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<閑話休題>「万世パーコー麺の思い出」その後

 話の続きでもあるので、初回の「万世パーコー麺の思い出」のアドレスを以下に引用した。これを最初に読んで、本稿の理解が増すことを期待したい。

 有楽町のパーコー麺が大きな喪失感とともに無くなってしまった後、唯一パーコー麺を食べられる本店一階の店(秋葉原万世橋にある)に行ったのは、もう9月下旬だった。酷暑により、外に出る気分、というか熱いラーメンを食べる気力すら出なかった8月が終わり、9月の残暑も衰え、ラーメン日和になった頃だった。

 友人と店の前で待ち合わせたのは夕方17時30分。すでに店は昼のランチタイムを終え、居酒屋タイムになっていたが、パーコー麺は終日販売している。しかし、パーコー麺に辿り着くまでには、まだ時間を要した。店の入口がよくわからなかった上に、外にある券売機で食券を買う必要があると思って、パーコー麺、ビール、つまみとしてのトッピングを購入した後、店の入口を探してビルの周囲をぐるぐる回った後、ようやくカウンター席に着いたのだった。

入口付近のオブジェなど

 食券をカウンターに置いた後に知ったのだが、店員の説明によれば、券売機はランチタイムに使用しているが、居酒屋タイムの時は、カウンターで注文することができるとのこと。そりゃあ、酒飲んでいるときに、「外の券売機で食券買ってきてください。また、券売機にないメニューもあります」なんていったら、酒を飲む客は来なくなるだろう。それで、「なんだあ、それを知っていれば券売機であたふたしなかったのに」と思ったが、とにかく初志貫徹でパーコー麺を味わって食べた。もちろん、同時に生ビールをぐびりぐびりとやりながら。

 さて、初回の「ああ、パーコー麺が無くなってしまった。私の青春の思い出は消え去ったのだ。でも、もう一度パーコー麺を食べたい!」という激しい感情の熱量から、ここで言葉にならないくらいの「やっとパーコー麺を食べられた!本当に良かったあ!」というような感動を得られたら、話としては盛り上がって良いのだが、どうも私の気分(と店の状況)が完全に居酒屋になっていることもあり、哀しいかな「パーコー麺を食べた!」という感動が、まったく湧いてこない。有楽町店で食べていたパーコー麺と同じであるのだが、どうも何かが違う感じがする。たぶんそれは、いわゆるラーメン屋で食べるラーメンと、居酒屋で食べるラーメンの違いかも知れない。

 ここを掘り下げてみると、例えば(今流行のミシュランの対象になるような、一杯千円以上する高級な店ではなくて)庶民的なラーメン屋のカウンターや壁には、「ラーメン風味」(の様々な玉石混交のエキス)が長年にわたって浸み込んでいるのが見えるし、また肌で感じられる(つまり、汚れのことだ)。ところが居酒屋には、酒やつまみ、果ては客の馬鹿話や愚痴話がカウンターや壁に染み込んでいるが、ラーメン屋のそれはない。そう考えると、ラーメン屋で食べるラーメンが旨い理由は、カウンターや壁に染み込んだ「ラーメン風味」が、隠し味として加わるからではないか。居酒屋のラーメンでは、カウンターや壁に染み込んでいるアルコールと煙草の煙があっても、それはラーメンの隠し味にはならない。

 それからもう一つ。やはり、人が「・・・したい!」、「・・・が欲しい」、「・・・が食べたい」という激しい感情を抱くのは、それらが欠乏している時だ。もしそれらが、望みさえすれば、いつでも好きな時に好きなだけ得られるとしたら、人はそうした強い願望を持たない。さらに、それが欠乏しているときに激情が湧いた後、意外と簡単にそれが実現できてしまい、例えば「パーコー麺が食べたい!」と熱望した後すぐに、「はい、これですよ」と目の前に出されたら、最初の大きかった感情の熱量は、すぐにしぼんでしまうことだろう。

 「ミルクちょうだい!」と泣き叫ぶ赤子に、ミルクを与えればすぐに泣き止む。人は何歳になっても同じなのだ。そして、赤子がミルクなら、大人は恋愛だろう。「あの人と結婚したい!」と必死になった末に結婚した後、その感情がいつまでも継続している例は、残念ながらあまり多くない。人は、欠乏しているときに激しい感情を抱くが、それが実現してしまうと、その感情は減少してしまい、そのうちに消えてしまうのだ、残念ながら。

 そういうわけで、今度は「パーコー麺が食べたい!」という感情を抜きにして、「ちょっと昼飯にパーコー麺でも食べるか?」という、日常モードの平静心を保って、さらに「あっ、こんなところでパーコー麺が食べられるのか、ちょうど良いから食べて行こう」という、目的の本筋から外れた脇道、または寄り道の感覚になって再訪することにした。

 10月中旬の月曜日、ランチタイムは混み合うだろから、少し早めに11時過ぎに万世橋に向かった。別に訪問時間は10時30分でも良かったのだが、店が11時に開店する上に、外で待った上に、開店と同時に入店するというのは、いかにも「私はお腹が空いています!そして、パーコー麺が大好きです!待ちきれません!」と、卑しく催促しているみたいに見られるかも知れないと思ったからだ。そして世間の常識をわきまえた年配者として、例えば他人の家を訪問する時は、訪問予定より2~3分程わざと遅れて(つまり、家の近くに着いてから、家の人から見られない場所で時間調整して)、その家の奥さんが「あら、Kさんが来る時間だけど、来ないわね?」と夫に文句を言おうとしたその瞬間、「ピンポーン」とベルを押すタイミングで入店したのだった。

 入店した時、「やはり日本人だな」と思ったのが、既に6人程のお客がいたからだ。この方々は、「ランチをどこにしようかな?あっ、こんなところでラーメンが食べられるから、入ってみよう」と来た人ではないだろう。私が心配?した、開店前から店の外に並んでいて、開店と同時に入った人たちに違いない。たぶん、店の人は窓ガラスから外を覗いて、「もう6人並んでいまーす」と店長に伝えたのだ。そして、親切な店長は「まだ5分早いけど、準備できるから、店開けていいよ」と店員に指示したのだろう。5分前から外に並んでいた人は、「お客を待たせないのが日本の常識だよ!」という気持ちを込めて、あるいは「開店前に入れてくれて、ありがとう!」という気持ちを持って、手にした食券をカウンターに置いたことだろう。

 そうした諸々を私は考えつつ店に入った。最初はドアから正面奥の席に行こうと思ったが、入口近くのカウンターに老人二人が座っており、しかもその後ろ側が意外と狭いので、そこを通ることは諦めて(というか、食べている人の背中越しに「すいません」と言いながら通るのは嫌だったので)、左側奥に席を取った。そんなことは想定していなかったのだが、そこはちょうど調理場の真ん前に位置していて、店長がパーコー麺を作る姿や店員が食器を洗浄機にかける姿がよく観察できた。これは、一種の「アペタイザー」として、私には非常に面白いものだった。そう、これだけで、同じパーコー麺でもなぜか味が違ってくるから、人の感情は不思議だ。

 ところで、初回に言及したアルバイトのIさんが、もしかするといるかも知れないと探したが、やっぱりそこにはいなかった。もしそこで働いていれば、あの度の強いメガネ、猫背、そして甲高い声ですぐにわかったはずだが、店内に響くのは、店長が店員に優しく指示する声と、店員のおばちゃんの注文を通す高音だけだった。そう、私が勝手に幻想していた、青春時代の店の再現は当然なく、現在の普通に働く人たちの光景がそこにあるだけだった。それは当然だろう。なぜなら、私が勝手に個人の幻想を持ち込んで、勝手に期待しただけなのだから。

 やがて、私がアペタイザーとしての調理風景に見飽きたころ、ここの店で二回目となるパーコー麺が私の前のカウンターに運ばれた。いや、正確に言えば、私の前には箸置きやら、調理場の調理器具などがあるため、おばちゃんはカウンターに置くときにこぼしてしまうことを危惧して、まだ客が座っていないこともあり、私の右隣の障害物がないところからカウンターに置いてくれた。

 嬉しいことに、居酒屋タイムのときは用意されていなかった、酢やすりおろしニンニクなどの調味料がたくさんあった。・・・そうだ、肝心なことを忘れていた。今ここで出されたパーコー麺は、普通のパーコー麺ではなかった。なぜなら、券売機に千円札を入れてパーコー麺の画像を押したとき、それだけでパーコー麺を注文できたと勘違いした私は、なぜか点滅している右下の「トッピング」という画面に引きつけられ、「そうか釣銭でトッピングができるんだな」と勝手に解釈して、思わず「野菜追加」をタッチしてしまった。すると、(使いづらい)新500円硬貨を含むコインがじゃらじゃらと出てきた。つまり、私は千円で「野菜追加」だけの食券を買ってしまったのだ。それで改めて千円を再び投入し、今度は「パーコー麺」の画面を押したあと、また同じような画面を押して、目的のものの食券を得たのだった。それで、手元には二枚の食券があった。

メニュー見本

 つまり私の目の前に出されたパーコー麺は、「野菜」といっても中身はもやしばかりだが、それが追加されたものだった。本当は、トッピングなしの元祖パーコー麺を食べようと思っていたのだ。私は、麺よりも意外と存在感と主張するもやしと格闘しながら、二回目の変化球パーコー麺を味わった。ちょっとスープの濃さが違うように感じたが、これは私の老化による味覚の劣化のせいだろう。パーコーの下味が薄い感じがしたのも、また同じだろう。もしかすると、麺よりももやしが多く感じたのも、老化現象かも知れない。

 そして、私が懲りないで勝手に抱いた幻想である、「憧れのパーコー麺を食べた!」という感激は、やはり二回目であっても湧いてこなかった。後から来た大柄な客が、大盛ラーメンと何かかご飯ものまで注文しているのを、横目でちらりと眺めながら、「ああ、私の若いころはあれくらい食べられたのになあ・・・いや意外と小食だったから、あれほどは食べなかったか・・・でも、このパーコー麺、もやしのせいかも知れないが、量が多い気がする・・・」と、漠然と考えながら、それでも血圧を考えてスープを少しだけ残すようにして、食べ終えた。

 秋晴れの下、万世橋の人通りは、深夜がメーンイベントであるアニメショップがまだ開店前のためか、意外と少なかった。ふと見下ろした万世橋の下を流れる外堀の鈍い流れには、様々なゴミが浮かんでいた。このゴミは、40年前もあったかな、いやあったに違いない。そして考えてみれば、40年前と変わらないものが、こんなところにあったことに気が付いた。結論、人は思い出を一方的に美化して語りたがるものなのだ。そして、昔の味が蘇ることはない。

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