読書録:7つの習慣 - 人格主義の回復 - (第一部第一章)その1 感想

こんばんは。

友人に「7つの習慣 - 人格主義の回復 - 」という本を薦められて、その一部を読んだので、記録します。


〜〜〜〜〜〜〜〜以下、読書録〜〜〜〜〜〜〜〜



読んだ本:スティーブン・R・コヴィー著「完訳 7つの習慣 - 人格主義の回復 - 」

読んだ部分:第一部「パラダイムと原則」第一章「インサイドアウト」

読み始めた理由:友人に薦められたから。


感想:

・こういうのが3000年前に書かれていれば聖書のような扱いになったんだろうか?とか思った。

・「自分が世界をどのように見ているか(パラダイム)」や、それがいかに自分の思考・判断に影響を与えているかの説明(絵を用いたもの)が素晴らしかった。まさしく「アハ体験」だった。他者と共通の認識を得るためには、事物を事物として捉えることと、それを自分がどのように解釈したかを、常に細かく切り分けるよう注意しなければいけないと思った。(このことは教育にも使えるのではないか?)

・インサイドアウトのアプローチは、心がけなければならないと思った。つまり、ある種の問題に直面したとき、まずは自分の内面にアプローチしましょうというものだけど、例えば対人関係の問題だったら、相手を変えるのは難しいだろうから、自分が変わろうとするのは問題解決へと向かう第一歩として妥当なアプローチに見える。

・本文では明示的に書かれていなかったように思う(見落とし?)が、インサイドアウトのアプローチが対人関係に有効に働くというのは、自分が周囲の環境から多くの影響を受けてきたことが自分のものの見方に非常に大きな影響を与えている(パラダイムの話)ということを相手に対して適用することで、自分がより良い人間を目指すことで、それが周囲に影響を与えて、問題の解決につながる、という繋げ方もあるかもしれない?

・パラダイムの話は「周囲→自分」という影響の話で、インサイドアウトの話は「自分→周囲」という影響の話に見えるが、「自分→周囲」の方向性は、周囲の人から見れば「周囲→自分」になる。隣人だって「隣人の周囲」から強く影響を受けていると考えると、隣人に影響を与えたければ、隣人そのものに作用するような行動を取るのではなく(隣人に直接作用する行動を取ると(多くの場合)隣人は反発するのでこのアプローチは良い戦略とは言えない)、自分そのものが変わることによって隣人に影響を与える(「自分」は「隣人の周囲の環境の一部」)、という戦略を取るのは間違ったアプローチではないように思われる(直接的な作用ではない分、反発もされなさそう)。


自分の場合:

・父親の短気さに反抗して言い争いになることがたくさんあったけど、自分は関係を改善したいという気持ちがあるし、そのためには自分の生活を見直したり自分の内面を見つめ直すことが重要だと思った。最近は自分の生活習慣や内面の改善のための環境づくりの一環として下宿先を掃除したり、実家に手土産を持って帰ったり、実家の片付けを手伝ったりしている。半年後くらいに少しでも効果が得られれば嬉しいが、効果がなくても実家が片付いて母親の助けになると嬉しい。続けていれば、父親の短気も少しずつ治っていくかな?

・友人のお坊さんに「悟りとは何か」を聞いたとき、納得のいく答えを聞けなかったので苛立ちながら責めてしまったことがある。その後(最近)、ニュートラルな気持ちでスッタニパータ(ブッダのことば)を読んでみると、仏教に仕える人間は「悟り」を目指しているというよりは、より良く生活することを目指しているのだということがわかり、悟るという状態を目指して修行しているのだという見方(パラダイム)でしか見れていなかったことを反省した。

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