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<閑話休題>定年を迎えるとは?

 大学を卒業して就職したときのことは、つい昨日のように思い出せる。
ところが、つい最近の仕事の内容などについては、もう忘れてしまって、ほとんど覚えていない(たまに、なにかの刺激があると、それを契機として仕事の大変なあれこれが様々蘇ってくるが・・・)。

 習ったこと、学んだことを、仕事や人生に生かしてきたつもりだが、いつのまにか、若いころに学んだ仕事の知識は、とっくに古臭いものになり、また時代そのものにも合わなくなっている。

 新しいものは、常に学ぶ速度よりも早く変化していくが、昔から「早く変わればいいのに」と考えてきたものは、いっこうにそのままで変わらない。また、「このままでいてほしい」と思うものに限って、余計なそして不要な変化を素早くしていく。

 もちろん、自分がいつのまにか禿げていき、首・顎・肩・指・手首・腰・膝のあちこちが痛くなるだけでなく、思うように動かなくなることが恒常的に発生するなんて、昔はまったく想像もできないことだった。

 そうして、ずっとこうありたいと思ってきたことは、「少しは人間としてマシなものになれたのか」、「少しは知識を身につけられたのか」、ということだったが・・・。

 この3月末で、普通の勤め人としての定年を迎えたことは、人生の節目であっても終わりでないことは、強く自覚している。また死ぬまでの長く暇な時間が待っていることを、不安に思うことはない。もちろん、経済的な心配はあるから、そのための対応方法を模索しているところだ。

 一般に定年を迎えてからの余生は長いという。つまり、仕事という一日の大半を費やしてきたものが急に無くなってしまった後は、その穴埋めをするものがなかなか見つからないということだ。実際、仕事がすべての人にとっては、そうした感覚になるのだろう。その人の存在根拠がそのまま仕事であるのなら、存在するための土台が無くなるわけだから、無限の不安に襲われてもおかしくない。また、何十年もそうした土台に依存していれば、土台が無くなった後の対応や新たな土台を探すことは容易ではないだろう。

 幸いに私は仕事がすべての人間ではなかった。仕事に対して申し訳なく失礼な言い方になるのだが、私にとって仕事は、自分の存在=自由な活動を阻害するものでしかなかった。しかし、生きるためには仕事をして稼がねばならない。また、仕事をしていく上での必要な倫理・義務・ルールがある。これを無視したら、仕事そのものが成立しないし、社会人として不都合な要素となってしまう。だから、私は仕事のために「本当の自分」「自分本来の存在形態」を心の奥底にしまい込み、自分としては「我が身を犠牲にする数々の行為」によって、仕事をしてきた。

 いま、定年退職ということで合法的に仕事から放置される自由な環境になった。弁解がましく聞こえるだろうが、これまで社会人として要求されるある程度のことをとりあえずやってきたことで、定年までの責任は果たせたと思っている。そして、そのご褒美として、これまで我慢に我慢を重ねてきた「本当の自分」を、隠すこともなく前面に出して、誰にも遠慮せず好きなことに集中して、そのための十分な時間を費やすことができるようにようやくなったのだ。

 だから、私にとって定年後は、残滓というイメージのある余生などという表現ではなく、ようやく自分らしく生きる許可を得られたという、まさに第二の人生になる契機だと思っている。

 ところで、先日、母から「お前は長く仕事をして、心が病んでいるから、ゆっくりと休みなさい」と言われた。自分としては、心身ともに疲労を感じてはいたが、心が病んでいるとは自覚していなかった。しかし、言われてみれば、これまでの仕事をしている中で、過度に多くのことを勝手に背負い込んでいたのだと気づいた。そもそも、そんな多くのことを背負い込むなんて、まったくの身の程知らずの不遜な行為でしかないのに、自分勝手に自分がやらねばと思い込んで、多くの責任を背負い込み、それをまた自分勝手に重荷にして苦悩していただけなのだった。誰も、私に責任を背負ってくれなどと頼んでもいないし、またやらねばならなし使命もないのに。いわば自縄自縛だったのだ。

 こうした中で、今ダンテ『神曲』を読んでいるが、煉獄とは、現世で罪を犯した者が、天国に行くための贖いをする場所だと記されている。私が、今定年後の様々な後処理や海外から帰国したための様々な処理(まだ引っ越し荷物がついていないし、海外口座からも送金されていない。)をしている最中だが、この「何も動けない」期間は、一種『神曲』にある煉獄での試練と同じかもしれないと思った。試練と言ったら言い過ぎかもしれない。むしろ、リハビリといった方が正確かもしれない。

 私が天国に行きたいのであれば、いまのこのリハビリ期間を真摯にこなして、これまでの仕事をしている中で、さび付き、劣化し、壊れたところを補修することが必要なのだと思う。そして、さらに思うのだが、40年をかけて自分を押し殺してきたことの贖罪は、数日で終わるものではないということだ。それには数ヶ月から数年かかるかもしれない。何しろ40年間蓄積・沈殿されてきたものなのだから、簡単に消し去るなんてできるわけがない。また、やっといくつかの忌まわしい記憶が遠のいたと思っていると、何かのどうでもよいようなものを触媒にして、一瞬にしてそれまでリハビリを積んできた成果が崩れ去ってしまうことに気づいた。人の心とは、かくも難しく、複雑で、取り扱いが繊細なものなのだと、つくづく感じている。

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