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日曜劇場「アンチヒーロー」の伊達原検事正から学ぶ、自分の心の闇との向き合い方①

令和6年6月18日

先日、6月16日にTBS日曜劇場「アンチヒーロー」が最終話を迎え、大フィナーレとなりました。
最終話は、明墨弁護士と伊達原検事正の対峙が主なシーンだったのですが、冒頭の伊達原検事正の身の上話とその他の話をもう少し心理的に見ていくと、「闇の正体」がものすごく明確に見えてくるんですよね。

なんというか、ここまでのことを制作側の方々はお考えだったのか、意図されていたのかはわかりませんが、明墨弁護士と伊達原検事正は「光と闇」であり、「陽と陰」の関係性だということを改めて感じるわけです。今回のドラマでは、伊達原を退陣させるということが最終目的になっていたのですが、ドラマのストーリーではなく「心理」ですとか「精神世界」的に捉えると、このドラマは「光と闇」が分離した状態で終わっています。

ここをもう少し踏み込んで「光と闇」の統合、つまり「陽と陰」の統合を目指さないと現実の世の中は良くならないんですね。で、陽と陰って何かというと、それは自分の心。ドラマの中だけの話で終わらせてはいけないんです。自分ごととして捉えていくことが大事。

人それぞれ、各自……心の中に光と闇が存在しています。そして「この人、腹立つな」と思った時、それは自分の中の闇が他人を通じて表出されているんですね。そう。他人を攻撃して悪を成敗するのではなく、その視線を他人ではなく自分に向けて、自分の心の闇と向き合い乗り越えること。これが今の社会の課題なのではないかと思うのです。

「この人、腹立つな」とか「なんでこんなこと言ってくるんだろう」と、普通は思いますよね。でも、それって自分の心の中の闇が反応して他人を通じて見える化されているわけです。ですので、それは腹の立つ他人を成敗しても解決できるわけではなくて、他人を通じて見えた自分の心の闇と向き合って、受け入れて改善すればいいだけの話。ですので「嫌いなあいつ」は、実は「自分を成長させてくれる恩人」でもあるわけです。最初はそんな風に思えないと思いますが。

前置きが長くなりましたが、今回は「日曜劇場『アンチヒーロー』の伊達原検事正から学ぶ、自分の心の闇との向き合い方」についてお話しします。

最終話の冒頭で伊達原検事正は、牢獄にいる明墨に自分の生い立ちを語ります。「秋田の片田舎出身、三流大学出身ということで、人から馬鹿にされた。そのことが悔しかった」というような内容を話しているんですよね。

つまり、伊達原は強いコンプレックスを持っているということ。

・秋田の田舎
・三流大学

他にも本当は色々あるのかもしれないですが、こうした条件で人から馬鹿にされた過去がある。

思い起こせば私も過去にそのような経験があるんですよ。
私も田舎の出身ですし、三流大学出身です。今はそのことについてコンプレックスは持っていないのですが、過去にやはりそのことで馬鹿にされた経験があり、劣等感を持っていました。

それに加えて、勉強があまり得意ではなく成績がそんなに良い方ではなかったことや、体型のこと、スポーツが苦手なこと、そして自分の名前こと、自分の名前をつけたのが両親ではなかったこと、学校の同級生のほとんどがテレビゲームをやっていたにも関わらず我が家ではそれが許されなかった、自宅で漫画を読むことを禁じられていたなど、色々なコンプレックスがありました。

本来、これらは別に悪いものではないんですよね。
苦手なところがあってもいいし、別に大学が三流だろうが、高卒だろうが、中卒だろうが、別に悪いことではないんですよ。

体型がどうのって言う話も、比較対象があるから劣等感を抱かせられたりするわけでしょう?
どんな体型だって、別に問題はないのですよ。
(確かに、健康を考えるとなると、関係する部分はあるかもしれないですが、だからって差別される理由になるのはおかしいですよね)

(続く)

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