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<書評>「アラブが見た十字軍」

20210713十字軍

「アラブが見た十字軍」(原題「Les Croisdes vunes par les Arabes」,Editions J.C. Lttes, 1983,pp,303. 英訳は,「The Crusades through Arab Eyes」, Al Saqi Books, London, 1984)アミン・マアルーフAmin Maalouf著 牟田口義郎・新川雅子訳
2001年 ちくま学芸文庫 元本は,1986年にリブロポートより刊行

1.再発見するまで

実は,1986年に刊行された単行本を,私は1990年に買っていた。当時バングラデシュで勤務していたので,イスラム教を理解するために良いかと思って,日本から航空便で購送してもらった。しかし,当時のバングラデシュの厳しい生活(毎日夕方3~4時間は計画停電。一年中ストライキやデモが頻発し,湾岸戦争の影響や軍部によるクーデター,そして恒例の洪水被害とサイクロン被害があった。)ため,読書に集中できずに,他人にあげてしまった。

だから,今回文庫本化されたものに巡り会うとは,やはり因縁があるのだろう。つまり,「この本を是非読みなさい」ということだ。そして,当時と今では,イスラム教の理解とアラブへの理解が格段に違っている。

まず,イスラム教については,その後インド(チェンナイ=マドラス),マレーシア(ペナンとコタキナバル),ヨルダンと三ヶ国四ヶ所で勤務したため,かなり理解が深まったこと。何よりも,ヨルダンに住むことによって,アラブ人というイメージが具体化したこと。簡単に言えば,アラビア語はペルシャ語(イラン)とは全く異なる言葉であり,さらにエジプト,シリア,ヨルダンでは,同じアラビア語でも日本の青森弁や大阪弁のように,単語や発音が違う。文法も若干異なるということを学んだ。

何よりもアラビア語は,文字及び数字がのたくっている上に,発音に子音が多くて日本人には発音できず(たとえば「kh」の音は,カでもハでもない,中間の音。だから,カーンとハーンの2表記が通用している),また文章としての原点が7世紀のコーラン(クルアーン)だから,日本人には学習するのは,とても難しい言語だとつくづく思う。

そいうわけで,今回21年ぶりに再会して,ようやく読める状況になったということだ。

2.読んでみて

塩野七生の歴史本は,司馬遼太郎のものと同じくらいに好きだし,特にローマ帝国の説明については,全幅の信頼を置いている。しかし,ルネサンスやイタリアについての記述は,どうも主観的なものが相当に強いようで,他の本を読むと180度異なる視点を実感することがある。

かくいう十字軍についてのものも,元にしている文献がヨーロッパ側のものだから当然と言えば当然なのだが,歴史を研究した成果というよりも,昔の軍記物(サラディン対リチャード獅子心王の一騎打ち等)を読んでいるような印象があった。そのためか,正直十字軍について書かれた作品は,あまり記憶に残っていない。

一方,このアラブ側から見た十字軍は,もちろんヨーロッパ側とは正反対の視点になるのは当然なのだが,はっきりと十字軍の人肉食について書かれていることを知り,改めてゲルマンの野蛮さを実感した。今では想像もつかないが,中世はアラブの時代であって,ローマ帝国を滅ぼしたゲルマン人は,正に暗黒の中世を生きており,文明や文化の面では明らかに遅れた地域と人々だったのだ。

だからこそと思うが,パウロによってキリスト教が影響力を拡大し,カソリックとして宗教だけでなく政治の世界まで文字通りに支配する世の中になったのも,人々が文盲かつ文化的に成熟していなかったことが理由ではないかと思う。つまり,一言で言えば野蛮人そのものなのだ。

その結果,その野蛮な十字軍が狂信化して,文明・文化の進んだアラブを襲えば,やはり文明の進化と反比例して野蛮さがなくなっている分だけ,当初アラブは勝てなかったのだと思う。もちろん,アラブ社会の現在まで続く,分裂を好む一方で団結力が無いことも大きな理由ではあったが。

しかし,野蛮な十字軍が文明の進んだアラブへ長期間にわたって侵入したことは,結果的にヨーロッパの進化を促進したし,十字軍の遠征によってヨーロッパはアラブの最先端の文明を導入することになった。そして,ルネサンス,宗教改革と続き,産業革命によって時代はヨーロッパ中心に変わる。

こういう歴史の大きな流れを考えると,まず古代においては,アレキサンダー大王のインドまでの大遠征があり,次にローマによる地中海世界の制覇が続く。ローマ文明はアラブに引き継がれ,その後十字軍によるヨーロッパがアラブ文化を知る時代を経て,モンゴルによるアジアからの文化の東西融合が起きる。次が,ヨーロッパ人による大航海時代で,地球の文明はようやく一体化する。これが現在のグローバル化した世界につながっているわけで,では次はどうなるのか?と考えるのは,なかなか楽しい。

一般的な物事の法則から考えると,拡大・融合(グローバル化)していく方向性はもう限界になっているから,これからは縮小していく方向になるのでないかと思う。それは,国や民族を越えて,個人という究極の単位に至るような気がする。

3.勉強になったこと

これまで,エジプトのアイユーブ朝からマムルーク(奴隷)王朝に変わる辺りの歴史が,どうもよく理解できなかったのだが,今回それが良く理解できたことが,大きな収穫だった。簡単に言えば,アイユーブ朝は,クルド戦士であるサラディンによって成立した。十字軍時代のアラブの偉大な英雄サラディンである。そして,サラディンの後継者を倒したのが,やはりクルド戦士(アラビア語で奴隷を意味するマムルークの有能な将軍だった)で,それ以降マムルーク朝となる。このマムルークが,最終的にアラブからフランク=十字軍を追放することに成功する。その流れを理解できたことは,大変に勉強になった。

それから,エジプトついでに言うと,その歴史が良いと思う点として,アレクザンダー大王によって作られたアレキサンドリア(アレクザンダーの街)を今も地名として残していることだ。考えてみれば,ロシア=ソ連は,聖人ペテロの街を意味するサンクトペテルブルクを,ペトログラード,レニングラード(レーニンの街),スターリングラード(独裁者スターリンの街),レニングラードと変えていき,今は元のサンクトペテルブルグに戻している。

同様に,ギリシア時代に作られた都市ビュザンティオンは,帝政ローマのコンスタンティヌス皇帝が,自らの名を付けてコンスタンティノープルとして,長く続いた。その後イスラム教のオスマントルコに征服されて,イスタンブール(トルコ語で「街に」の意味)になっている。(話はそれるが,日本の歌謡曲で,イスタンブールを夢のある街のように歌っているものがあるが,実際のイスタンブールは,米ソ冷戦時代を始め,東西のスパイがしのぎをけずる熾烈な代理戦争の最前線であり,また様々な人種や宗教が混交する凶悪犯罪とギャングの街である。歌になるような華やかな夢とは正反対の,魑魅魍魎が殺し合う悪夢がはびこる街という側面を忘れてはならない。)

サンクトペテルブルグやコンスタンティノープル=イスタンブールのように,名前が政治や宗教によって変わるのは,歴史の一体性が失われて哀しい気分になる。その点では,アレキサンドリアを守り続けているエジプトの寛容さがうれしいし,この寛容さこそサラディンに体現されたイスラムの良い点だと思う。

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