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<書評>『Dracula吸血鬼ドラキュラ』その2

 原書が長編であることや、内容が多岐にわたっていることもあり、長い論考になってしまった。それで、1.序論、2.各論、3.結論の3部構成にし、また、(項目ではなく分量から)3回に分けて掲載した。その2回目。

Dracula ドラキュラ

2.各論の途中から

(3)ロンドンにおける人種・宗教・文化の関係など

 ロンドンにいるアイルランド系の人たち(キリスト教カソリック)。トランシルヴァニアの吸血鬼(一応、キリスト教オーソドクス)。イギリス領だったこともあるオランダから来た、キリスト教プロテスタントの教授ファンヘルシング(これまで英語読みでヴァンヘルシングと表記されてきたが、オランダ人なので、Vanはファンと発音するのが正しい)などの、多様な人種と宗教が登場人物となっているのが面白い。

 また、トランシルヴァニアは、ルーマニア語で「森の向こうの土地」という意味だが、これは「大英帝国の向こう側」という意味にも取れるだろう。

 そして、この汎ヨーロッパ的かつ汎宗教的な地域及び人物設定の中で、原始(ドラキュラ)対近代(ファンヘルシング)、自然(ドラキュラ)対文明(ファンヘルシング)、オカルト(ドラキュラ)対科学(ファンヘルシング)、古代世界(ドラキュラ)の近代世界(大英帝国)への反抗、キリスト教カソリック(ハーカー)・プロテスタント(ファンヘルシング)・オーソドクス(トランシルヴァニアの住民たち)間の協力なども読み取れる。

 これらの概念はまた、19世紀末英国で流行したゴシックロマンが主張していた、「反近代」・「自然に還れ」・「古き良きケルト」・「憧れのギリシア文明」などのイメージとも一致する。そういう観点では、「ドラキュラ」の姿は、近代人に抹殺されてしまう「古き良き恐ろしい自然」なのだろう。

(4)19世紀末英国における近代対古代の対決

 ハーカーたちが19世紀末英国の「近代」または「科学」の象徴であれば、ドラキュラは「古代」または「自然」の象徴である。そのせめぎ合いに、オランダ人のファンヘルシングが吸血鬼問題の専門家として登場するのが面白い。

 一方ドラキュラは、ハーカー夫人のミーナを自分の仲間にしようとする。ミーナの友人ルーシーも同じようにしたが、すでにファンヘルシングらに殺されてしまった。なぜ、ドラキュラは仲間を増やそうとしたのか。そして、自分の存在を感知できる精神病患者レンフィールドをなぜ撲殺したのか。このあたりの説明を作者は特にしていない。しかし、そこに「古代からの反逆」を読み取ることができると思う。

 ところで、ファンヘルシングのオランダというのは、新大陸開拓の象徴であり、また宗教改革の代表的な地域でもある。ハーカーのキリスト教対ドラキュラの反キリスト教との対決というこの物語の構図を想定すれば、ファンヘルシングは反キリスト教の巻き返しに対抗した、宗教改革者としての役割になる。

 他方で、宗教ではなく、新大陸という手つかずの自然を開拓・破壊する先達者という観点から考えると、ドラキュラ=自然と、これを破壊するハーカー=近代の支援者として、ファンヘルシングのオランダを定義できる。一方、逆の観点から考えると、ドラキュラ=自然が、ハーカー=自然破壊者に反転攻勢するのを邪魔する、悪しき科学者(自然破壊者)ファンヘルシングという見方もできる。どちらも間違いではないと思う。

(5)吸血と輸血の不思議

 登場人物の一人であるルーシーがドラキュラに血を吸われてしまい、命を救うためにファンヘルシングが輸血をする。血液型など無関係で(当時は知られていなかったため)行うのだが、専用容器等を使用せずに直接人体から人体へ輸血している描写がある。これでは、免疫反応や感染症が出て、輸血した後に失血以外の理由で死んでしまうのではないかと今では考えるが、当時はそこまで心配しなかったのだろう。

 また、ドラキュラに血を吸われた際の死因は、当然失血死だと思うが、ドラキュラ側に血液型や感染症の心配はない(なにしろ、不死の存在だから)としても、人から吸血するのであれば、それが輸血の血であろうがなんでも構わないだろう。そのため、TVドラマ『スーパーナチュラル』では、主人公と煉獄で仲良くなった吸血鬼が、現世に戻ってきて主人公と協同して悪魔退治をするのだが、その際に主人公が血液センターから盗んできたパック入りの血液を、まるでジュースのようにして飲む描写があった。つまり、吸血鬼は生き血が好物としても、保存した血液でも問題ないのだ。そうであれば、何も人を襲う必要はなくなるが、それではドラマは成立しない。

(6)大英帝国列車網の正確さ

 主人公ジョナサン・ハーカーの妻ミーナと、吸血鬼の専門家アブラハム・ファンヘルシング教授とのやり取りのなかで、列車移動への言及がある。ファンヘルシングがロンドン・パディントンのハーカー家と、ミーナの友人で吸血鬼にされてしまったルーシー・ウェステンナの家のあるハンプステッドとの間をつなぐ列車の時刻を気にするのだが、その時刻表をミーナが暗記していて、何時何分の列車に乗れば、何時何分に着くとファンヘルシングに教える。

 この列車の時間に正確な運行という事実と、それを普通の大衆小説の中にそのまま書けるということは、海外ではかなり珍しいものだと思う。そして、そうした例は日本だけ(例えば松本清張の『点と線』)だと思っていたが、大英帝国(『ドラキュラ』)という先達があったことを改めて知った。

 なお、登場人物たちは、この列車の他、オリエント急行、馬車、客船、乗馬、小舟など、多種多様の乗り物を描写していて、時間との戦いというスリリングな展開をも作り出している。また、テレックスの利用もしており、近代文明の利器を効果的に使用している。

(7)吸血鬼の退治法

 これまでドラキュラ映画などで知っていた吸血鬼の退治法は、サンザシの杭で心臓を打ち抜くことだけだった。ところが、原書にあるファンヘルシングによる退治法を確認すると、(サンザシと限定せずに木の)杭を打ち込むのを最初に行うが、その後に吸血鬼の首を切断する(これは、TVドラマ「スーパーナチュラル」でもやっていた)。そして吸血鬼の口にガーリックを詰め込む。この3点セットで吸血鬼を退治している(注:ところが、物語の最後でドラキュラは、登場人物の鋭利なナイフによって灰になってしまうので、その整合性が取れていない気がする)。

 なお、物語の前半では、吸血鬼という表現を使用せずに、「モンスター=怪物」や「アンデッド=不死の人」という表現をしており、同時に東ヨーロッパにおける名称として「ノスフェラトゥ=不死の人」を引用している。この「ノスフェラトゥ」という名称は、1922年にドイツの映画監督F.W.ムルナウが製作した史上最初の吸血鬼映画の題名になっている。

 その後「ノスフェラトウ」は使われなくなってしまい、「ドラキュラ」が定着したため、「ドラキュラ」=「吸血鬼」になっているのは周知のとおり。なお物語の後半では、ヴァンパイアという表現も出てきて、「アンデッド」・「ドラキュラ」・「ヴァンパイア」が混在している。

(8)登場人物たちの面白さ

 物語の後段に入ると、ルーシーを失ったファンヘルシングたち「対ドラキュラ防衛隊」は、一種の古今東西の冒険物語の一行、つまりホメーロスの金羊毛を求めて旅をした「アルゴナウタイ」のようなものになっている(もし「アルゴナウタイ」がポピュラーでなければ、『ロードオブザリングズ』の「旅の仲間」はどうだろうか)。

 そのそれぞれの特徴を生かした役割分担は、まさに「旅の仲間」そのものだ。そして、紅一点のヒロインであり、ドラキュラのターゲットになるミーナの存在は、現在のハリウッド映画のアクションものに似た存在を感じられる。こういう要素が「ドラキュラ」が映画化に向いている理由の一つではないだろうか。

 

 物語の最後は、英国からトランシルヴァニアに逃げ帰るドラキュラを、ハーカーたち「旅の仲間」が追い詰める展開になる。そしてドラキュラ(の棺)が乗る貨物船が、ブルガリアのヴァルナに到着するとの情報を得て、ハーカーたちはヴァルナに先乗りする。ところが、そうした行動を自分が憑依したミーナを通じて知ったドラキュラは、ルーマニアのガラティに到着場所を変更する(その後、ビストリッツを経由して、ドラキュラはトランシルヴァニアの自分の城近くまで行き、そこが最後の決戦場となる)。

 ヴァルナでこの事実をロンドンからのテレックスで知ったハーカーたち「旅の仲間」は、急ぎ鉄路でガラティに向かう。このガラティというのは、黒海に注ぐドナウ河のルーマニアにおける中継地点であり、また現在はウクライナとの国境地帯にもなっている。

 そのため、2022年2月のロシアのウクライナ侵攻に際して、ウクライナから多くの外国人や住民がルーマニアに逃れてきたときの、ルーマニア側受け入れ場所の一つとなった(なお、ルーマニアは北部でウクライナとの間にあるモルドヴァと国境と接しているが、その西側は別のウクライナとの国境地帯になっており、ウクライナ側に入った地域にはルーマニア人が多数居住しているため、ロシア侵攻時の別のルーマニア側の受け入れ場所になった)。

 ということで、当初ヴァルナというブルガリアの聞き慣れない地名が舞台となっていたのが、ガラティというルーマニアの馴染みのある場所が舞台に移ったことに、私はとても親近感を覚えてしまった。やはり、この作品はルーマニアの知識があった方がより面白く読める。そして、この後半部分に入ってからは、ルーマニアで買い求めたヨーロッパ地図を片手に、登場人物たちの足取りを辿るのが楽しかった。今度機会があれば、これらの場所を旅行してみたいものだ。きっと、ワインとチーズが旨いはずだ。


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