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自分を映す鏡とは

「今、傍にいる人たちは、自分を映す鏡だ。」

というのをよく耳にする。

私の場合は、家族になるだろう。

果たして、彼らは私なのか?

子供の社交性から滲みでる私

まず、3歳と1歳の子供たちを観察してみる。

1歳はまだ、赤ちゃんで私なのかなんなのかまだ判別ができない。

ところが、3歳となると、少し私が滲み出ている。

3歳の我が子供は、かなりの臆病者である。

以前の私のようだ。

何をするにも腰が引けていた。

その頃の私が、目の前にいるではないか。

滑り台もいまだに怖くて滑れない。
知っている食べ物しか食べられない。
新しいことは怖がってみることから始める。


なるほど。鏡だ。


夫は私の中学時代

夫婦はよく、お互いを写す鏡だと言う。

私はその通りだと感じている。

夫は、私のひねくれた中学時代そのものなのだ。

めんどくさがり屋で、ひねくれていて、扱いが難しい

私だ。あの頃の私なのだ。

現状を写す鏡ではない

家族に、私がいる。

だが、必ずしも今の私を写しているわけではないようだ。

なぜなら

臆病者だった私が少しずつ変わっているからだ。

・新しいお店や施設をどんどん開拓
・知らない人に話しかける
・首に蛇を巻く

変化の源は、「子供」だ。

色々なところに連れて行って、体験させてあげたい気持ちが勝ってきて

子供を連れて色々なお店に行くし
子供が好きそうなイベントにも行くし
動物園の体験コーナーで蛇を首に巻いたし、フクロウも腕に乗せた

そんなの当たり前よ!って人も沢山居るだろう。

だが、昔の私目線で見ると、びっくり仰天なのだ。

それ私?よくやったね!?となるのだ。


見て気付かされる


そして、夫に対しては、夫を見ることにより「あの頃の私は、周りにこう見られていたのか」と気付かされている。

どうしてそんな行動になるの?
どうしてそんな反応なの?

と疑問に思うことも、なんとなく理解できてしまうのだ。

あの頃の私と一緒だ…、あれは恥ずかしいんだよな。

あれは…どうしていいかわかんないんだよな。

と、モヤモヤしながらも気持ちが分かってしまうのだ。

そして、同時に「あの頃の周りにいた人たち、ごめんなさい」という気持ちにもなる。


無表情、ノーリアクションだった私に、きっと困っていただろう。


しかし、夫はいつまで中学時代の私のままなのだろうか。

人は成長するし、変化する

私が変わっていくように、夫も子供も少しずつ変わるだろう。

どう変わるかは分からないが、同じように、生きている人はあまり周りに居ない。


とんでもなく成功している人や、あの頃の面影を保ちつつ少しずつ変化している人。

変化していく過程で、私の周りにいる人にも、変化はあった。

それこそ、家族以外の、今周りにいる人たちは、私の内面を写しているかもしれない。

理想な関係

私の理想は、未来につながるような高め合えるような仲間と出会うことだ。

過去の私を見るのではなく、未来の私を見る鏡と出会えるようになるために

自分自身がまず、成長することが私には必要なのだろう。

上を向いて突き進むことで、家族もまた共に成長していくだろう。


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