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<書評>「現代思想 総特集 親鸞」

「現代思想 総特集 親鸞」 青土社 1985年。

現代思想 総特集 親鸞

 日本でもっとも信者が多く、もっと広く普及している浄土真宗の開祖である親鸞について、多方面の研究者の評論を集めたもの。親鸞について、仏教という枠組みを超え、哲学や民俗学の領域などから考察を加えている。それは同時に、日本人の宗教観や心性を研究することにもつながっている。

 本書に収められている各論考を読み進めていくうちに、いくつか思いつくことがあったので、それを列記してみる。


1.他力本願と自力本願

  他力本願と自力本願という言葉は、親鸞の浄土真宗の仏教用語だが、一般に流通している使い方には、昔から強い違和感を持っている。
 
 まず、「本願」という言葉の意味は、いわゆる悟りをひらくことと同意であり、浄土真宗においては浄土に往くことである。そして、「自力」とは、浄土宗の教義である念仏をひたすら「自ら」唱えることで本願を得られる(浄土に往ける)ことであるのに対して、親鸞は、「他力」であるところの阿弥陀仏の力に頼ることによって本願を得られるとしている。つまり、かなり乱暴かつ簡単に言えば、念仏だけでは成仏しない、阿弥陀仏に帰依する願いが大切なのであると唱えていることになる。
 
 ところが、私が誤用としか思えない一般的な使い方は、例えば「プロ野球の巨人は最終戦で負けて自力(本願による)優勝は逃した。しかし、2位の阪神が最終戦に負けるという他力(本願による)優勝の望みがある。」とあるように、仏教用語をプロ野球の優勝するしないの世界に転用し、さらに自力と他力の意味を、自力=自分だけの力で望みを成し遂げること、他力=他人の力によって自分の望みを成し遂げること、というように誤解して使っていることがある。
 
 さらに誤解している事例として、例えば自分に助けを求めてくる人に対して、「他力本願はよくないから、自力本願でやりなさい」というものがよくあるが、これは、親鸞の元々の意味から正反対(注:私は真逆という新造語を使いたくない)に使っているという、二重の間違いをしている。
 
 だから私は、他人から「自力本願でやってください」という言葉を聞くとき、「南無阿弥陀仏」と唱えることにしている。わからない人にはわからないだろうが・・・。 

2.水葬の伝統

 親鸞は、「某(それがし:自分)閉眼せば(死んだ後は) 賀茂河(川)にいれて 魚にあたふべし(与えるべし)」と生前、自分の死んだ後のことを伝えていたそうだ。これは、もともと日本人に水葬という伝統があったからだろうが、私が家族に対して「死んだら遺灰を海に流してくれ。その遺灰は世界中の海を旅できるから。」というのと、近いものがあると自負している。
 
 「遺灰を海に流したら環境破壊だ!汚染物質を流さないでくれ!」と言われてしまうかも知れないが、少なくとも遺灰は放射能とは無関係だから、プランクトンや魚のえさになって、地球規模で考えれば命が循環する輪に入ることになると思う。また、これから墓を維持していくのは大変だから、(墓地運営で生活している人には申し訳ないが)海に遺灰を流すのは、そんなに悪いことではないと思うのだが・・・。 

3.親鸞とイスラムの近さ?

  親鸞は、彼岸にいる仏に会いに行く(成仏する)のではなく、既に此岸に仏の力は満ちていて、その力に乗って成仏すると唱えたから、仏像を作ることをしなかった。また、仏像を安置する伽藍(建物)も作らなかった。そのため、仏像に代わって、「南無阿弥陀仏」という仏の力に乗るための経文を書いた紙を拝し、またその紙を掲示した場所として、つまり集会場所として使う寺を造営した。(注:その後時代を経て、浄土真宗も他の宗派と同じように仏像を崇拝するようになったが。)
 
 これはどこかイスラムに似ている。ご承知のとおりイスラムでは、偶像崇拝禁止を唱え、一切の偶像(アイドル)を否定する。預言者モハメッドの絵があっても、偶像ではないとして顔をベールで被うなどしている。もちろん彫刻の類は一切ない。その代わり、コーランにある聖句を様々なアラビア文字の書体で書き記した(刺繍した)ものが、モスクに掲示してある。
 
 このモスクも、キリスト教のような僧が説教を垂れるところではない。また、神や聖人が一時的または永く宿るところでもない。イスラムでは神は遍在することになっているから、祈る場所はどこでも良い。しかし、集団で祈りを行う場所が必要であったため、モスクを建立した。だから、モスクを教会と訳すのは意味を取り違えることになので、正しくは、集会所あるいは集団祈祷所とした方が良いと思う。
 
 そのため、同じ考え方を適用して、親鸞の浄土真宗(正確に言えば、西本願寺派)における寺は、寺ではなく集会所あるいは集団祈祷所とした方が良いのかも知れないとは思うが、今は仏像(阿弥陀如来像)がしっかりと鎮座しているので、私のこんな戯言こそ意味を持たないことに気づいた。 

4.親鸞は教団を作らなかった

 親鸞は、現在の概念で言えば、孤独な思想家というべき人物で、自らの教団を作る意思はなく、また布教という考えもなかった。しかし、当時の最先端の学問である仏教を比叡山で学び、その後関東(常陸)に行ったことで、行き先の人たちから大歓迎され、親鸞の下に信者が集まるようになった。そして、教団が作られるようになった。親鸞は、常陸で仏教関係の文献を研究し、自らの思想を形成することを中心にやっていたようだ。
 
 親鸞は意識しなかったが、自分の子や弟子たちが、親鸞が否定していた布教活動や教団の発展を行ってきたのが、現在の浄土真宗の隆盛にまでつながっている。だから、江戸時代に幕府お墨付きで作られた東本願寺は、親鸞の原点からはかけ離れている寺だとも言える。では、西本願寺が正統かと言えば、親鸞の弟子の時代に親鸞の原点となる思想から既に離れているので、どちらも親鸞の原点から遠いことでは変わらない。 

5.親鸞とは?

 最後に、この特集から考えた私の親鸞についての見方を披露したい。もとより素人が生半可な知識でやっていることだから、仏教研修者からは相手にされないものだが、「長屋のご隠居による世間話」程度に見てもらえればと思っている。
 
 親鸞は宗教家や教祖ではなく、一人の思想家だったと思う。だから幕府から強いられたとはいえ、環俗して僧侶を辞めたことは親鸞としても本望だったのではないか。そして、僧侶ではないから、妻帯も問題ないし、いくら仏教の本筋から離れた思想を展開しても、問題になることはない。そうした中で、「他力本願」とか「悪人正機」とかいう常人には思いもつかない思想が出来たと思う。
 
 そして、「他力本願」や「悪人正機」という考え方は、親鸞にしか正しく理解できないものであって、およそ教団と形成する宗派の理論にはなり得なかったと思う。その高尚な哲学的論理は、凡人にはどうやっても理解できないし、また凡人に理解できないのであれば、浄土宗の主旨である大衆への啓蒙はできないから、やはり本筋の思想にはならないと思う。そういう点では、蓮如とか覚如といった親鸞の後継者たちは、仏教の本筋を行ったと言える。
 
 ではその親鸞の目指していた思想とは何かといえば、究極の大乗仏教だったのではないか。つまり、親鸞としては、「普通の煩悩にまみれた」自分自身が浄土に行く道を探求すれば、それがそのまま万人に方向を示せるものになると考えたのだと思う。
 
 しかし、極端にまで行くと出発点に戻ってしまうことがあるように、あるいはメビウスの輪のように絶対にその輪(場所)から抜け出すことができないことがある。親鸞が思索を突き詰めることをすればするほど、万人向けのつもりであったものが特殊な個人向けに、つまり大乗仏教(他力本願)のつもりだったのが、かなり難解な小乗仏教(自力本願)になってしまったのだと思う。
 
 もし親鸞が大乗を目指すのであれば、適当なところで思考停止をして、万人に理解しやすい、例えば「阿弥陀経を唱えなさい」というような、シンプルなキャッチフレーズを流行させることで満足すれば良かったのではないか。それができなかった親鸞は、一般的な意味による宗教家ではなく、偉大な哲学者であり隠者であったのだと思う。

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