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戦い方はひとそれぞれあっていい

ひとに会う予定が多いと、ゆっくり文章を書く時間がとれない。が、今はひとに会って話を聞きたいし、聞いて欲しいという気持ちが山の如しなので、しばらく書くことをお休みしていた。なにかしらの形でアウトプットしたいという気持ちはつねにあれど、向き合うことにとてもパワーを使うので、一度やらなくなると途端に億劫になってしまうから、なんとか少しでも続けていきたいと思う。

あ、そんなふうに言われてしまうんだと思う言葉に出会った。わたしのやっていることは欺瞞だ、というような批判的な言葉だった。驚いたし、憤ったし、落ち込んだ。けれど、どんなに言葉を尽くしてひとに伝えようとしても、すべてのひとにその想いは伝わらないものなんだよなということをあらためて理解した。

あきらめずに伝えていくことと、伝わらないことを覚悟するという矛盾を抱えながら、それでも伝えつづけなくてはいけない。なにかを作ろうとするかぎり、その覚悟はやっぱり持たなきゃいけないと、甘っちょろいわたしは何度も何度も発見し、確認しなくてはいけないのだから大変である。

わたしは自分の人生をもってして自分のやるべきことをやろうと格闘している。それは大げさな話ではなくて、みんな一人一人そうなのだと思う。戦い方はそれこそ一人一人違っていて、日々傷を負いながら、それでもやってくる明日を迎え入れて戦っている。だから、蝶が舞う姿に、子どもが一心に食べる姿に、毎朝のぼる朝日のまぶしさに、いとしいひとのぬくもりに、突然理由もなく涙が出てくることがある。

いま、本に関わるひとたちのお話を聞く機会が多い。さみしいときにいつも寄り添ってくれた本。本や、本のある場所と、誰かをつなぐハブのような役割ができるといいなと思う。それはワークショップを行うことだったり、その場に絵を飾ることだったり、本とともに誰かに贈るポストカードを作ることだったり、いろいろな可能性があると思うけれど、本屋さんに絵を組み合わせることで、新しいつながりが生まれればとてもうれしい。

「イヤリングをお客様の好きな色で塗る」とか、「香りから色をイメージしてもらってその色から花を描く」とか、なんかおもしろそうだな、と思ってくださった方がふらりと本屋に来て、せっかくだから見ていこうと本屋の棚を眺めていたら思いがけないすばらしい出会いをする。それがそのひとにとって何かのきっかけになるとしたら、それは本当に幸福なことだ。

わたしにはひとを元気づけたいという気持ちはなくて(だってそれはどんなに近しいひとでもむずかしいことだと思うから)、むしろ、そのひとの横にすっと立って、そのひとが何かを選ぼうとするその背中をほんのすこしだけ押したい。そのためのきっかけを作れるなら、自分の持っていることを出しつくしたい。そんな気持ちだ。こう書いたら伝わるのかな、嫌われていたら伝わらないだろうな。まあいいか。

わたしは、暗闇の中でも光を信じて生きたい。つらいなと思うことばかりだけど、嘆くよりも光を信じたいのだ。それは祈りとも言えるし、わたしなりのこの世の戦い方でもある。

だからわたしに力を貸してほしいし、わたしも誰かの力になりたいと思う。たとえそれが欺瞞だと言われても、わたしは自分の信じることを信じる。

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