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一瞬を共有する②
皆様こんばんは。いかがお過ごしですか?
先日一瞬を共有する、という記事を投稿しまして、まさかまさかのシリーズ化してしまいました(今回で完結)
先日は演奏者からの目線で綴りましたが、今回は聴衆からの目線で綴りたいと思います。
実は今日、友人が出演するコンサートに出かけました。
それはペーパーキルトというアートの企画展とのコラボコンサートでした。
演奏中に作品がプロジェクターのようなもので映し出され、見ながら生演奏を聞くというものです。
作品はもちろんとても大きなエネルギーを発していて、それに引けを取らず演奏もとても素敵でした。
作品のエネルギーを頂きながら、イメージされた曲を聞くというものが私にとっては、あまり経験がなかったため、企画としてもとても面白く感じました。
聴衆側として感じたことは、あのコンサート会場という特別空間で聞いていると演奏者として感じていた【集中していることを共有する】という大きなエネルギーをさほど感じることがなく、漂うような、この時間と一瞬を好きに過ごしていいんだ、という感覚になりました。
その感覚を味わいながら演奏曲によっては、何故か涙が出そうになったり、目には見えない何かに揺さぶられ胸がいっぱいになったり。
目には見えない何か。
それは演奏者の作品に対しての気持ち、日常の思い出、アート作品からのエネルギーなど、全て当てはまると思うのですが、それに合わせて私自身の何かを無意識に重ねたのだなと思います。
これも演奏会の一瞬を共有するということになるのか、と思ったらさらに感極まってしまって。
私は演奏者として何ができるか。
演奏して聞いてくださる皆様と何かを共有できたら良いなと思っているし、演奏を通してその作品が聞いてくださる皆様の心に寄り添うことができたなら本望だと思うのです。
その役割を果たせたなら、私が生かされている意味があるのだと。
しかし、そんな大袈裟なことではなく、音楽はただそこにあって、必要な方にその音楽が届きその方を癒し、寄り添っていくのだなと思いました。
音楽に生かされている
そんなことを私自身が烏滸がましくも感じていましたが、そんな言葉では言い表せない何かを感じました。
音楽に関わっていて苦しい
そう思うことが多かった私にとって、音楽がただそこにあって必要な方に届くということに気づくことができたのは大きな収穫です。
きっと、苦しいと感じていたのは常に演奏者の姿勢であり続け、演奏することに集中しすぎていたのかもしれません。
真面目だからこそ視野が狭かった。
明日から、何かが変わるといいなと思います。
そして今度は、その"何か"が言語化できるといいなと、明るい志しで歩んでいこうと思います。
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