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こどもがかわいいから、キャリアに欲張りになる。

私が会社員を続けながら週末起業をするというパラレルキャリアに辿り着いた経緯について説明するためには、出産というライフイベントが私の個人的な価値観に対してもたらした、決定的なふたつの変化についてお話ししなくてはなりません。

ひとつは、「自分のこども」という存在について。
そしてもうひとつは、「時間の価値」についてです。
今回はそのひとつめのお話。

「自分のこども」という存在について。

2013年に結婚したとき、私は31歳でした。オットは会社の同期入社で、年齢はひとつ下の30歳。
お互い早くはない結婚だったので、こどもはいつできてもいいな、遅いよりは早い方がいいだろうな、と考えていました。幸運なことに(これは本当に幸運なことです)結婚から半年後には妊娠がわかり、翌2014年の9月に第1子となる長男を出産しました。

オットも私も、特別にこどもが好きで、どうしてもどうしてもこどもが欲しかったというわけではありません。ただせっかく結婚して家庭を持ったから、どうせならこどもがいたほうがおもしろいかな、ぐらいのライトな感覚でした。
自分のお腹の中で10ヶ月もの間育てた私も、生まれる前までは、かわいいとか愛しいとかいうエモーショナルな感じではなく、どちらかと言えばドライな気持ちで、どんな子が生まれてくるんだろうなー、楽しみだなー、と思うぐらいでした。

ところが実際に生まれてきてみたら、その可愛さにふたりとも完全にノックアウトされてしまいました。どうしたことでしょう。新生児室に並んでいる赤ちゃんたちを見比べても、明らかにうちの子がいちばんかわいい。生後2日目くらいからもう目はぱっちりと大きかったし、母乳もミルクもよく飲んでちゃんと寝てくれたし、あらゆる意味でうちの子がいちばんかわいい。自分たちでも気持ち悪いくらいの豹変ぶりでした。

それだけではありません。どうやらオットも私も自分のこどもだけではなく、街で見かけるこどもがみんなかわいく見えるようになってしまったようでした。
もちろん、自分のこどもがいちばんかわいい。それはどこに行っても変わらないのですが、自分のこどものかわいさに引っ張られるようにして、こどもという生き物全体のかわいさがインフレしたらしいのでした。

さらに変化は続きます。私は確実にちびを認可保育園に入れるため、4月入所に向けた一斉募集で0歳児クラスに申し込みました。いわゆる"バリキャリ"志向だった私は、上司には4月復職を目指すと伝えていましたし、何なら最初からフルタイムで復職するぐらいの意気込みでした(上司が、さすがに生活のペースが掴めるまでは短時間勤務にしたらと言ってくれたので、3ヶ月だけ短時間勤務にしましたが)。幸いなことに自宅から徒歩で10分ちょっとのところにある認可保育園に入所でき、ちびはわずか6ヶ月で保育園ライフをスタートさせました。
私の住むエリアの保育園事情は、東京23区内ではまだ良いほうでしたが、それでも0歳の4月を逃したら、次はいつ入所できるかわからない状況でした。それに、キャリアのブランクはなるべく短いほうがいいと思っていました(復職の年にも昇格試験があることがわかっていました)から、ちびが0歳児クラスに入所でき、ブランクを1年未満に抑えて復職できたことは、当時の私にとってはベストシナリオでした。

しかしそれでも保育園に通い始める日、私はとても複雑な気持ちでした。私自身は父が会社員、母が専業主婦という昭和の典型的な核家族家庭で育ったので、0歳で朝から晩まで親の手元を離れて保育園で生活する日々がこどもにとってどんなものなのか、想像もできなかったのです。自分で選んだこととは言え、やっぱりちょっと申し訳ないような気持ちになりました。

そのときに思ったことは、
「こどもを保育園に預けてまで働くのだから、私は心から満足できる仕事をしなくちゃいけない」
ということでした。

それまでの私にとって働く理由は、経済的な自立であり、社会との関わりであり、組織の中で認められキャリアアップしていく(端的には管理職になる)ことでした。マズローの自己実現理論を借りるなら"承認の欲求"、5段階の4番目まででした。
それが、自分のこどもを持ったことがきっかけになり、仕事に心から意義とやりがいを感じて楽しみたいという"自己実現の欲求"、5段階中5番目の、最もハイレベルな欲求に変わったのです。

(変わったというよりは、もともと心の奥底に抱えていた欲求が表に出てきたというほうが正確かもしれませんが)

このことは私にとってとても重要な変化でした。

自分のこどもという、文字通り替えのきかない唯一無二の存在。しかも彼は私たちがいなければ生きていくことができないのです。その彼をわずか6ヶ月で自分たちの手元から離してまで働くのだから、"承認の欲求"が満たされるだけでは足りないと思うようになりました。
自分が心の底から満足できる仕事をして、幸せでなくちゃいけない。彼がもう少し大きくなったとき、お母さんはこんな仕事をして、こんな風に楽しみながら人の役に立っているんだ、大人になるって楽しくて素晴らしいことなんだ、と思わせたい。

自分のこどもを持つというのは、こういうことなのか・・・。

出産というライフイベントを挟んで、私の価値観の一部はどうやらガラリと変わってしまったようでした。こんな経験は、それまでの私の人生にはなかったことでした。連続した時間の中で起きた変化なのに、そこに不整合が生じたように、前と後ではまるっきり世界の見え方が違うのです。

このことは私にとって非常に重要な、人生における気づきのひとつになりました。

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