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<閑話休題>なにが正論になるのか(一方的決めつけは誤謬のもとになる)

 東京都の小学校から高校までの教員を支援する組織に登録している。主に人文地理とか人文科学系の授業や、ラグビーの部活支援を想定しているが、年度途中から登録したことと、そうした科目の需要がないことから、未だ仕事はしていない。

 一方、登録者に対する講習ビデオがしばしば送られて来る。最近来たのは、特別支援学級の生徒(つまりアスペルガーなどの発達障害児など)に対するものだった。そこで勉強になったのは、例えば(小学生の事例だが)A君とB君がケンカして、B君が泣いているのを見つけた。昔(つまり「平成」までの時代)は、A君に対して、「とにかく謝れ!」と強く指導するのが推奨されていた。また、そうした事例を私自身も同時代の証言者として多く見てきた。

 ところが、現在はこうした一方的な指導は最も避けるべきものとされていて、まず「何があったの?」と事情を聴くことが推奨されている。これは当然なことだと思うし、(この言葉通り・文字通りに小学生の私が思考したのでないが)「事情を把握することもなしに、目の前に見えた一部の事象だけで一方的に断罪するのは不条理だ」と、私は(大げさかもしれないが)小学生の頃からずっと思っていたので、やっとまともな時代になったと思った。

 こうした一方的な強制は、ラグビーの世界でも当然にあった。たしか2010年頃のアジアファイヴネーションズ(WRがアジア諸国の代表強化のために一時的に作った大会)の試合で、日本の選手がトライした後、切れた相手国選手がトライした日本の選手に対してラフプレーをした。これに対して、日本の選手は一瞬なぐるような行為をしかけたが、途中で止めた。それを見たアジアのレフェリーは、日本の選手だけにペナルティーを取った。

 このレフェリングに対して、私は当時やっていたブログで、「最初に違法なラフプレーをしたアジアの選手に対してもペナルティーを取るべき」と書いたところ、長年ラグビー関係のブログをやっている人から、そうした意見は控えるべきという冷笑にも似た指摘を受けた。つまりその人としては、(1)たとえ間違っていても、レフェリングに対しては意見してはいけない、(2)ラグビーでは、いかなる理由であっても報復行為は許されない、というその人にとっての絶対的な正論によって、私をあざけりかつ批判したのだと思う。

 しかし、例えば道を歩いていたら、突然殴ってきた変質者がいた。それで変質者を投げ飛ばしたら、そこに偶然通りかかった警官が、投げ飛ばした人を暴行罪で捕まえた。そして、警官(レフェリー)の判断は絶対的だから、この行為に対しては反論してはならないことになってしまうと思う。しかし、私の理解している常識では、最初に殴ってきた変質者こそ逮捕されるべきであり、これに対して被害者は、自己防衛をしたからといっても基本的に無罪だ。また、事情を正確に把握する作業をしなかった警官は、職務怠慢といわれても反論できないと思う。

 だから、最初に書いたラグビーの試合でも、一般常識から考えれば、最初にラフプレーをしたアジアの選手に対してペナルティー(今なら、シンビン相当)を与えるべきである。次にこれに対して報復行為をしようとした日本の選手は、実際に報復していないのであるから、ペナルティーは過剰であるため、レフェリーからの注意で十分だろう。また、日本の選手だけに対してペナルティーを与えたアジアのレフェリーは、明らかに大きな誤審であり、テストマッチレベルでレフェリーをやる資格がないと見なされる。さらに、そうした行為に対して、「レフェリーは神聖である」、「報復行為は許されない」という事項を、狂信的に信望して、なんら応用・演繹することなく、そのままあらゆるプレーに適応することを他人にしたり顔で強要するような人は、非常識かつ社会的失格者といっても過言ではないと思う。

 もちろん、ラグビーにおけるレフェリーの重要さ及びレフェリーを尊敬すべきことは、私も十分理解している。だから、昔南アフリカであったスプリングボクス対オールブラックス戦で、アイルランド人レフェリーを襲撃した南アフリカ人観客のようなことは絶対に許されないことは、私も確信している。また、負けた試合の原因の一部をレフェリングに見ることは許容されても(つまり、盲目的な批判ではなく「レフェリングに合わなかった」云々という表現)、レフェリングだけが敗因であるかのように述べるのは、自分たちのプレーの分析をおろそかにしていることの弁解でしかない。

 しかし、レフェリーも間違いをする。間違いをして当然なのだから、間違いをそのまま押し通すことを強要するのではなく、間違いを訂正するシステムを整備すべきなのだ。人が間違うことは避けられない。真に問題なのは、間違ったその行為や事実ではなく、それを間違いとして認めないことだ。そして、もしも間違ったのなら、すぐに正しいものに訂正すれば良いだけだ。つまり、あるレフェリングが誤審であると判明したら、そのプレーの前の段階からやり直せばよいのだ。実際、TMOが導入されてからは、こうしたことが普通に行われるようになった。そして、これによって従来の誤審を押し通すようなことは減少した。私が昔に批判したようなレフェリングは、相当に排除されることになったと思う。

 以上のように時代は変わり、そして進化しているが、未だに「昔のラグビーはよかった」、「レフェリーは神聖な存在だ」と声高に主張する老人たちがいるし、また「昔の先生は偉かった」、「生徒は先生の言うことを黙ってきけばいい」という過去の記憶をひたすら美化している老人たちもいるが、ラグビーの世界と学校の世界は、少しずつだが、良い方向に進んでいるのではないかと、冒頭の研修内容から私は思った。

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