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<ラグビー及びエッセイ>『スワーブをきりながら(私とラグビーとの長い旅)』

スワーブをきりながら(私とラグビーとの長い旅)

 2024年4月4日、『スワーブをきりながら(私とラグビーとの長い旅)』というエッセイを、Amazonの電子書籍及びペーパーバックで出版しました。

 これは、私が大学時代にラグビーに出会ってから、その後社会人(国家公務員)となり、いろいろな海外で勤務をしながら、現地でラグビー、タッチフットなどをしてきたこと、そして息子の(全国大会出場経験のある)高校ラグビーの父兄としての経験など、40年にわたる歴史を記録したものです。

 ラグビーでは、NZウェリントンとインドのマドラス(チェンナイ)で15人制ラグビーを、マレーシアのペナンで10人制ラグビーを、バングラデシュとアメリカのマイアミでタッチフットを、マレーシアのコタキナバルと東京でタッチラグビーをプレーした経験を記録しています。

 また、バングラデシュでは湾岸戦争、マイアミでは911テロ(そして、テロ直後のニューヨーク長期出張)、ペナンではインド洋大津波、東京では最初に地下鉄サリン事件、次に東日本大地震、コタキナバルではキナバル山地震とフィリピンのスールー王国によるボルネオ島上陸襲撃事件、ヨルダンではイラクやシリアそしてパレスティナに関連した恒常的な厳戒態勢、そして最後の勤務地であるルーマニアでは、新型コロナウィリス発生とウクライナ戦争などの、大事件・自然災害・伝染病・テロ・戦争などの歴史事案に遭遇し、その(霞が関の末端職員ながら)当事者としての様々な経験を記録しています。

 こうした文字通りの心身の危機(ウェリントンでスクラムがつぶれて首を痛めたこと、911テロから再開直後の航空機によるニューヨーク出張、そしてルーマニアでのコロナ感染は、「死」にかなり近づいた経験でした)に際して、ラグビーのプレーである「スワーブ」のようにきり抜け、あるいはすり抜けられてきたと私は実感しています。またそうした中で、ラグビーをプレーしたり、ラグビーを見たり、そして息子の高校ラグビーを一緒になって応援したりという、「ラグビー」に関わることの全てが、危機にあった私を支えてくれました。

 そうしたことを、ラグビーへの感謝を込めてまとめたのが、この本です。一種の自伝かも知れませんが、それだけでなく、社会人として特に海外勤務の現場でしか経験できなかったことの記録、高校ラグビーの父兄として全面的に支援した経験、海外の様々な場所でラグビーをプレーし、それを通じた現地人や日本人との交友の記録があります。そしてこれらの記録は、ラグビーという素晴らしいスポーツへの賛歌、そして大いなる感謝として、私は書きました。

 この本は「自伝」かも知れません。しかし、ここには「自伝」という名前に含まれる「自慢」や「高慢」といったものは含んでいないつもりです。逆に、多くの人に読まれることで、20世紀後半から21世紀前半における(当事者としての)歴史の現場(の一部)と、そしてラグビーというスポーツを通じてこそ可能だった、世界の様々な人たちと交流した経験を共有できる意味があると自負しています。そういうわけで、ラグビー好きの方にはぜひ読んでいただきたい思っています。また、歴史の(庶民による)現場の記録として、未来の研究者たちの参考となる資料になることを願っています。


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