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【小説】2010年代って。

スマホの到来、
画一化された、全体主義的なアイドルサイボーグ、
You Tubeで観る世界、
ツイッターと、ネットスラング、
インスタグラムと虚栄の世界。

2010年代、と口にすると、それはなんだか、その始まりのときの方が幸せだったような気がする。
SNSとか、もはやある種のシミュラクラ(オリジナルのないコピー人間のようなものです。何故、アングラ/ポピュラーを問わず「アイドル」というものになった瞬間、前の日まで普通だった女の子・男の子たちが、ああいった画一化したステレオタイプ的な喋り方、顔つきになっていくのだろう。)のようなアイドル達。
それ自体が何らしかの黙示録的で、2000年の到来と共に世界は終わると言われていたみたいだけれど、今が本当に「世界の終わり」ってやつに近付いているんじゃないかっていうような。
二次元上だけじゃなく、三次元のアイドルすらもコピーのようになってきて(こんなことを言うと、アイドル好きは反論するだろうが、少なくともスクリーンを通してみるだけのライトユーザーには、ベルトコンベアに載せられ、握手や対応をプログラムとして組み込まれたアイドル・サイボーグでしかない気がする。)、感情を記号化するネットスラングの氾濫で、世の中はもっと、血の通わない機械音にまみれてしまう。

私の2010年代は、そこまでディストピア的ではなかった。
でも、あの10年をふっと意図的にフラッシュバックさせたとき。
走馬灯のように出てくる場面場面の背景は、アイドルと、スマホのスクリーンと、無機質な画面上の文字だった。

2010年。
その日、部活を辞めた。
華奢なのに金切り声でプレーのミスをマシンガンのように指摘する顧問に、辞めます、と言った。
プレハブみたいな体育教員室は、ストーブを焚いても足元の冷たさはどうにもならない。
性根の無さを懇々と詰められて、目頭はどうしようもなく熱くなっていくのに、つま先は反比例に冷えて固まっていった。きっと、しもやけになる。
活躍できるほど強くて、友達に引き留めてもらえるほど根明なやつだったら、やめてねぇよ。
この人はきっと最後の根性を見せて欲しくて、噛みついてくるのだろう。だけど、ただの虚栄の塊、実存的にはただ卑屈なだけのあたしには逆効果だった。
分かってるから涙が止まらないのに、そう思って教員室を後にした私はなんとなく電車に乗りたくなくて、一時間の道のりを歩いて帰ったのだった。
冷えていた足は、もっと冷たく。
セメントのようなローファーに包まれた足には、もう感覚がない。

「暗さ」を嫌う母が誂えた白い壁紙と、白いじゅうたんは部屋をよりさむざむしくしていた。
寒くて、疲れて、毛布の中で寝ていたみたいだった。
母の帰宅する音で目を覚ました私はテレビをつける。
AKB48のBeginnerが、ミリオンを達成した、とキャスターが伝える。
これからの放課後は、時間が無限にあるかのような気がしていた。
先日、珍しく部活の無い日曜日に、帰宅部の友人とカラオケに行った。相変わらず、Berryz工房ばかり歌うわたしは、はい!ポニシュシュ!とマイクを渡されて、え?!なに?!歌えないの?って。
価値は、それよりも、何に時間を使うかなんて、自分が決めるのだ。

2011年。
その10月、修学旅行に行く船に乗っていた。
震災とも原発とも無縁に生きていることを、幸運に思うべきなのか、それとも平和ボケ、と批判的に思われるのだろうか。よくわからなかった。
初めて見た、ツイッターの画面には驚いた。
原発や政府に対する匿名の意見が、まるで激しい生き物のように湧き出して止まらない。
スマホも持っていない、田舎の中学生に、なんだかそれは同じ国で起きている、存在している物体という理解ができず、わたしはただローカルでパーソナルな問題に頭を悩ませているだけだった。

あの子とは、絶交したんだ。
1年生から親友だったはずのあの子とは。
きっかけは、些細な事でしかなかった。こっそり教えていた好きな人を、他の子にばらしたとか、そんなこと。
でも、嫌いな部分は「些細」では済まない。

東京に行った時に、わざわざ雑踏の中まで行って買ったブランドを、真似してくるところ。
買っている雑誌、好きなモデルが使っているつけまつげを真似してくるところ。
私が教えたスカートを短くした方法を、自分で考えたかのようにみんなに言うところ。

修学旅行の中一日は、私服指定の日。
私服、とは言ってもショートパンツやスカートは禁止。
私が目をつけていた、レトロ系のスラックス。
『プリティウーマン』でジュリア・ロバーツが、履いているようなハイウエストに革のベルトを合わせるようなの。
でも、思いとどまった。こういうハイセンスなやつを、田舎の15歳が曇天の九州で着たところで、滑稽すぎる。

ホテルのエレベーターで鉢合わせたあの子が履いていたのは、それに似た、茶色いスラックスだった。上はフリルの白いブラウス。
ああ、こういうところが、本当に嫌い。

2012年。
暗いカラオケボックスで、恋の終わりを確信していた。
大人たち、のように決定的なことが、恋の終わりではない。
10代の恋、それはノリと少しのインスピレーションみたいなものからはじまって、曖昧なまま終わっていく。
少なくとも、自分の何たるかが分かっていないのに、相手のことなんて分かるはずもない。

彼がデンモクで飛ばす、ボーカロイドや懐かしめのアニソンをついに覚えることも、好きになることもできなかったなと思う。
モーニング娘。の『恋愛ハンター』のPVをYou Tubeで眺めながら、そう思う。
きっと、大人たちはそのジャンルを何が違うんだ、と言うだろう。

パパは、こんなことのために私にスマホを買ってくれたんじゃないだけどなぁ。
去年まで、技術の時間にみんながロボットを作っている間、必死にプリクラを小さなハサミでなるべくまっすぐに切って、プリクラ帳に張り付ける作業をしていたのに、今ではスマホの中に収まっている。

ゴミ箱のマークをタップしようとして、ふと写真の中の私が赤と白のギンガムチェックのシャツに、マリリン・モンローの顔のカメオのネックレスをしていることに気づいた。
なかなか、いいじゃん。という気持ちと共に、これを数年後に、あるいは数十年後に見たら、どういう気持ちが起こるのだろう。
そう思って、その手を止めた。
スマホを放り投げて、部屋を後にした。

2014年。
赤本を枕にして、寝ていたみたいだ。
東京への夢は、文字通り、本当の夢になっていた。
脳みそが、ふわふわと漂っている感じだ。据わりが悪く、何も入ってこない。
スマホをタップして、You Tubeを開ける。
モーニング娘。の『抱いてHOLD ON ME!』。

ハンドフォンメモリー 意味なくスクロール
かける勇気も無いような危機感

ハンドフォンメモリー?
集中力が途切れた時。
この、ある種音楽のデータベースのようになった動画サイト。大量の、古今東西の音楽がこの中にプールされていて、深海から引き上げるように音楽を取り出す。

私もいまはそれと同じ、ぶくぶくと、暗い水の中にいる。

2016年。
「そんなん男としてっていうか人としてありえへんわ!やめとき。」
食堂に、友人の声が響く。あたしは、へらへらする。

愛しているっていうことは、それを許すってことなんじゃないの?
手作りのお菓子に、後からお礼の連絡がなかったこと。
それを、彼女は責める。

また、へらへらする。たぶん、この顔は仮面で、心の中は泣いているのだ。
シナモンで香りづけした、アップルケーキを、彼に渡したのは先週の学祭の時だった。
LINEの彼とのトークルームは、かなり下の方に下がってしまい、意味なくスクロール、しないと出てこない。
彼のアイコンは不思議だった。
自分の写真でもないし、なにかペットや風景の写真でもない。
白い背景に、マジックで描いたような幾何学的な落書き。

ちょっと、奇妙なところが好きなら、行動だってちょっと、奇妙なのは仕方がない。

2018年。
Twitter。
彼のつぶやき。
「平成最後の夏、」という書き出しから始まって、何か研究室のことをつぶやいている。
きっと、私は悔しかったのだ。
平成最後の夏、という彼の枕詞は、私との思い出の前につけて欲しかった。
そして、そのツイートをスクリーン越しに見ている私は、クリームソーダを挟んで彼の前にいる私ではなくて、甘いシロップをかけた氷の塊のくせにいやに値の張る都会のかき氷を挟んで、昔の男の前に佇むひどく空っぽな私だった。



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