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【渋谷小説】ビット・バレー

渋谷。
どこを、いつまで工事しているのか不可解な点で、サグラダファミリアと似たその駅を出る。

マークシティや東急といった流行を纏った建物とはどう考えても不調和な空気を醸し出しながら、バス乗り場を眺める西口のモヤイ像は、何のたくらみもなく静かに佇んでいるように見えて、実はこの街の「カオス」感を生み出している主犯だ、と私は信じて疑わない。

モヤイを右に見ながら、反対側の歩道橋を渡る。
渋谷の坂道も、春には桜に彩られる。
「渋谷区桜丘町。」
その名の通りの眺めだ。
歩道橋を降りて少し歩くと、道は細い路地に分かれる。
小さいけれど、味にこだわりのありそうな小さな食堂や、バンドの練習スタジオでもあるのだろうか、大きな楽器を抱えたツインテールの女の子が、前を歩く。

上京して、2年が経った春。何でもいいから、自分の書いたものを世に出したいと、ライターのインターンを始めた。
ライター、とは言えないかもしれないな、と今になって思う。
出来立てのシステムをどうにか世に広めようとしている小さな会社で、そのシステムに関する記事を一か月に20本ほど書く仕事だった。
そこには、自分の意見や考えを交えることはなく、ただ淡々とusefulでpracticalな、そして無機質な記事を生成していた。

既に漠然と、学問を究めることを心の奥底で志望しながらも、「一般企業」ってやつが、どういうものなのか興味があった。
一般企業。
私にとって、その語感はなんだか厳しく、窮屈で、だけど資本主義の中での成功には、それに追従することが不可欠なような、そんな言葉。

オフィスには、グレーのマットが敷き詰められ、綺麗なココアブラウンのデスクが並べられている。観葉植物が置かれ、漫画の並べられた本棚とソファがある。
顧客に会う時以外、服装も髪型も自由。
社内用のメッセージグループ。
集中が途切れたら、漫画を読んでお菓子を食べてもいい。
定期的にチームでランチ会。
社員の数を優に超える、学生インターン。
少しふざけた、ファイル名やプロジェクト名。
サイバースペースでその日の反省とフィードバックが交わされる、日記。

まるで、アメリカ西海岸のシリコンバレーで成功した会社の「形式」をそのまま移植したような空間だった。そんなことを言っている私のシリコンバレーの認識も、メディアを通したイメージ的な形式でしかない。

だけど、中身は違っていた、と書きたいわけではない。
私は、オフィスで繰り広げられる「中身」の部分も好きだった。
明るいノリ、ミスは引きずらない、褒め合う、言葉で「いいね」しあう。
目標、計画、達成。

学生インターンが、常々聞かされる台詞があった。
「君たちに望んでるのは、今目の前にある仕事を終わらせることよりも、君たち自身が成長することだ。」
成長、成長、成長。しかし、それは何を指していたのか。そこが、私のぶつかった、壁だった。
苦手の克服、スキルアップ、コミュニケーション能力の向上、メンタル強化。
きっとこの、永遠に、向上と自己研鑽が求められる新自由主義社会の中で、「自分」の市場価値を高めることを指しているのだろう。
その先に何があるのか、わからなかったけれど。

仕事が好き、会社が楽しい。
そんな風に見えた大人たちを、人生の迷走期だった私は直視できていなかったのかもしれない。あるいは、表層的な部分しか見ていなかった。
好きな仕事に精を出し、目標を死に物狂いで達成し、会社と資本を巨大化させる。稼いだお金を、理想のライフスタイルの形成に費やして、SNSで発信する。仕事、と、生活の境界が融解しつつあるようなビットバレーサイボーグたちに私は盲目的に憧れることができなかった。

「今まで、頑張ってくれたインターン生へのリワード」、として有能な社員たちは私たちの「就活メンター」を引き受けてくれた。
「わたし、就活しないかもしれないです。」
言うべきだった、その言葉は誰にも言い出せないまま、渋谷は夜の冷え込みが厳しい時期になっていった。

同じようなランクの大学の、同じ程度の向上心を抱いたインターン仲間と、マークシティ横の安居酒屋やチェーンのバーで頻繁に終電まで飲んだ。

皆がおずおずと志望企業を言いながら、「どうやって?」をすっとばして、「最終的には起業したい」、「フリーランスになりたい」という途方も無い夢をウーロンハイ片手に渋谷の夜空につぶやく。
それは素敵な時間だったけれど、思い返せば、最後には結局、恋愛の近況報告をして、「どうにかなるさ」という楽観的な香りを誰からともなく発して、解散するのだった。

いよいよ、エントリーシートを出す頃になって、迷惑にも私はメンターだった社員をすきま風のひどい渋谷のカフェに呼び出したのだった。

「結局さ、どうなりたいの?」
それが、わからないのだった。
ふと気が付くと、ビットバレーのカフェにはそういう、大人と大学生がたくさんいる。
きっと若者は、高度消費社会で成功を手にしたくて、自分を実現したくて、その手掛かりとして「すごいひと」、「有能なひと」を盲信するのかもしれない。
インターンに精を出すあまり、休学や退学を選んだ知人もいた。

目の前にいる、そのひとを見た。
「文学を研究したいってさ、それって、普通に働きながら、本読んでりゃいいんじゃないの?」

普通にはたらく、それって、どういうことだろうか。
この人は、優秀で、有能だ。
以前にいた会社では、今ではもうTV CMや電車の車内広告がバンバン打たれているようなシステムの礎を築いた。誤解しないで欲しいが、私はその人が好きで、尊敬もしていた。

だけど、自分のことを一番わかっているのは自分自身だ。
その人から投げられた問いに、私は答えられなかったが、もやもやと言語化できない拒否感、あるいは希望が私の中に渦巻いて、藻掻いていた。

その言語化の難しいもやもやと、私は格闘して、見つめて、結局数社へのエントリーと大学院入試への勉強を両立させることに決めた。
これはまたいつかの機会に書きたいけれど、結局そのふたつは相反するものではなかった。
アカデミックな知識や文章は、商業化可能であるし、それを求める人がいるということも。
消費社会の文化や市場は、文学の中にも多分に研究の余地があることも学んだ。

その次の冬。
渋谷の薄暗いしゃぶしゃぶ屋で、仲間たちと鍋を囲う。
激動の時期を乗り越えて、皆が途方も無い夢を語っていた時期とは顔も、雰囲気も心なしか落ち着いていた。

希望の企業に就職がきまったひと。
地元に帰ることにしたひと。
希望の持てる場所に、皆がいた。

楽観的な空気感は、変わらずそこにあった。
道玄坂のHUBで、ビットバレーの自由で開放的なイメージと、その中にある厳しさへの葛藤を、ひとまずは乗り越えたわたしたちは、憑き物が落ちたように、終電がなくなっても、一歩近づくことのできた「夢」を語った。

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