない。でもきっとこの子は面白い人生を歩むだろう。わたしはそれを応援し続けると決めている。

どうか息子が幸せになりますように。

今日もお読みくださりありがとうございました!

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