見出し画像

「人生時計」で時間の価値を再考する。

自分のこどもが生まれてみて、その存在のかけがえなさとかわいさに圧倒されてしまい、結果的にキャリアに対して求めるものが一段高まった私でしたが、もうひとつ、復職後にとても大きな価値観の転換を経験します。
それは「時間の価値」についてでした。

復職した年、人事部では、女性社員の中で管理職を目指す意欲のある人材を発掘し、チームを率いる立場になるためのスキルセットやマインドセットを身につける機会を提供する目的で、次世代女性リーダーシップ研修という研修が行われました。復職直後からキャリアアップに対してかなり意欲的だった私は、この研修にも手を挙げて参加しました。

研修のプログラムのひとつに、自分のキャリアの棚卸しを行う時間があったのですが、その中で講師が「人生時計」という考え方を紹介してくれました。
人生を1日に換算したら、今は何時なのか?
計算は、ごく簡単な算数です。現在の自分の年齢を3で割ればいいだけ。

研修を受けた当時、私は36歳になる年を迎えていました。
36÷3=12。

え?12時?

衝撃でした。私の人生はすでに折り返し地点に差し掛かっていたのです。

(もちろん、人生100年時代に、72年を1日とするのが本当に妥当か?という問いはありますが、頭と体がともに健康でいられる期間として考えれば的外れではないでしょう。)

私はまだ人生で何も成し遂げていない。それなのにもう昼休みに突入しようとしているのか?

それまで私は、自分の人生にあとどれくらいの時間が残されているかなんて、考えたこともありませんでした。こどもが生まれたばかりということもあり、30代半ばの自分の人生は始まったばかり、まだまだペーペーのつもりでいましたから、残り時間を考えるような年齢ではないと思っていました。
人生時計の考え方を知って初めて、自分の持ち時間は限られているのだということをリアルに感じたのです。

そもそも、復職してからの私にはとにかく時間が足りませんでした。
長男を生後6ヶ月で保育園に入れて復職し、その3ヶ月後にはフルタイム勤務に戻していたので、8時に出社して定時の16時半で退社して、ちびを保育園に迎えに行き、帰宅して晩ごはんを食べさせ、お風呂に入れて寝かしつける。それで1日は終わりです。放っておいたら自分のために息つく時間なんて1秒もない。自分の時間は、オットの協力の下で意識的にやりくりをして作り出さなければいけないものになりました。自分にとっての1時間の価値が、出産と復職というイベントを挟んでハイパーインフレし、ものすごく価値の高いものになっていたのです。

かつては自分の時間の価値を測ろうと思ったら、1時間あたりの残業代ぐらいしかモノサシを持ち合わせていませんでした。でも今の私にとって、1時間の価値はもはやプライスレスです。定時後も会社に残って仕事をし、残業代をもらって満足している場合ではない。私の1時間はこどもと過ごす時間にも、家をより快適な場所にするための時間にも、そして自分のための時間にもなりうる。どれもお金には換えられない価値ある大切な時間です。かつてとは世界の見え方がまるで違います。

そのころの私は、復職してから思うような評価が得られず昇格試験にも失敗し、モヤモヤとしていたのですが、人生時計の衝撃を受けて、どうやらそんなことを気にしている場合ではないぞ、と思い始めました。自分の人生にとって本当に意義あることに、今すぐ自分の時間を投じたほうがいいのではないか。そしてそれはもしかしたら、今いる会社ではない別の場所にあるのではないか。そう考え始めました。

折しも私の人生は、人生時計によればちょうどランチタイム。それなら、このお昼休み(=36歳から38歳の3年間)を使って、午後の時間の使い道を真剣に考えよう。そうして改めて自分の人生を眺めたときに、今までとは全く違う景色が見え始めました。

投げ銭していただけると、書き続ける元気が出ます!