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字義通り捉える

言葉に対して人と違う反応をしてしまう事があって
忙しい場面ほど、それが顕著にあらわれ、失敗してしまいます。
ゆっくり話したり、質問できる環境は、大丈夫なんだけど…。

こんな場面で失敗します(例)

レシピのない料理実習で、鹿肉を扱うとします。
講師の先生が
「今日はこのお肉でカツを作りますからね。
下味に、ショウガとニンニクと梅酒を使いますよ~。
さあ、さっそく始めましょう!」
と言われると、
私の中では「??????」。
わからないことだらけ。

鹿肉の切り方は?下味はショウガとニンニクと梅酒だけ?
何人分作るの?調味料は量らない?

こうなると「①全部聞かないと失敗するから動けない」か
「②与えられた情報のみの中で組み合わせてやってみる」ことになります。
他の選択肢が浮かばなくなり、賭けのような2択をします。

これは、どっちも不正解。
①を選ぶと、「料理実習」ではなく、「料理見学」になり
②ポイントだけ説明されているので「情報不十分」で美味しい料理にはなりません。
しかも、自宅の慣れた台所ではなく、
料理実習なら調味料も器具も講師の調理場という状況です。
それでも、目の前に食材が置かれると調理を始めたくなり、
大抵の場合②で失敗します。

この時、私に起きている事

与えられた情報×過去の経験⇒カツは作った事あるから何とかなるかな。
必要な情報は聞いたから、外れなければ大丈夫なはず。
始めましょう、と言われたから、進めてイイ。

その結果、失敗が始まります。

これは、私が悪い?

カツの衣は、小麦粉+卵+パン粉というのが一般的です。
でも、ここの実習では、小麦粉と水を合わせたもの+パン粉を使います。
衣が薄くつき出来上がりは美味しく良い。
ただ、一般的な方法でない時は、卵を割ってしまう前に伝えてもらいたい。

調味料のショウガ・ニンニク・梅酒以外に、醤油で下味付けか塩コショウも使わないと塩味がなくぼやけた味になってしまう。
後で考えればそうだと思うけれど、
自分で購入したことのない食材となると「経験がない」ことになってしまい、
「未経験=経験した記憶がない=思い出す情報がない」という事になり、
思い出すことをしなくなります。
それは、別の場所で怒られた経験から
「情報外の行動=失敗のもと!余計なことはしない。」
と決めていると、言われていない調味料をたせないのです。

これで、あまり美味しくない鹿カツができあがります。

回避する為には

料理の材料と手順を書き出したレシピを事前にもらう。
自分の知識と料理実習の場の個別ルールに違いがないか、
良く知っている人とコミュニケーションをとりながら進める。

私に、なぜこんな失敗が多いのか

タイトルに書いた通り言葉を「字義通り捉える」特性を持っているからです。この特性を持っている人に程度の差はありますが、
自閉症スペクトラム・ASDと診断されます。
元々の感覚の違いなので、障害と診断されても基本的に治療薬はありません。

始めから全部、一通り説明しないといけない人

例として、調理実習としましたが、「食」に関心があり、仕事を探すと「厨房」を選ぶことがあります。お客様の注文を受け、料理を提供するとなると、先輩からの口頭指示が端的になる傾向があり、指示の意味を取り違えたりする場面が起こります。ここで字義通り捉える特性が出てしまうと失敗を繰り返した結果、仕事ができなくなっていくという事に。
(全員そうなるわけではないですけれど、、、。)

普通にできると思われるからこそ

曖昧な指示や情報が少ないことに動けなかったり
納得できない指示に忙しくてもその場で聞き返したり
言わなくてもわかるはずと面倒がられても質問するようにしています。

こんな場面、「忙しいからつべこべ言わずに早く始めろ!」と思い
面倒かもしれませんが
少し丁寧で正確な説明にご協力お願いいたします。

正しく伝えたい

失敗した時「なぜこうなったの?」と聞かれると
「○○が理由です」と返事をしてしまいます。
それは、なぜ?という問いに正しく答えたいから。
そこで「言い訳より先に失敗を謝りなさい」と言われると
言われてからわかります。

経験と知識が多くなると

生まれ持った感覚が違うから、自然にわかることを望まれても応えるのが難しい。けれど、経験から知識が増えることで、求められている言動への正解率は上がります。
できれば、近くにいて、そぐわない行動だと感じた時には
そっと離れたり陰口を言ったり馬鹿にしてマネするのではなく
「○○が良いと思うからそうしてみない?」と
正解を教えてもらえませんか?
こだわりから素直にできないこともあるけれど
場の空気を乱したり、独りになることを望んではいないのです。

理解され難さを持って

私の外見から障害があることに気づかれることはほぼありません。
特に、神経発達症(発達障害)について興味を持つことがなかったり、周囲に困りを抱えた方がいない環境で生活してきた方は、医師の診断がおりていることを説明しても理解が得られず、難しさを感じています。

ディスクレパンシーと言われても

自分の診断結果であっても検索したり学ばなければ自分がどんな位置づけをされているのか理解できません。誰でも自分の感覚が基本普通だと思っているので、集団の中で少数派となって、初めて自分が変わった存在であることが認識できます。

少数派が発信できる世界

インターネット環境が整い、誰もが自分の意見を発表することが可能になりました。情報発信のハードルが下がったことで、質の悪い情報も流れることになったとも言えるので、人類の進化だと手放しで歓迎することができるのかはわかりませんが、
何物でもない自分が思う所を、誰かに知ってもらえる機会ができたというのは大変ありがたい世になったと思っています。

様々な障害をお持ちの方や、サポートされる家族の方の発信から
少数であっても自分のような人が独りではないと思えたし、
また自分の発信がどこかで目に留まることとなり
会ったことのない誰かの気づきとなれればうれしいです。

長くなってしまいましたが、
ここまで読んでいただきありがとうございます。
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