見出し画像

子育てに正解はない。あるとしたらそれは・・

◆0歳娘と0歳母親の誕生◆


ある雪降る寒い深夜。
「バレンタインデーが終わるね〜」と陣痛室で大きなお腹をさすりながら、緩やかになっていく分娩監視装置の心音を聞いていた。

長女の予定日は2月13日のバレンタインデー前日。
朝から予定通りに陣痛が始まった。
陣痛室に移動してから1日が過ぎようとしていた。
激しい陣痛が始まりだし「いよいよか!」と頑張っても、
さ〜っと穏やかに引いていく。
そんなことをなん度も繰り返しながら、いつの間にかバレンタインデーが過ぎてしまっていた。

前期破水で入院したものの微弱陣痛であったため、付き添ってくれていた実母が、看護師さんに陣痛促進剤での出産を希望する。そして陣痛促進剤での出産となった。

私にとって陣痛促進剤での初めての出産は苦し過ぎた。
ただただ苦しかった記憶が鮮明に残っている。だから長男の時は何日かかろうと促進剤は絶対使用しなかった。あんな生きた心地がしない苦しいのは2度とごめんだった。

長女が生まれた瞬間の開放感と泣き声を聞いた時の安堵感。
お猿さんのようなシワシワの顔を見て、小さな手を触りながら
「よく頑張ったね。」
そう伝えた後は、意識が朦朧としていたのか記憶がない。
長女がこの地球に生まれると同時に、0歳の母親が誕生した。

◆心配事だらけな中で◆

初めての授乳時間に、私は起きる事なく熟睡していたようだ。
「早速やっちまったか・・先が思いやられる」

長女の成長を楽しみにする反面、こんな私に子育てができるんだろうかという大きな不安もあった。
「大した人生経験もない、まだまだお子様な私が、果たして母親業をこなしていけるんだろうか?」

猫好きで幼少期からずっと猫を飼い、猫の出産に立ち会ったり愛情かけて育ててきたが、そうじゃない。育てるのは我が子。社会生活を営む人間なのだ。親としての責任が伴うのだ。

当時、【学級崩壊】という言葉が使われ始めてまもない頃だった。
40人学級や学級担任制など、明治以降の学校システムの硬直性が根底にあると指摘される一方で、子どもの社会化の遅れや道徳性の未形成を指摘する声もあった。

「親はどのように、子どもの育ちの環境を整えてあげると良いのだろうか?」

そんなことを真面目に心配し考えていたのは最初の一瞬だけ。
乳児期の日々の関わりの中で、そのような心配事は頭のどこか片隅に消えてしまっていた。

高熱を出せば心配し、怪我をすれば心配し、原因不明で泣き続けると心配し、ことあるごとに様々な心配をする中で、
「ただただ健康に元気で楽しく笑ってくれているだけでいい」
そんな風に思うようになっていた。


◆子どもの成長と共に変わる親の心情◆

しかし、子どもの言葉や行動が発達成長していくにつれ、親である私の心情も変化していった。
「ただただ健康に元気で楽しく笑ってくれているだけでいい」
という視点から、子どもに対する期待や欲望が新たに芽生えていったのである。いつだったか、頭の片隅に消えていったあれが再び現れた。

「親はどのように、子どもの育ちの環境を整えてあげると良いのだろうか?」

「今から、英語脳を育てておいた方が良いかな?」
「もっと体力がつくようにスイミングに通おうかな。」
「先の受験が楽になるように、右脳教育をした方が良いかな。」
「子どもが将来困らないように、どうしてあげれば良いかな。」
「周りの人から好かれるような、優しい子になってほしい。」
「自分の夢を叶えられるような、強い子になってほしい。」

などなど、思い起こせばキリがないほどに沢山だ。
なぜそうなってしまうのか?

理由はたった一つ。
「子どもが幸せになると思うから」
そのために親は、できることの全てをやってあげたいと思うものなのだ。

◆幸せの落とし穴◆

しかし、子ども達の幸せを願ってあれこれ考え追い求めていたことは、本当に子ども達の幸せに繋がっていくのだろうか?
一般的に私たち親が想像する幸せは、学歴・収入・肩書・美貌など。。
これらは人と比較することで生まれる幸せ。

特に私の親世代はこのような幸せを求めることが顕著だったように思う。
それ故、私は子どもの頃から親にあれこれコントロール支配され育った。いつしか反論することも諦め、親が求める正しさを考えて行動するようになった。その結果、常に誰かの評価を気にし、自分が本当にやりたいことが何なのかすらわからず、自分嫌いで自分軸のない自信のない人間が出来上がってしまったのだ。

だから私の子ども達には、私のように育って欲しくはなかった。
そして次なる試練として、親である私自身が成長し、子ども達の自己表現を尊重する子育てに向き合っていくことになるのである。

◆比較のない幸せ◆

人が幸せを感じるためには自己決定が大切で、私の親のように子どもをコントロール支配している限り、子どもの幸せには繋がらない。それは私自身が体験しているから間違いない。

親としては子どもが幸せになってくれることが最終目的ではあるが、その幸せとは、誰かと比較されるものでもなく、誰かの期待に応えるものでもない。
それは、子ども達自らが考え、決定し、行動し、その結果に責任を持てる人間に育つことだ。

人には生まれつき好奇心や冒険心や興味があり、それを満たしたいという動機がある。それらを活用しながら、少しずつ自己決定体験を積み上げてあげれば良い。

◆子育てに正解はない◆

最後に見出しのテーマについて述べておこう。
子育てに正解はない。なぜなら、各家庭環境は様々であり、価値観も様々、そして兄弟姉妹であっても、子どもそれぞれに学びたい欲求も気質も違うから。

当然、各ご家庭での子育ての方法は様々で、同じになるはずがない。だから様々な情報に振り回され、他所の家庭と比較して、不安になったり焦ったりする必要は全くないのだ。

ただ、私がたった一つ子育てで大切にしてきたこと。
それは、、、

「子ども達が自分自身を、ありのまま表現できているかどうか」

親がその表現を尊重し支えることで新しい可能性が広がり、子ども達の幸せに繋がっていくから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?