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富裕層への憧れに取り憑かれた男の悲劇。無謀な“パラサイト計画”の大きすぎた代償【映画パラサイト考察Vol.2】

この記事は「パラサイト 半地下の家族」の考察記事Vol.2です。
*ネタバレあり

パラサイト考察①(ネタバレ):パラサイトに失敗した美女の結末。知れば知るほどゾッとする、格差社会の残酷さ
▶︎「ギジョンはなぜ死ななければならなかったか」
▶︎「あの時、地下室の男が刃物を向けたのは...?」
ギジョンは悲劇を辿る半地下の家族の中でも、特に象徴的な存在。ギジョンの死には、ポン・ジュノ監督が映画・パラサイトを通じて伝えたかったメッセージそのものが込められているように思うのです。
ぜひ考察① ギジョン編も読んでくださいね。

今回のVol.2は、半地下で暮らすキム一家の兄・ギウ編です。

エリート大学生の友人・ミニョクに頼まれ、彼の代わりに金持ちパク家の家庭教師をすることになったギウ。軍隊を挟んで4回も志望大入試に落第しているギウだが、明るく機転が利き、決して無能ではない。

そんなギウが立てた、金持ちパク一家への「パラサイト計画」は、結果として大きな代償を伴います。

ギウはいったい、何をどこで間違えたのか...?

全編に散りばめられた伏線とエピソードを元に考察していきたいと思います。

その前に...映画・パラサイトを生み出した、韓国の格差社会について少しばかり補足を。

日本も格差の広がりが顕著ですが、韓国格差社会の現実はもっと、ずっと深刻な状況にあるようなのです。

韓国格差社会の現実

I-半地下の家は、実際に存在する

キム一家が暮らすのは、半地下の家。家の中から見上げる位置に道路があり、食事中でも酔っ払いの立小便が丸見えになる...。

こんな半地下の住居、本当にあるの...?と思ってしまいますが、映画の設定で作られたわけではなく、韓国では庶民的な地域を歩くと頻繁に目撃するというから驚きます。元々は北朝鮮との全面戦争に備え作られた防空壕用の地下室で、1980年代以降に住居として貸し出されるようになった経緯があるのだとか。

もちろん半地下の家で暮らすのは、キム一家のように、何かしらのきっかけで“貧困層”となってしまった人々。

2015年の韓国政府統計では、なんと36万4,000世帯が“半地下の住人”であるというデータがあります。

I-貧困層は、スタートラインにすら立てない

通貨危機の影響で行われた1997年のIMF(国際通貨基金)管理で、例えばサムスンなどの財閥は競争力をつけて国債市場で大躍進しました。また政府が韓国エンタメの国際化を推し進めたことで、韓国映画や音楽は現在、世界的な人気となっています。

しかし一方で、財閥整理が進んだ結果、好待遇の就職先が激減。韓国に自営業が25%強と多いのは、良い就職先がないことも理由の一つなのだとか。

有名大学を出て財閥企業に入るのがエリートコースなわけですが、この狭き門を獲得するにあたり、貧困層はスタートラインにすら立てない状況にあるといいます。

韓国の大学入試はAO入試が8割を占めるそう。(このAO入試、日本でも最近増えているのを私はかなり批判的に眺めています)

AO入試で得をするのは富裕層です。AO入試は高校時代の内申点や課外活動が評価される。つまりお金にモノをいわせて華やかな経験を数多くできる子どもほど、有名大学に合格しやすくなる。そもそも貧困家庭の子どもには、課外活動やらボランティアに費やすお金も時間も余裕もないですから。

それゆえ、貧困層は残り2割の狭い狭い入り口を実力オンリーでくぐり抜けるほかないわけですが、キム一家のように貧しく予備校にも通えないとなると...その可能性は限りなくゼロに近いと言えるのではないでしょうか。

I-“玉の輿”も夢物語

好きな方はよくご存知だと思いますが、韓国ドラマの典型パターンといえば、財閥の御曹司と庶民女のラブストーリーですよね。

韓国において結婚は家と家の結びつきで、両家に同等の「格」が必要だという考えが根強い。財閥の御曹司と一般家庭の娘の間には高い高い障壁があり、だからこそドラマになるというわけです。

この価値観は正直、日本でも暗黙のルールじゃない...?とも思いますが、韓国は「家族」や「社会的秩序」を重視する儒教の影響が強い国。日本よりも一層、玉の輿なんてありえない、夢物語なのでしょう。

ちなみに「家」を重視する価値観は経営者の後継事情にも現れています。

韓国のサムスンやLG、現代などの財閥は創業以来同族経営なのだそう。つまり、韓国で財閥トップになるためには創業家に入るしかない。一発逆転が起こり得ない。

経済格差が固定し、さらに世代を超えて継承され、階級社会を形成してしまっている。

映画・パラサイトは、そういう絶望的な格差社会を背景にして生まれています。

さて。ようやくここから本題に入りますね。

「パラサイト計画」は最初から失敗だった?兄・ギウは、何をどこで間違えたのか

ギウについて語るとき、切っても切り離せないのが、エリート大学生・ミニョクから贈られた「水石」の存在です。

ミニョク曰く「財物運、合格運がある」というこの石は、ギウにとって、ミニョクの代わりにパク家のお嬢様の家庭教師をする仕事とともに舞い込んだ、まさに幸運の石です。

ーこれをきっかけに、自分も富裕層の仲間入りができるかもしれないー

前述のように、絶望的な格差社会の底辺でもがく彼は、そんな風に思ったかもしれない。 “自分と富裕層を繋ぐ唯一の接点 ”のようにも感じたのではないでしょうか。

その証拠に、ギウはこの石に異常な執着を見せます。

覚えていますでしょうか。パラサイト計画が破綻してしまった夜のこと。大雨で大洪水となり、キム一家の半地下の家が完全に水没してしまった絶望のシーン。

何もかもが水に浸かった家で、ギウが唯一手にしたのは...この水石でしたね。

家を出て避難所で雨風を凌ぎながらも、ギウはずっと胸に石を抱えたまま。「この石が僕にくっついて離れないんだ」というような発言もします。

...このセリフが、非常に重い。ギウの“割り切れなさ”がありありと現れている気がしてなりません。

ギウは半地下の家で暮らしながらも、富裕層やエリートに対する憧れをずっと捨てきれずにいました。

エリート大学生・ミニョクのようになりたくて、入試に4回も落第しながらも未だ諦めず彼と同じ大学を目指しているのです。

前述したように、ギウのような貧困層がエリート大学の狭き門をくぐり抜けるのは至難の業。すでに4回も落ちているのだから、エリート街道とは別の道を選ぶ選択肢もあったはずです。(ギウは無能ではないしまだ若い。エリート街道にこだわらず本気で就職活動をすれば、何かしらの仕事はあったのではないか?)

しかしギウは、それをしなかった。

富裕層やエリートに漠然とした憧れを抱くギウは、交換留学をするミニョクの代役としてパク家に入り込んだあと、彼の言動を真似したり、彼が好意を寄せていることを知りながらパク家の令嬢・ダヘを“脈拍作戦”で陥落させたり(!)します。

さらには、キャンプに出かけて不在となったパク家を我が物顔で使い、まるで自分も富裕層の仲間入りを果たしたかのような振る舞いを見せる。

「ダヘが大学に入ったら結婚する」などと、どう考えても現実的でない話を真顔で語るくだりなんかは、もはや憧れを抱くという次元を通り越し、取り憑かれていると言った方がいいかもしれない。

ギウの、夢見がちで身の程知らずな愚かさを描写したシーンに思えます。

その後、元・家政婦の来襲により計画がメチャクチャになり、パク家の豪邸からまさにゴキブリのごとく脱出した父・ギテク、ギウ、ギジョンの3人は、大雨の中を半地下の家まで、下へ、下へと階段を降りていく...その階段の途中で、ギウは一人、その足を止めます。

迫り来る、現実。

でもそれを受け入れられない、受け入れたくない。...そんなギウの心の声が聞こえてくる情景でした。

そして、まるで悪あがきをするようにギウはこんなことを言います。

「ミニョクならどうするだろう...?」

此の期に及んで、まったく何を言っているのでしょう。この、兄の意味のないセリフを妹・ギジョンは一刀両断しますね。

「ミニョクはこんなことにならない!!!!」

そう。ギジョンの言うとおりです。

ミニョクは半地下の住人ではありません。将来を約束された正真正銘エリート大学生で、延世大学の在学証明書を偽造する必要もなければ、家族も巻き込んでパク家にパラサイトする必要などない。主不在の豪邸で身勝手に飲食することも、地下室の男に出会うことも、ゴキブリのようにコソコソすることも、大雨の中地下へ地下へと逃げ惑うこともない。

ギウとミニョクは、最初から何もかもが違うのです。

ギウはもっと早く、このことに気づくべきでした。

どんなに憧れても、自分は自分。他人になることはできません。いくら真似をして取り繕ってもギウはミニョクになれないのです。

ミニョクのやり方を模倣するのではなく、自らの置かれた境遇を冷静に分析し、自分の頭で考え、自分の人生を歩むべきだった。

ギウはギウなりの方法で生きるしか、最初から道はなかったんです

キム一家の暮らす半地下の家には「知足安分」の書が掲げられていましたよね。

知足安分:高望みをせず、自分の境遇に満足すること。「知足」は足るを知るという意。「安分」は自分の境遇・身分に満足すること。

ギウもこの書を毎日目にしていたはずですが、残念ながら理解できていなかったのか、理解しようとしなかったのか。

いや、もしかすると、ミニョクという存在が身近にいたからこそ、どうしても割り切れなかったのかもしれません。

実際、「足るを知る」なんて割り切るのは簡単じゃないから。

特に今の時代はSNSによって、身近な人はもちろん見知らぬ他人の生活までを詳細に暴露してしまう。知らなければ知らないで済んだのに、知ってしまったが故に固執してしまう気持ち、わからなくないですよね。

自分と年齢も見た目も、そう何も変わらないのに、生まれついた環境が違うだけでこうも人生が変わってしまうのか、と。

ギウも結局、最後まで「足るを知る」ことはありませんでした。

皮肉なことに、自らが持ち込んだ水石で殴られ重傷を負い、父と妹を失うという最悪の結末を迎えてもなお、富裕層への憧れを捨てられない。一度垣間見てしまった豪邸暮らしが忘れられず、元・パク家の豪邸が見下ろせる丘に登り、遠くから新たな住人の暮らしを眺めたりする。

...そこでまさかの!「父・ギテクが地下にいる」という、驚愕の事実を知ることになるわけです。

そしてギウは 父を救出する=豪邸を自分のモノにする 計画を立てます。

ちなみにこのラストシーンについて、ポン・ジュノ監督は「彼の平均年収だと、あの家を購入するのに547年かかる」と語っています。

つまり、これこそ「無計画という計画」。客観的に見れば、叶う可能性の限りなく低い、妄想レベルの夢というわけです。

けれど私は、それでも夢を見続けるギウの姿に希望を感じました。

ギウにとっては「足るを知る」こと=絶望なのです。それならば、たとえ愚かであっても、夢を見続け、希望を抱いていたほうがいい。

それに、ギウの父・ギテクが言っていましたよね。

人生には思いもよらぬ出来事が起こると。計画してもその通りになどいかない、だから「無計画という計画」が一番いいのだ、と。

ギウのこの先の人生に何が起こるかは、誰にもわからない。そして「無計画という計画」には、失敗も成功もないのです。

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パラサイト考察Vol.3の予告
▶︎父・ギテクは、いつ地下に堕ちてもおかしくなかった。
▶︎ギテクが最後に自ら捨てたもの

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