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「ゲシュタルトの祈り」について思うこと

皆様、こんにちは😊
フルート奏者・作家の向(むこう)由佳でございます。
今日もご覧くださり、ありがとうございます✨
感謝申し上げます。

さて。本日は「ゲシュタルトの祈り」についてお話しいたします。

もう、この詩は非常に有名なものなので、ご存知の方も多くいらっしゃるかと存じます。ただ、この詩についてまだまだ理解が深まっていなかったり、実践できていない方もいらしたり、また、ご存知ない方もおられるようですので、改めて、こちらでご紹介いたします。

「ゲシュタルトの祈り」という詩は、ゲシュタルト療法を創設したF.S.パールズさんという心理学者によって作られたもので、ゲシュタルト療法の内容を表現していると言われています。

<ゲシュタルトの祈り>
私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたに気に入られるために、この世に生きているわけではない。
そして、あなたも、私に気に入られるために、この世に生きているわけではない。
あなたはあなた、私は私。
もし、私たちが、お互いに出会えるなら、それは素晴らしいことだ。
もし、出会わなかったら、それもまた素晴らしいことだ。

出典:「チーム医療」ホームーページ

「気に入られるため」の部分は、本来「期待に応えて行動するため」とも翻訳されているようですね。
ドイツ語の原文を翻訳すると「期待に応えて行動するため」という訳になるようですが、「気に入られるために」と訳した方が、現代の日本人にとっては理解しやすいかもしれません。

自分と他人との境界線を引き、依存的に生きるのではなく、精神的に自立した大人になること。これを目指す言葉なのではないかなと私は受け止めています。だれかからの期待に応えることは正しいとされる場面もあるかもしれませんが、「それをやる」と決めるのは自分自身ですよね。ですので、期待する側が親だろうと、パートナーであろうと、ファンであろうと、友人であろうと、世間の声であろうと、それに応えなくてはいけないということはないのです。或いは、「期待してたのに裏切られた」ですとか「夢が壊れた」などというのは、相手の問題ではなく、自分がその相手に精神的に依存していたから起きることでもあるわけです。精神的に自立している方は、安易に「裏切られた」ですとか「夢が壊れた」などと言った言葉を発することはありません。

依存的な方は、ご自身の価値観を相手に押し付けます。そして、その価値観を受け入れてもらえないと逆上することもありますよね。それは、ご自身が相手に依存しているということ。精神的に自立していたら、価値観を押し付けることもありませんし、裏切られたという感覚にもなりません。

自分の価値観を受け入れてもらえない、また、自分自身を受け入れてもらえない方は、「受け入れてもらえるまで執拗に粘る」傾向もありますね。そうやって粘って、粘って、相手が根負けするまで粘って、欲しいものを手にいれる——まるでそれは、欲しいおもちゃを買ってもらえないことへの苛立ちを、親にぶつけている幼い子供のようでもあります。

また、違う言い方をすると「距離感がバグっている」ですとか、「距離感を詰めすぎている」とも言えますね。ご自身の勝手な期待を膨らませて相手に押し付ける事により起きるトラブルが近年多くなっているように感じています。

ここのところ、このような大人が悪目立ちしているなと感じることがあります。それは、政治の世界でもそうですし、著名な方がそのような態度を取るケースも散見します。また、一般の方でもモラルハラスメントに対する怒りを表明しておられる方が多くおられるので、そのような方々が浮き彫りになっているのでしょう。

ある種、それは良い傾向なのではないかと私は思います。そのような方々が浮き彫りになることで、反面教師にできるからです。そして、その方々にとって有利になることをしない人が増える契機にもなることでしょう。

依存的になっておられる方は、これを機会にご自身を省みて、ご自身の在り方や人間性を変えていく努力をなさると、これからの時代に生きやすくなるのではないでしょうか。

必要な方に届きますように。

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