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伊勢日記 7巻

7時半起床。

今日は朝熊山にある金剛證寺へ。近鉄で五十鈴川駅まで出て、そこからバスはを通って山頂へ向かう。車内は空いていて、乗客は5、6人ほど。しばらく景色に見とれていたのだけど、蛇行する道のりに酔ってきたので目をつぶってしのぐ。30分ほどで金剛證寺に到着する。

伊勢神宮の鬼門を守るという金剛證寺は、山のなかにあることもあってひとも少なく、清浄な空気で満たされている。全体に力強さがあり、そこら中にうつくしさが宿っている。伊勢神宮の清らかな空気とはまた違う。

有名な卒塔婆に囲まれた道を通って奥の院へ向かう。よく晴れて明るい道のりではあるけれど、なにしろ怖がりなものでおそろしく感じられる。一瞬引き返そうかとも思ったが、なんとか奥の院へたどり着く。

そこには眺めのよい茶屋があり、くつろいでいるひともいてほっとした。ここにある卒塔婆は永代供養のためのものなのだが、茶屋の横の建物に窓口があって、申し込む家族の姿がある。そうか、そうだよな、と思う。ここに眠るのは誰かの家族なのだ。おそろしいと思うのは、自分のなかの死に対するおそれや妄想がふくらんでいるだけだと思いなおす。先日見た呪術廻戦にもそういうエピソードがあった。ひとが何かをおそれる心が呪いを生み出す、というような。

ちなみにこの朝熊岳に卒塔婆を立てて弔うのは、"死者の霊魂は全く別の世界に行ってしまうわけではなく現実の山のなかに死者の霊が集まる「他界」があるというとらえ方(山中他界観)"があるからなのだそうだ。

その後、朝熊山山頂の展望台へ。金剛證寺の張りつめたうつくしさとは打って変わって、車でやってきたひとたちでにぎわっている。すばらしい眺めで清々しいのだけど、友達同士で写真を撮ったり、子どもたちが走り回っていたりしているなか、なんとなく手持ちぶさたになる。夫に「みんな、連れがいるみたいだし寺に帰ろうかな」とLINEしたら、「なんか浮遊霊の会話みたいやな」と返事が返ってきた。いや、わたし生きてるんだけど。でもそんな感じなのかもしれない。

展望台からは鳥羽と島がよく見える。伊勢うどんもおいしい。

今日はそんな感じ。金剛證寺があまりにすばらしいのと、おそろしいのとで長々と書いてしまった。いったいどうしたらあんな密度の世界を作れるのだ。すごすぎる。

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