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Facebookライブをやって分かったこと

サンパウロの愉快米です。

2021年は思いついたことは、頭で考えずにとりあえずやってみようと決めました。それで始めたのがFacebookライブ。

これは日にちも時間も話す内容も、全部自分で決めるので、やるのも継続するのも、相当な覚悟とパワーがいるなと思ったのが最初でした。

最初は顔出しに抵抗があったので、とりあえずブラジルの様子を見たい人いるかな?と思い、中心街やビーチ、教会などを映して歩いてみました。

でも自分のことで精一杯だった私は、せっかくコメントで声をかけてくれる人がいるにも関わらず、最初は無声だったり、自分のことばかり話したり、

とにかく自分にベクトル向きまくり・・・

本当に失礼なやつだったんですが、それでもまだ諦めずに継続する段階でした。違和感を感じつつも、考えずにやる。

そのくせ、違和感の正体を突き止めたくて、一人反省会をしては色んな分析をして、少しずつ色んなことが分かってきました。

そっか。ライブのよさは人とのコミュニケーションが出来るところにあるんだ。当たり前のことなのに全然わかってなくて。。。

実はライブを始めるに当たって、すでにライブ配信をしている方の動画をいくつか見て少し研究してみて、やる前にこうしようと思ったのが以下。

・人の時間を奪わないように、テンポよく話そう。

・聞いてくれてる人に役に立つ時間にしよう。

・面白い話、なるほどな話、見たことのない景色など・・・

・自分のことを知ってもらうために、人生経歴を詳しく話そう。

だからライブスタートした瞬間は、どうしたらいいのか分からないくせに、とにかくテンションあげて話しまくるみたいな感じになっていると思う。

そして、その勢いで誰かお話しましょうと声をかけたら「是非!」と言ってくださる方がいて、

今までだったら「申し訳ない」「私となんか」「うまくできなかったら」とか思っちゃうところを、一旦思考停止してお願いすることにした。

初めての対談ライブの日、実はまだこう思っていた。

「自分を知ってもらうために話したい」「どうやったら自分の話を聞いてもらえるか」・・・

正直恥ずかしいけど、ベクトルは完全自分向きだった・・・


その日は、対談相手の方のお友達が沢山見て下さり、コメントを下さり・・・流れに任せつつも、

テンポよく話そう、盛り上がった話題の中で自分のことも知ってもらおう、とにかく意義のある時間にしよう(視聴者の目と自分の評価を気にして)と思っていた。

結果的には、対談相手の方とそのお友達のみなさんが溢れる愛情で受け止めて下さったので、話も盛り上がりなんとなくいい感じで終わることが出来た。

そして、自分を追い込むように定期的に日にちを決めて、間を空けずに今度は一人で自分の話をするライブ配信を行った。

問題はその後、

自分の中でまた違和感がむくむく出てきて、いつものように反省会と分析が始まった。

そこで気付いたのは、ライブの視聴者の方は私の話を聞きたくて見に来てくれてる訳じゃないこと(勿論そういう人もいてくれてると思うけど)、

最初の対談の時は、みんな対談相手の人の話を楽しみにしていたんだと思う。それなのに自分にベクトル刺さりまくりの私は、自分の話を聞いてもらおうとばかり思っていて、それに気付いた時自分がとても恥ずかしかった。

そしたら一気に、相手の方の優しさを大事に受け取ってなかったとか、アニリゾの兄貴が言っていた「自分を底辺に置く」なんて全然出来てないとか、それどころか、かなり勘違いしてない?調子乗ってない?

と思い始め、対談して下さった方も視聴者のみなさんも楽しかったと言ってくれたものの、自分では「己の本当の姿」を思い知ったというか、完全に恥ずかしくなってしまった。

よく言えば、ライブをやったからこそ、そして色んな形で何回かチャレンジしたからこそ分かったこと。これを次に生かせばそれはそれでいいのかもしれない。

それに気付いてから、いつもの癖でモンモングルグルしてしまった私は、以前なら忙しい旦那を捕まえて聞いてもらっていたけど、今回はFacebookの投稿に投げた。ただ独り言として吐き出したかった。


前回のライブでも言ったけど、確かにひとのせいにばかりして依存症な私だった。でも一匹狼が好きだし、事ある毎に自分のもやもやを解消するための分析をしたり、そこからの気付き、向上、成長も好きなので、

そのつぶやきは決して「可哀想そうだね」「大丈夫?」「私たちがいるから元気だして」というみなさんの心配や愛情、ましてや注目を引こうなんてこれっぽっちも思っていなかった。

今までも自分の恥ずかしいところ、駄目なところも正直に書いたので、これも正直な気持ち。

でも、私は全く予想していなかったのだけど(それ故に、めっちゃ抽象的に書いた)沢山の人から優しいコメントや励ましの言葉を頂いた。

あの投稿文では、きっと私の真意は伝わらないと思う。

でも、あれは「自分が自分が!」ってなっていたこと、それは対談相手の方に任せてなかったから、相手を信頼できていなかったから、自分のペースでどうにかしてやろうとどこかで思ってたからじゃないかなっていう、自分の思いを書いた投稿だった。

それは全部自分の問題で、

そう気付いたから、申し訳ない思いと恥ずかしい思いと、反省を込めて投稿に投げたのだけど、

思った以上に皆さんが優しかった。本当のことを言えば、慰めて欲しいとか優しくして欲しいとか、構って欲しいとか、注目されたいとか、本当になくて(こんなこと言ったら失礼なやつだと思われるかもしれないけど)、でも皆さんの優しいコメントに、ひとつずつ「ありがとうございます」と返した。

本当は違うけど、それでいい。

私の反省があり、みなさんの優しさがあり、それはそんなつもりじゃないよとか、ましてや自分にベクトルが向きまくってて相手に失礼なことした!なんて公言する勇気もなく・・・

ただ手放したかっただけ。

それもそれでよかったのだけど、

またひとつコメントを頂いて。その方は会ったことはないけど、とても素敵で前向きに生きていて仲良くしてもらって、本当にありがたいと思っているのだけど、

その方からの愛のメッセージを見て、また考えさせられた。

「実はみんなにちやほやされて優しくしてもらってる状況が心地いいんじゃないかな、それに気付いて変わらないと何も変わらないよ!」というメッセージだった。

なるほど!確かにそう見えなくもない。ちょっと意味深な発言をして、それに対してみんなが優しい言葉をかけてくれて、ありがとうございます!って返している。

もちろん、本当に私のことを思ってくれたからこそのメッセージであり、じゃなきゃなかなか言えないことだとも思う。だから、本当にありがたく受け取ったのだけど、

また、私の中の違和感の原因探しが始まった。

言ってることはよーく分かるし、確かにそういう人もいるかもしれない。でも、自分は全くそんなつもりはなく、今までこういう思いを吐き出す場所がなかった私にとって、Facebookの投稿で吐き出せることは大きな助けになっていた。

そして、それに対して頂いた皆さんの優しい気持ちに対して、そんなつもりはないとか、そういう意味じゃないとか言う必要もないし、言い訳する必要もないし、そもそも誰かに宛てた言葉じゃなかったので、本当にただ「みんな優しいな」と「申し訳ないな」「恥ずかしいな」という思いだけで受け取って、感謝の気持ちを返したつもりだった。

何が言いたいかというと、本音を出してもいいけど、伝わらないこともあり、勘違いされることもあり、そして言い訳できないこともあるなぁと。

それをみんなに見られてしまうわけだから、その勘違いも言い訳できないのも、周りの人にも伝播していくなぁと思って、ちょっと何とも言えない気持ちになってしまった。

こんな長々と、愚痴みたいになってしまったので、ここまで読んでくれている人は少ないと思うけど、ここで胸の内を明かすことも、私の心の支えになっている。だから、感謝しています。

本題に戻ろう。

Facebookライブをやってみて分かったこと。

・テーマは決まっていた方が話しやすい。もしくは、早いうちにテーマを見つけること。

・自分の話を聞いてもらうより、相手の話を聞かせてもらうほうが、よっぽど勉強になるということ。

・相槌の仕方と相手の話をさえぎらないように気をつけること。

・画面には映っていないけど、コメントを下さる一人ひとりが自分と向き合ってくれている。早くて追いつかないとか言わずに、誠実に返すこと。

・自分がどう思われるとか、勘違い、誤解されるとか、そんなのどうでもよくて(みんなそれぞれの色眼鏡でみるから、見て欲しいようには見られず、見たいようにしか見えない)ただ、目の前の相手もしくは画面の向こうの誰かに向かって、誠実に正直に素直に自分を表現していくこと。

・それぞれ色んな意見があり、失敗もあり、やらかすこともあり、自分をさらけ出したことで恥ずかしい思いをしたり反省することもあり・・・でも、そこに学びがあるということ。

・リアルに人と会いにくい今(私の場合は距離もある)、オンラインで画面を通して会話が出来るのは、リアルで会いに行き、その人から学ぶことと同じ体験が出来るということを忘れないこと。

長くなりましたが、そういう訳で、これからは自分のことを知ってもらうより、自分のことを話すより、色んな人の話を聞きたいし、色んな人のことを知りたいと思っています。

リアルに人に会えなくても、それは何も出来ない、学べない、成長できないことの言い訳には絶対にならないということがよく分かりました。

まだまだ変化についていくのは、大変だったりもするけれど、こんな大きな体験が出来る時代に生きていること、生かされていることに感謝して、大いに楽しもうと思います。

Facebook@愉快米で投稿・ライブ配信していますので、よかったら覗きに来て下さい。最後までお付き合い頂きまして、ありがとうございました。


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