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つめたい/あたたかい町で地図を開くということ

 むかしむかし、もう10年以上も前に飲み屋で会った人がこんなことを言っていた。

「NYに行った時、駅前とか広場とか人の多い所に一人で腰掛けて、ぼーっと地図を見ていても誰も話しかけてこない。冷たい街だと思った」

 これを聞いた時の素直な感想としては、『東京も同じだし、都会はそんなもんじゃ無いかなあ』。わざわざ口にすることは無かったが、ふうん、そういう感想があるのか、と頷いた。

 この数年後、ひとりで京都へ行った時のこと。

 ホテル近くのバス停は市内だが人気がなく、曇り空の下で地図を広げながらバスを待っていた。
 前日の夕方に京都に着いたときにはガイドブックも地図も用意しておらず、当時はスマホが無かったので、近くの三十三間堂を見てからは矢鱈滅多ら歩き回り、夕飯を食べる場所も決められずに疲弊した。
 地図はその反省から朝いちで買い求めたものだった。

 4月の後半、桜の季節だった。圧倒的にソメイヨシノばかりの東京と違って京都には様々な桜があり、それがまさしく見頃を迎えていたのだが、通り沿いの並木は若いハナミズキで、綺麗にタイル舗装された歩道といい妙に真新しかったのを覚えている。

 少し経って、目の前の家から住人の女性が出てきた。彼女は家の前の掃き掃除をしながら声をかけてくれた。

「今日はどちらへ行くの?」
「あちこち回りますが、まずは東山の方へ」
「バスの番号はわかる?」
「はい、ありがとうございます」

 女性はひととおり掃き終えると家に入っていった。

 旅先で商売人でない地元の方に声をかけられたことがなく、私はすこし驚いた。観光客に慣れているのもあるのだろうが、あたたかみのあることには違いない。
 その頃の私はまだあまり旅行をしたことがなく、このあたたかさは新鮮だった。きっと冒頭で触れたあの人はこういう旅をよく経験したのだろう。

 東京にも観光客は多いが、そもそもの人口が多い。京都の方が観光客の割合は圧倒的に多いだろう。それに東京は何かと忙しない。
 早足で毎日を過ごすばかりでなく、このような余裕を持ちたいものだと切に思う。

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