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心臓の音に押しつぶされそうなときも

眠りは目覚め。

いつも、完成した絵を見ながら浮かんだ言葉をタイトルにする。この作品は「眠りは目覚め」という言葉が浮かんだのでそのままつけることにした。

眠ることは、次の自分に目覚めるための儀式のようなもの、と思う。もちろん睡眠は心身を癒し休めるものなのだけど、わたしにとってはただそれだけの時間ではない。

眠るあいだに見る夢の存在感や、眠れないときに訪れる不安感、夜にふと目覚めたときの夜の闇の深さなど、眠りをめぐるもののなかにはさまざまな感情の揺らぎを起こすものがある。そしてそのゆらぎは自分が変化するときの心と近しいものがある、と気がついたのだった。

変わることはときにわたしを臆病にさせる。新しい職場へ行くとき、住まいを変えるとき、ともにいたひとと離れるとき、生きているなかでたくさんの変わるタイミングはあって、そのたびにわたしは泣いたり怒ったり諦めたりしながら変化のなかをなんとか泳ぎきろうとしている。

その、自分の力で泳ぎきらねばという気持ちがつよい分、なにかうまくいかなかったときには自分を責めることがある。それはなかなか苦しい。変化をもよおす要因には自分以外の条件もあるのだから、自分の努力不足だけでうまくいかないということはないはずなのに。

でも、だんだん変化の捉え方が変わってきた。暮らしは前に進んでいるように見えてつねに変化している。集まって像を結んで、はじけるようにまた離れたりしながら各々が各々の方向へ進む。目の前にあるのは変わらない日常ではなく、続いているように見える現象なのであって、それを見ているわたしの目には変化がないように映っているだけ、と。

花屋で買ってきた桜の枝から花が落ち、そこから葉が生えてきた。何度見ても花が散るのは悲しいが、そのあとに生まれる景色もまたあるのだ。

そう考えると、「いま」のとらえ方が変わってくるように思う。それは希望であるし、謙虚に生きなければと思う原動力にもなる。
眠れなくて心臓の音に押しつぶされそうなときも、すこしは心やわらぐのではないか、と期待もしつつ。

変化のなかで自分が自分にできること、そして自分が他人のためにできることには限界がある。だからこそ祈りは有効になるのだ。

いつもお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、これからの作品作りに使いたいと思います。