文系・理系という言葉に縛られていないだろうか?
日本では、高校での進路選択の際、「文系」か「理系」かを選択することが多い。「迷ったら理系にしておくほうがいい。文系から理系へ変えることはできないが、理系から文系へ、いわゆる”文転”すればいい」ということも言われます。なぜなら、私立大学の入試において、文系は科目数が少ないので、理系の勉強をしていれば対応ができるからです。
大学は「自分が興味のあること」「深めたいこと」を学ぶ機関であり、就職のために行くところではないと、私は考えています。より専門的なことを学び、授業以外の活動も含めて自律性、社会性を身に付け、社会で役に立つ技術やスキルを身に付ける場所、それが大学です。その立ち位置に立って考えると高校生16歳か17歳くらいで自分の将来を「文系」「理系」という2つの枠に入れて考えるところからスタートすることは、思考の幅を狭め、結果、将来の可能性を狭めてしまうことになるのではと思うのです。
我が家では、上の息子は中学から私立の進学校へ、下の娘は大学の付属校へと進みましたが、どちらの学校も高校になっても「文系」「理系」という言葉ではなく、「何に興味があるのか?」「何を学びたいのか?」というところから進路について考えるような指導がありました。もちろんクラスも文系や理系でわかれることはありません。いろいろな思考、強みをもった人達が集まり、クラスを創っていく。お互いが得意科目を教え合ったり、行事ではいろいろな思考を持つ人同士が得意を活かし、補い合いながら、一体になっていく…まさしく社会の縮図にように、様々なタイプの生徒が切磋琢磨しながら協力することの必要性、素晴らしさを知る3年間でした。
特に娘の学校は付属校の内部入試になるので、入試科目による縛りもなく、履修制限はありません。大学で文系学部に進むお子様であっても、興味があれば数Ⅲを取る、そんな感じです。学ぶことの基準が「自分が興味がある」「学びたい」と思うものであるので、より意欲的に学ぶことができる。意欲的に学ぶことで、より深い学びができ、さらに興味関心が広がり、学びが広がっていく、そのようなよい循環が回っていたように感じています。
高校から大学の進路選択において、「文系」「理系」という枠から考えるのではなく、「自分が学びたいこと、興味のあることはなにか?」そして「どう生きていくのか?」という2軸から考えてみてはどうでしょうか。
日本ほど、文系、理系という区別が大きい国は世界的に見てもめずらしいものです。また理系偏重の傾向もとても強いです。企業がわかりやすい理系のスキルに着目した採用活動をするからかもしれません。しかし、同類の人ばかりが集まった組織では新しいものは生まれにくいものです。様々な思考、志向をもった人がお互いの強みを活かしていく…多様性が尊重される、誰もが自分らしく生きられる世の中へと成長していくためには、「枠」からの思考を脱却し、「自分をよく知ること」から進路選択をしていくことが必要なのではないかと、私は思います。
「自分らしく幸せに生きる」ことをテーマとした本を書いています。
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