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【小説】悲しい色やね

瀬戸内の小さな漁師町、寂れた、といってもいいくらいの、場末のスナックの、ぼんやりとした照明に包まれた店内。
黒い大理石のテーブルに頬杖をついて、私は父のカラオケを聴いていた。

夢しかないよな 男やけれど
一度だってあんた 憎めなかった

父は、歌が上手い。
教員同士のカラオケ大会ではいつも優勝し、どこからどう見てもしょうもないような賞品を、上機嫌でもらって帰ってきていた。
教え子の結婚式に呼ばれても、教師らしい、何か人生の深みのようなものがあるスピーチをするでもなく、ただ毎回のように長渕剛の「乾杯」をリクエストされていたらしい。
父は、その昔、歌手を目指していたらしいが、楽譜が読めなかったので諦めたらしい。その前は、パイロットを目指していたが、視力が悪いのでやめたらしい。
ちなみにその歌唱力は、まったく遺伝していない。
私は、たったワンフレーズ歌っただけで、聴いている人が噴き出してしまうほどの音痴だ。

「悲しい色やね」は父の十八番で、ひょっとすると、上田正樹より味がある歌い方をする。

私は、この曲があまり好きではない。
夢追い人と別れることを決めた女の心中って、こんなにセンチメンタルなのなのだろうか。まだ好きなのに、嫌いになったわけじゃないのに別れる?
じゃあ、別れなきゃいいじゃん?
もっと、へとへと疲れ切って、冷めきってるから、別れるわけでしょ?
「あんたあたしの、たったひとつの青春やった」って。
そんな一途な女いないし、別れた後って、相手のことよりも自分のこれからのことを考えないか?
こういう「男ってバカだからさ。」っていうコンテンツが嫌いだ。
それは、「男ってバカだから…」と男が歌う(言う)ことによって、そのことは楽観的に正当化され、開き直られ、「女」がそれを尻拭いし、ただ許容し、耐え忍ぶことが強要されているような感じだ。(松山千春の歌に、そういうのがあるよね。)

と、リリックを分析すること自体がナンセンスだとわかりつつ、心の中でぼやきがとまらなかった。

薄くなったウイスキーを呷った。
きっと歌詞の内容なんて全く追っていないであろう父が、この曲のクライマックスを気持ちよさそうに歌い上げていた。

Hold me tight 大阪ベイブルース
今日でふたりは終わりやけれど

父の青春もまた、この曲と同じように、大阪にあった。
もう今では、人も減り、消えかかっているような港町から、大阪の大学へ進学して、その後数年間は梅田の銀行員だったらしい。
その後、地元に帰って教員になった。

人生が一つの物語だったならば、最大のドラマになるであろうこの部分のことを、父はほとんど語らない。くわしく聞いても、てきとうな生返事しか返ってこなかった。どの銀行に勤めていたのかすら知らない。
ただ、「梅田の」としか言わなかった。

父は、どこか情けない部分がある。
正直いって、頭はあまりよくない。
文章を読むのが遅く、読書好きの母と私の話についていけず、「すごいなあ。そんなたくさんの本、一生かけても読むの無理やわ。」と言う。
父は、結論を先に言わない。
たらたらと周辺事項を述べた後に、最も大事なことを言う。
母は、いつも「で、なんなん?」と、聞く。
父は、お笑いが好きだ。
生徒が笑うような、おもろい話し方を学ぶため、とかこつけていたが、単に映画や小説のように解釈を必要とするよりも、即効性があり、悪く言えば刹那的な娯楽を好んでいるのだと思う。
父は、釣りが好きだ。
昼は教師、夜は漁師、と息巻いて、酒に酔って釣りをし、海に落ちた。
父は、優しい。
家事も運転も、家族のためならなんでもやる。
わたしにかけてくれた言葉は、きっと、書きながら泣いてしまうので、ここでは書けない。

どうなんだろう。
いかにも、「センチメンタル・大阪」みたいな、上田正樹とか、やしきたかじんの歌を好むくせに、大阪時代の青春を、あるいは挫折や苦悩を、家族には何も話さない。
都会を去った情けなさからか。家族の「今」が大事だからか。
それとも、単細胞な父らしく、ただ何も考えていないだけなのか。複雑な思い出を、言語化できないのか。
よくわからない。

東京の大学で知り合った、友人達のお父さんは、エリートで、文化的で、知的で、わたしの父とはまったく対照的だ。

東京で、わたしもまた、この曲のように、恋に振り回されて耐える辛さを味わったことは、父が大阪での日々のことを語らないように、故郷では話さないことに決めた。





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