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南米最大の東洋人街?黒人奴隷の歴史を残すリベルダ-ジ

サンパウロの愉快米です。サンパウロには、南米最大といわれる東洋人街リベルダージがありますが、その歴史は黒人奴隷時代にまで遡ります。

東洋人街として知られる前は日本人街だったリベルダージ、1856年にConsoração墓地が出来るまでは、黒人奴隷の処刑場と墓地を兼ねた場所でした。

▼目次

・戦前移民が住み着いた日本人街、時を経て東洋人街に姿を変えた

・名前の由来は死をもってしか得られなかった黒人奴隷の「開放と自由」

戦前移民が住み着いた日本人街、時を経て東洋人街に姿を変えた

戦前、多くの日系人が住みつき、新聞社や映画館が建ち並び、日本人経営の店で栄えましたが、第2次世界大戦で多くの日本人が離れていきました。

その後も日本の店が並ぶ日本人街として知られていましたが、近年多くの店が韓国や中国人経営に取って変わり、東洋人街と名を改めました。

名前の由来は死をもってしか得られなかった黒人奴隷の「開放と自由」

リベルダージの深い歴史を辿っていくと、日本移民のずっと前黒人奴隷時代に遡ります。

2018年基礎工事で掘り起こしていた土地から人骨が出たというニュースがありましたが、リベルダージ駅前広場はかつての処刑場、そこからEstudante通りに下っていく一帯は、処刑後に葬られる墓地でした。今でも通りの奥にひっそりと当時の礼拝堂が佇んでいます。

そんな歴史からリベルダージ「開放・自由」という名が付けられましたが、日本・東洋文化で賑わう今、知らない人も少なくありません。

Capela dos Aflitos(苦悶者たちの礼拝堂)は健在

買い物客で賑わうリベルダージの通りの奥に、ひっそりと佇む礼拝堂があります。その昔リベルダージ広場で処刑された、黒人奴隷や反逆者を葬った場所のど真ん中に位置し、墓地が移され姿を変えた後もそこに残り続けました。

マリア様や天使たちが並ぶ礼拝堂内では、途絶えることなく沢山のロウソクの火が燃え続けています。週末は閉まっていることが多いですが、平日の昼間に行ったときは開いていて、中に入ることができました。

リベルダージ広場でマーケットが開かれる週末、足の踏み場もない程混雑していますが、平日なら落ち着いてその歴史を感じることができるかも知れません。リベルダージを訪れる際は是非、今のブラジルの土台となった歴史の足跡を探してみてください。

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