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「野菜嫌いの子どもが分からないように小さく刻んで野菜を食べさせるレシピ」に疑問を感じる件

「野菜嫌いの子どもが、苦手な野菜と分からず食べられちゃうレシピ」
みたいな特集を見ると、強烈な違和感を感じる。

めちゃくちゃ小さく野菜を刻んでハンバーグに混ぜ込んで、分からないように食べさせる、的なやつ。

なんというか、子どもが小さいころの育児の悩みって「食べ物の好き嫌いが激しい」ってのが結構多くて、育児本もそういうQ&Aがあるあるだ。

お昼のワイドショーでも「野菜嫌いの子どもに分からずに野菜を食べさせるレシピ」なんてのをやっていて、そこまでして特定の野菜をモーレツに食べさせなくてはならない理由はなんなのだろう?と不思議だ。

1.命にかかわるほどの偏食ってあるのか?


子どもに限らず、大人だって好き嫌いはある。わたしは小さいころから甘いものが苦手だ。青魚も苦手だし、トマトも好きじゃない。けれど食べられるものの中で栄養のバランスはとれるし、別に困っていない。

子どもも同じで、偏食はあれど、「人命にかかわるほど偏食」ということはないと思うのだが、どうだろうか。

もちろん家庭での食事は、その人の食生活に大きく影響するから、食育は大事だと思う。わたしだって息子には栄養のバランスを考えて食事を作っている。だけど「食べられるものの中で」やっているし、無理に食べさせることはしないで来た。

刻んで入れちゃえ、をやったのは、餃子に入れるネギくらい。ないとわたしが物足りなくて、息子はわからず食べちゃうから。

とりあえずうちの息子には食べ物をほとんど強制せずに来たが、食べられる味付けや食材に限りはあるけれど、まあ、全体で見たらバランスいいんじゃない?という感じになっている。


2.嫌いなものを無理に口に入れさせる、という考え方が嫌い


ただ、「子どもが嫌いな野菜を、分からないように刻んで食べさせちゃえ」っていう企画自体が、なんか嫌だ。

わたしだって、嫌いな食べ物をわからないように仕込まれたら、すっごく嫌だし。いささか乱暴じゃないかね。

たとえば野菜は身体によいからこっそり仕込まれても「やられた!」で済むけど、やっていることは結構ひどいと思う。

たとえば、昆虫食が当たり前の東南アジアに住んでて、栄養満点だから、と、こっそりなんだかわからない昆虫を刻んで仕込まれたりして、うっかりそれを食べちゃって、後から知ったら絶対吐く。そして、食べさせた人を一生恨む。

もしかしたら、意外と美味しくて、そこから昆虫食にハマることもあるかもしれないが、やっぱり自分が知らないうちに無理やり食べさせられるって、気分は良くない。やってることはそれとあまり変わらないと思うのだ。

子どもは確かに大人に比べたら、疑わないし、知識も少ないけれど、だからって嫌いなものを勝手に口に入れさせて良いわけではない。人権があるのだ。好き嫌いの主張くらいさせてやりたい。

3.その食材の個性を潰すより、活かすレシピを考えたほうが良い


子どもが嫌いな野菜を分からないように刻むよりは、せめてその食材を美味しく食べられるレシピで、子どもが納得して食べられるようにしたほうが良いんじゃないかと思う。

そして、そこまで仕込んでまで、野菜を食べさせなくちゃいけないのか。そこに「子どもは野菜を食べるべき」という思い込みを超えた強迫観念みたいなものを感じる。それに違和感を感じているのかもしれない。

ある番組で、「嫌いな人が多いセロリを、美味しく食べられるレシピ」というのをやっていて、セロリ嫌いな人が、やはり内緒でセロリを仕込んだ料理を食べさせられ、ギリギリセロリを食べられた。というのをやっていたが、これもなんだかなぁ、と思った。

セロリなんてそもそもマニアックな味がするし、独特の香りがあるのだから、完全に好みが分かれる食品だ。これの個性を潰してまで食べさせる必要あるの?という感じ。

セロリ農家が、セロリを世に広めたいという啓もう活動という意味では、ものすごくやる価値があるし、どんどん美味しいレシピを広めてほしいと思う。

わたしもセロリなんか「絶対無理」だったが、昔、恵比寿の屋台で食べた「セロリの漬物」は美味しくてハマった。だから意外な美味しさを教えてくれる分には助かる。

だけど、食材の良さを殺してまで口に入れさせようというのは、その人にも失礼だし、何よりその食材に失礼だ。個性を殺してまで食べてくれと思ってないだろう。

野菜でも肉でも、その味を味わっていただくのが良いのではないか?

3.嫌いならほかのもので補えばいいじゃん


ところで、にんじんとかピーマンって、そこまでして食べさせなくてはいけない野菜なのか?

子どもの好きな果物とか、ほかの野菜とか、別の食べ物で、それを補えないのか?何より、細かく刻んで、味を分からないようにされた野菜に失礼というか、そんなに嫌いなら食べなくていいじゃん。と思うのだ。

人間だって動物だし、必要な栄養素が足りなければ、脳が補うように指令を出すのじゃないか。と本能を信じている部分もある。自論なので根拠はない。悪しからず。

どんな食材にも、さまざまな栄養素が含まれている。身体は、入ってきたものから、必要な養分を取っていく(のだと思う)。にんじんはβカロテンが豊富らしいが、にんじんしかβカロテンが取れないわけではないだろうし、βカロテンが十分に取れないからといって健康被害がすぐ起きるわけではないし、そもそもにんじんはβカロテン以外の栄養分もある。

他の食材もしかりで「〇〇が豊富な食材」でも、他の栄養分は入っているし、それが豊富じゃない代わりの食材だってあるのだ。

だから目くじらを立てて「にんじん意地でも食わす!!!」と思わなくても、果物をたくさん食べるとか、何か代わりになるものを探すほうがずっと親子ともに気が楽で前向きな気がする。あくまで自論です。


4.健康のために食材の個性を潰すってどうよ?


健康に良いから。という理由で、素材の良さをぶち殺して食するのも、わたしはあまり好きではない。

健康マニアの旦那が、オリーブオイルが身体によいと聞き、超高級オリーブオイルを納豆に混ぜて食べていたが、なんてもったいないことをするのだろうと思った。

高級オリーブオイルは、搾りたてのオリーブの香りが高く、そのまま味わってこそ価値がある食品だと思う。「体にいいから」と納豆でオリーブオイルの豊かな香りを消すなんて、高級オリーブオイルに申し訳ない。

わたしは普段の料理には激安オリーブオイルを使うが、パンを食べるときだけ、その高級オリーブオイルをもらっていただく。鼻に抜ける爽やかな香りは、安いオリーブオイルでは絶対に味わえない香り。これを納豆に混ぜて香りを消すなんてオリーブオイルへの冒涜だ。

同じようなことで、うちの母も、関西人で納豆が苦手な人種なのに、我慢して健康のために納豆を食べているらしい。

関西の人は、納豆を食べる習慣があまりなく、あの独特なにおいがめちゃくちゃ苦手な人がけっこういる。まあ、外国人みたいなもん?

そんなに苦手な納豆を健康のために無理して食べるストレスの方が強いと思うし、納豆と同じくらいの栄養がある代替食品くらいあるでしょ、と思う。
なすのぬか漬けで発酵を補い、なんか豆腐とか食べておけばイソフラボンは補える。とか。

といっても、この「健康のために」族の人は聞く耳をもたないので、勝手にやっていてもらえばよいのだが、人でも野菜でも、その個性を活かさずに味わってもらえないのは、もったいないなぁ。と思う。

それが嫌いなら、別の何かがきっと存在するだろうし、世の中そんな風にあっちがダメならこっちでなんとかなる」ようにできていると信じている。

人も動物だし、自然の一部。だからもっと俯瞰して包括的、長期的な考え方で、ゆったりものごとを見てもいいじゃないかな、と思う今日この頃だ。

今日もお読みくださりありがとうございました!


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