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23、小さな声を大きな輪に広げていく

さて、ここまで読んでいかがでしたでしょうか?

今回、私はSDGs先進国でもあるデンマーク社会を支えている基本的な価値観を抽出しました。そして、抽出した価値をモデル化することによって、どんな組織にも当てはめて応用できるようにしました。このモデルを参照に、皆さんの属している組織をポジティブに転換していただくことができたらとても嬉しいです

しかし、じつは、私はちょっとした違和感を感じています。なんでだろう? と考えてみたところ、SDGs先進国デンマークがものすごく素晴らしい国に聞こえるからです(笑)

10年以上デンマークに暮らした体験からすると、SDGs先進国として優秀なデンマークも、実際にはユートピアではありません。

デンマークもパーフェクトではない

デンマークはSDGs先進国です。でも、「先進国」と言えども、「パーフェクトな国」ではありません。SDGs的な観点からすると、一歩、先に進んでいるだけなのです。

デンマークで暮らしていると、色んな発見があります。「デンマークってこんななのかぁ。さすがSDGs先進国!」と感動することもあれば、「SDGs先進国なのに、まだこんな課題を抱えているのか。解決すべき問題はまだまだあるなぁ」というふうに感じることもあります。

たとえば、日本に比べるとデンマークははるかに男女平等ですが、北欧諸国のなかでは最下位です。夫婦でフルタイム労働をしていながら家事育児の負担はまだ女性の方にかかりがちで、女性たちの不満が聞こえてきます。また、Me Too運動はデンマークでも起こりました。デンマークの政界やメディア業界でセクハラやパワハラが横行していたことも発覚しました。

また、2021年には新型コロナの影響で労働環境が悪化した看護士がストライキを起こしました。看護士はもともと女性が就く職であったため、賃金が低く設定されており、その伝統が未だに残っていたのです。こういった動きを見ると、デンマークもまだまだ発展途上と言えます。

違和感や不満を声に上げる

ただ、1つ言えることは、デンマーク人は不満や違和感に対して声を上げるということです。と言っても、暴力的なデモや感情的な非難ではありません。あくまでも平和に、穏やかに、厳しく声を上げるのです。

デンマークでは「表現の自由」がとても大切にされています。もちろん、表現の自由と倫理・宗教が相反する場合もあって、そこは複雑な問題なのですが、基本的には表現の自由が尊重されています。感情や違和感を言語化し、持ち上がった問題を隠すのではなく、適切な形でオープンに話し合うという文化があります。

個人の声を社会の声に変えていく

では、なぜ暴動にはならないのでしょうか。あるいは、日本人のように、不満を呑み込んで我慢し続けてしまわないのでしょうか。

じつは、デンマーク人はちょっとシャイで内向的な国民です。ある部分では日本人と似ていて、わりと周りの空気を読む傾向があり、個人レベルでは我慢してしまうデンマーク人も多いと思います。

けれど、誰かが不満を訴えれば、同じような不満をもつ人たちが次々に声を上げますし、メディアが次々にその声を拾っていきます。そして、その声は解決すべき社会問題として議論の対象になり、世論を形成していきます。

最近はデンマークでもSNSによる匿名での中傷などが問題になっていて、声を上げることは誹謗中傷の対象にもなるリスクを孕んでいます。けれど、デンマーク社会全体としては過度に感情的にはなりませんし、先が見えない閉塞感や社会を変えられない無力感に包まれることはありません。それは、誹謗中傷もあるけれど、声を拾ってサポートする個人・団体・メディア・政治が存在するからだと思います。

政治への信頼

税金が高く、選挙への投票率が約85%のデンマークでは、大きくなった世論を政治が無視することはできません。さらに、一般的に、デンマークでは、政治家は他の職業に比べて特別に名誉があるわけでも、高額な収入があるわけでもありません。政治家の多くは、もちろん意見は色々ありますが、それぞれの信念のもとで国民のための政治をします。おかげで、国民も、政治家は自分たちのために働いてくれている人たちという認識です。

そう考えると、やはり根っこには「信頼」があるように感じます。

声を上げれば何かしらサポートしてくれる人が現れ、動きが出るだろうという社会への信頼感があるからこそ、声を上げる勇気を持つことができるのです。また、国民も政治家も双方を信頼しているからこそ、暴力に訴えることなく、対話で歩み寄っていくことができるのではないでしょうか。

ポジティブに共感の輪を広げていく

近年、日本でも限定的ではありますが、新しい風が吹き始めているような気がします。SNSはトラブルの要因にもなりますが、同じ志をもつ人が繋がれるという素晴らしい側面もあります。感情的になりすぎず、問題提起をしてポジティブに解決策を模索していこうと呼びかけることで、日本も少しずつ変わっていけるかもしれません。

というわけで、読者の皆さんに最後にお伝えしたいことは、悲観的になりすぎず、批判的になりすぎず、社会を進歩させていく1つのプロセスとして声を上げていこうということです。

自分の声に耳を傾けて違和感を声に出し、他人の声に耳を傾けて共感できればサポートする。その輪が広がっていけば、少しずつ社会を変えていく大きな力になっていくのではないでしょうか。



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