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【無料】お笑い審査は「正しさ」より「強さ」

昨年のキングオブコント終わりで書いたビックリするくらい読まれなかった有料記事。

けっこう長文で内容も頑張って書いたのに、あまり読まれずそこそこ心が折れた記憶…

そんなことはどうでもいいのですが、今年のキングオブコントにおいて審査員の変更が発表されました。

お笑いの賞レースも試行錯誤の歴史であり、審査の形も大会システムも変わっていきます。
特にキングオブコントほど完全に審査方法が変わった賞レースもめずらしい。

始まってからの数回は準決勝で敗れた芸人たちによる審査でしたが、8回目以降は審査員がオープンスコアリングシステムで点数をつけるM-1スタイルへ変更になりました。

歴史を積み重ねながら正解を探していく。
時に進化し、時に退化もする。
結果論とは呼べない明らかな失敗もあり、軸を見失えば一発でバレてしまう時代だ。

積み重ねの果てに賞レースの正解を叩き出したのがM-1グランプリ。
現状、最高峰のお笑い賞レースであることに異論のある人はいない。

お笑い賞レースの正解とは?

なかなか答えの出ない問いにM-1グランプリは1つのアンサーを出した。

権威の有無。

他の賞レースと比べ、大会の権威において圧倒的な差をつけたM-1グランプリ。
シンプルかつ完成された芸事である漫才だからこそ、無駄を削ぎ落としたストロングスタイルが成立する。

大会を創設された島田紳助さんがこだわったのは誰が勝敗を決めるか?
審査員の顔ぶれに注力し、M-1ブランドと大会の権威を作り上げた。

かつてのお笑い賞レースは文化人やお笑い好きタレントなどが審査員を務めているのが主流。
しかも、ネタが終わる度に点数を出すのではなく、全組のネタを観た後に審査員が協議して勝者を選出するスタイル。

お笑いはガチで勝敗を決めるものではないし、そもそも笑いに勝ち負けを決めることはできない。
お笑いを本気で競い合ってどないすんねん?という常識もあったのだろう。

ゆえに、このガチンコ勝負を前面に押し出したM-1スタイルは画期的だったのだ。
「いやいや、完全に本気やん…」
出場漫才師は裏でえずき倒し、審査員はネタを見ながらほとんど笑わない。

初期M-1を見返せば分かりますが、明らかに今のM-1と雰囲気が違う。
セットなど全体的なルックが黒っぽく、今見れば少し笑いづらい空間にも見える。
審査員のネタに対するコメントも辛辣な場合が多く、点数も60点70点が出る時もあった。

対して、現行のM-1はビカビカに光り輝くセットの中で行われ全体的に雰囲気も明るい。
ド派手に彩られた漫才の祭典であり、初期と比べると圧倒的に魅力的なステージに見える。

しかも、その上で現場の緊張感は全く失われていない。
ここが奇跡のバランスで成立している。
M-1は歴史を重ねながら権威とソフトの融合に成功している。

お笑い賞レースは権威ありき。
ソフトが育っていくのも権威ありき。
それはM-1グランプリが証明している。

その権威を作り上げてきたのは決勝の審査員だ。

審査員の顔ぶれに格は感じないけれど大会の権威だけはある、、、そんなことは絶対にありえない。

賞レースの格を作り上げる根源は20年前に紳助さんがこだわった部分だと答えは出ている。

現場をピリッとさせる重厚感と覇気。
出場者が「この人に笑ってもらえたら嬉しい」と素直に思える。
視聴者ですら思わず緊張感を持ってしまう。

さらには
この人たちがお墨付きを与えたならスターダムに駆け上がって当たり前…

一瞬にして人生を変えられる影響力と重みが賞レースの格式とイコールする。

そして、近年…

準決勝を突破すれば決勝進出なので当然と言えば当然なのだが、M-1グランプリ準決勝がお笑い界の一大イベントとなっている。

映画館でのライブビューイングやオンライン配信によって視聴者数も圧倒的に増えている。
一度観てもらえれば誰でも分かるが、シンプルにM-1の準決勝は面白すぎるのだ。

ここで勝てば人生が変わる大一番の漫才。
言い方がややこしいが、ある意味では準決勝は事実上の決勝とも言える。

となると、、、

もはやM-1の準決勝は予選であって予選でもない。
年に一度のビッグ漫才イベントである。

準決勝の審査員は放送作家やテレビ局員が務めておりますが、どのような経緯で決勝進出者が決まったかについては発表されません。
準決勝が終わってから数時間後に決勝進出者が発表されるのみ。

普通の予選ならそれでいいと思いますが、先述したようにM-1準決勝はビッグ漫才イベント。
この世紀の大一番の勝敗を決めるジャッジには確実な透明性があるべきだと個人的に思うのです。

さらにM-1準決勝を盛り上げ、M-1準決勝にも権威を作るため…

準決勝の審査員をM-1グランプリの歴代王者から選出した漫才師に務めてもらえば、さらに盛り上がるのではないだろうか?

ちなみに、何となくのイメージで選ばせていただくと

2010年王者の笑い飯から哲夫さん。

2009年王者パンクブーブーから佐藤さん。

2008年王者NONSTYLEから石田さん。

2004年王者アンタッチャブルから柴田さん。

2002年王者ますだおかだから増田さん。

など…歴代王者から5〜6名。

プラス放送作家2名〜3名、テレビ局員から1名〜2名。

歴代王者を含めた計10名ほどの審査員が決勝進出の漫才師を決めると。

準決勝ともなれば現場に緊張感がありますが、数名の歴代王者が審査席に並べば今の比じゃありません。
M-1決勝戦の最大の魅力とも言える現場のヒリヒリ感とガチの空気感を準決勝から踏襲する。

ジャッジはできる限りオープンスコアリングシステムが望ましいですが、いちいち現場の流れを止めて一回一回点数を発表するわけにもいきません。

現場で点数の発表はなくていいのですが、各ブロックが終わる度にMCから歴代王者審査員へ感想やコメントを求めるくだりは盛り込む。
これは会場に観にきてるお客さんも配信で観てる視聴者も喜ぶでしょうし会場の温度も上がります。

そして、できれば決勝進出者が発表された後に、M-1のホームページや公式Twitterなどで各審査員がどの漫才師に何点つけていたのかを公表する。

誰がどの漫才師に何点つけていたのか点数を見られることで単純に楽しみが一つ増えますし、ファイナリストが選ばれた経緯に透明性も生まれます。

よく考えれば、M-1は決勝の審査員にかかっている比重が大きすぎる。
ネット社会以降、審査員が審査される時代になりましたが、その愚行を生み出したトリガーは透明性のある審査システムであるがゆえ。
決勝戦も予選同様に裏で審査員が協議して勝者を決めるシステムだったなら、審査員を審査する悪しき文化は生まれなかった。

決勝戦だけがオープンスコアリングシステムである決まりもありません。
決勝ほどではないにせよ、準決勝にも格式を持たせることにはプラスの要素しか考えられない。

予選の審査員に現役の芸人さんは少し大袈裟なのでは?と思われるかもしれませんが、もはやM-1の準決勝はその規模の注目度であり、それだけのバリューがあります。

この人たちがお墨付きを与えたならスターダムに駆け上がって当たり前…
それがM-1グランプリの決勝戦ならば

この人たちが選んだならM-1グランプリの決勝戦に出場して当たり前…
そう思わせるのがM-1グランプリの準決勝であってほしい。

これまでの準決勝の審査システムが悪いとは全く思いませんが、さらに進化するソフトになるための一案です。

どうしたって、お笑いの審査において「正しさ」を突きつめることは難しい。
正解がないからこそ、「有無を言わせぬ説得力」と「理屈にならない強さ」で審査を行ってきた歴史が唯一無二のブランド力と大会の格を作り上げた。

芯のブレなさと試行錯誤の繰り返しが進化となり
その先に生まれた権威が夢に変わる。

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